阿修羅像含む興福寺の八部衆立像は乾湿像で、「漆」が乾いて堅くなったもの。
木彫りではなく、麻布に漆を何層にも固めて塗っていく技術によって造られています。
造像されたのは天平時代に設けられた官営造仏所である「造東大寺司」などに限られます。
しかし例外として、鑑真和上の私寺である唐招提寺の盧舎邦仏像は脱活乾漆造だそうです。
この「脱活」とは「張子の虎」のように内部が空洞と言う意味。
唐招提寺の鑑真和尚像も同じく脱活乾漆造です。
「脱活乾漆像」は像内が空洞のため軽量そのもの。
命がけの政争に巻き込まれても持って逃げることが出来ました。
何度も戦火にあった興福寺の阿修羅像が今日現存しているのは、そのおかげです。
当時、金と同程度と言われるほど極めて高価な材料「漆」
これを大量に用いる上、制作にも手間がかかるため平安時代以降はほとんど作られなくなり、木彫が主流になり現在に至っています。
「脱活乾漆造」は中国から伝来した技術ですが、中国では古代の「脱活乾漆像」は残っていないというのも不思議。
どおりで漆はジャパンたるゆえんなんでしょうか。
夾紵棺、きょうちょかん、と読みます。
遺体を納める棺の中でも最高級のもので、身分の高い人たちの古墳より出土しています。
斉明天皇と間人皇女の合葬墓と考えられている牽牛子塚(けごしづか)古墳の棺は麻布を36枚塗り重ねていたそうです。
夾紵棺の破片は、重要文化財に指定され明日香村埋蔵文化財展示室で現物が展示されているようです。
つい先日、この牽牛子塚古墳の前で、大田皇女のものらしき塚が見つかり、そこでも夾紵棺の破片が出土したと書かれてあったように思います。
他の墳墓では、聖徳太子廟、天武・持統天皇陵、阿武山古墳などで出土しています。
「夾紵」は東晋時代に造られ唐時代に盛行した漆技法で、興福寺阿修羅像に代表される「乾漆(かんしつ)」の源流です。
粘土などで棺の型を作って、これに漆と布を交互に何回も塗り固めていきます。
手間ひまかかり、高価で貴重な漆をいっぱい使うのですから、
そんじょそこらの人の棺には使えません。
牽牛子塚古墳では、七宝金具も多数出土しています。
金銅製の棺金具(七宝亀甲形座金具、八花文座金具、六花文環座金具、円形座金具、綾隅金具)、また鉄製の鎹(カスガイ)、鉄製の釘、ガラス玉などの玉類、人骨(臼歯)など飛鳥資料館に保管されています
同時代を生きた皇人の生存年を列記してみると
宝皇女 594-661年 第35代皇極天皇在位642-645/第37代斉明天皇在位655-661
軽皇子 596-654年 第36代孝徳天皇在位645-654
中大兄皇子 626-672年 第38代天智天皇在位668ー672
間人皇女 生年不詳-665年 母は皇極天皇(斉明天皇)天智天皇の同母妹 孝徳天皇の皇后
大田皇女 生年不詳-667年 父は天智天皇 天武天皇の妃となり、大伯皇女、大津皇子を生む
夾紵棺が出土した阿武山古墳は、中臣鎌足(614-669年)の墓かとも言われています。
貴人用の棺には、遺体とともに玉枕と冠があり復元されています。