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これは月うさぎの土鈴、中宮寺の天寿国月兎鈴です。
聖徳太子の死を悲しみ、妃の橘大郎女が采女らに刺繍させたと言われる「天寿国曼荼羅繍帳」わが国最古の刺繍、その左上の図案の一つです。
拝観のしおりには、中宮寺新金堂と月うさぎ像の写真が載っています。
半跏思惟像は国宝だし、教科書にも載ってるぐらいで超有名、なのに写真はない。
三つ折りを開くと、中宮寺の沿革、新本堂、本尊如意輪観世音菩薩半跏像というタイトルで説明文があるだけ。
なぜ半跏思惟像の写真を載せないのでしょうね。
造られた時は弥勒菩薩として造られたし、ほとんどの人は中宮寺弥勒菩薩として記憶に残っていると思われます。
中宮寺の寺伝には、
「聖徳太子さまが御母のお姿をこのお像にうつされたもの。
このお像は来生の救い主みろく菩薩でなく、現世の苦悩を救済される、如意輪観音菩薩像でございます。」
平安時代になると寺運衰退し、宝物の大半は法隆寺に移され、僅かに草堂一宇と本尊を残すまでになった、と記されています。
世間に如意輪観音信仰が広まった平安時代には、寺が衰退していた。
この像が作られた飛鳥時代は弥勒信仰の時代だった。
左・中宮寺の如意輪観音と、右・広隆寺の弥勒菩薩像。
どうみても同じタイプで、違いがわからない。
弥勒菩薩半跏思惟像は、6世紀から7世紀に大陸より弥勒信仰と共に伝えられ、飛鳥、奈良時代の作品が多く残されています。
大阪府羽曳野市にある野中寺(やちゅうじ)で、毎月18日に公開される秘仏「弥勒菩薩半跏像(重文)
本像台座の框(かまち)部分の銘から「弥勒菩薩像」であること、「丙寅年(666年)」に作られたことが判明している貴重なものです。
半跏の姿勢は同じですけど、表情がだいぶ異なりますね。
野中寺は聖徳太子が建立した48寺院の一つとされ、開基は蘇我馬子と伝えられています。
弥勒菩薩は、未来の救済仏です。
56億7千万後の未来に下界に降って仏となり衆生を救ってくださるそうです。
釈迦入滅後567,000千万後、これは科学的に見ると太陽系の余命とほぼ一致するんだって!
弥勒菩薩のご真言の「おん まいたれいや そわか」
『まいたれいや』はサンスクリット語の「マイトレーヤMaitreya」
でも「弥勒ミクロ」はインドのクシャン朝の貨幣に現れる「ミイロMiiro」が語源だと考えられているそうだ。
西アジア・イランの太陽神で崇められた「ミスラMithra」がクシャン朝ではバクトリア語形の「ミイロ」
それが仏教に取り入れられ、菩薩として信仰され、その救世主的性格はここに由来します。
西暦400年ごろ法顕はパミール山中で巨大な木造の弥勒像を目撃したことを旅行記に記していますし、敦煌や朝鮮でみられる弥勒の交脚像、思惟像はすでにガンダーラに祖型があります。
ウズベキスタン旅行記でクシャン朝の三尊仏でも書きましたが、インド洋から海路でもたらされたものがたくさんあるようです。
次は法隆寺に伝来した白檀香木について書きます。
適当って意味も伝えられないんですよ。自分は相手のためにコーヒーかおちゃか?でもどっちでも構いませんっていったら怒るか?困るか?大変でしょう。意思がないの?って。
相手の事を考える必要はない、自分の意思を出していいんだとびっくりしました。なのでお湯の温度も何度って言ってあげたらその人も一番喜びそうですね。
相手もあなたの為にしたいって、なので深読みして気持ちを探らなくて良いってね。なんか気持ちいい付き合いですよね、ただ嫌われると大変ですけど他の人にたのめばいいし、その人にこだわらなければ安心です。日本でもあまりに話通じない時は、違う人にってお互いのためにも健康的でいいですよ。日本人はまず出来ないんで愚痴と後悔の嵐でしょうね。
弥勒菩薩と如意輪観音もどっちかが深読みしちゃったのかしら?最近如意輪さんと縁が出てるので弥勒アレルギーも解消しないといけないのかな?
666年というのも白村江の後のゴタゴタの頃ですね。そこもなんかヒントになりそうな気がします。聖徳太子は、なんて呼んでいたのか?それが一番りたいですね。そもそも自分が聖徳太子だとも思っていないから面白いですね。9585
確かに日本人はどちらも普通に使ってて、感覚的なものでルールはないようですね。
昔読んだエッセイに、ドイツで海外留学してた下宿で髭剃りにお湯くださいというと、そのお湯は何度でどれぐらいの量かを的確に指示しないといけないと書かれてました。
日本なら髭剃りというだけで忖度してもらえるのにって。
この忖度って、ホンマ、日本らしいところなんでしょうね。
りひとさんのコメントが多岐にわたっているのでほんの一部の返答になりごめんなさいね。
昨日もテレビで日本をニッポンと読むかニホンと読むかで併用オッケーという国って本当穏やかな気質の民族なのでしょうね、私も同じで争いなんて必要ない思っちゃう方です。
ただ世の流れか済まされない所に来ているのかも?ドイツにいた頃なんで日本ってあんなにナーナーなんだろうと思って疑問に思ったけどそこに慣れちゃうと戻っちゃうようで解釈の違いでいいのかとも。でも事実は一つなのでその事実がちがうのにそのまま出来るってやっぱり弊害が来ているように思います。
本人達がどう思って作ったのか?作れるのならそういう技術が近くにないといけないので調べようによっては分かってくるはずですね。
橘さんのネットワークに作れる方は間違いないそうなのであとは動機ですね。同じような前例があったのか?お寺もそもそもその地の権力者が独自で作った私寺が最初のはずなのであくまでもありし日の亡き方を偲びための生き写しであったのでしょうね。ただこれは宗教とは無縁の先祖供養の一環でありように思えます。ただその仏像に憑依しようと思うと色々なお名前を異国のエピソードも込めて作り崇めそうですね。
なのでお名前はどうで良いような?ただ明らかに橘氏の供養の為の仏像であり、そこに拠り所求めるならば歴史の中であまり身分は高くないとされている橘氏にも疑問を持たないととも。
こちら開運出来たら橘氏の先祖のおかげですと思えたら素敵ですね。
宗教と先祖崇拝はある意味同じように思いますが、先祖が多岐渡るのなら厳密には違う意味を持ちます。自分の親の宗派であれば一致しますけど、一番自分にいいのは先祖の供養だと思います。
当時仏像を作れたのならその後もっとたくさんの仏像が出来ていたはず、国家が掌握した事で職人も個人的な意味合いを込める事は出来なくなっていそう。そういう意味でも時代の切り替え時期の代表のような中宮寺と広りゅう寺も時代に翻弄されてそうですね。中宮寺は橘氏、広りゅう寺トミ系じゃないかなあ?工房付きのお宮や寺は先祖供養の時代か国家宗教の時代かどっちなのかな?
5667、4986
http://blogs.yahoo.co.jp/manase8775/folder/920600.html
不思議の国日本、こんなタイトルの本ありましたよね?
ラッキョの皮はむいてもむいても皮ばかり・・・。
歴史家はみんな芯を見よう、芯を見ようと・・・。
僕ら自身だって、あっという間にホットドックにポップコーンですもんね。
戦前と戦後じゃ、体型的にも異民族だそうですし。
そういう島なんですよね、
このふしぎ列島は・・・。
もともと空をの雲、夜は星や月を見るのは大好きなんだけれど。
その日はつつじのキメラのことを書いてましたわ。
光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」読んだことないです。
おススメですか?
大化の改新ってなかったといわれてるんだそうですね。
あれから律令時代が始まったと教えられたのに。
天武・持統天皇以前の歴史はこれからもまだまだ書き換えられていくでしょうね。
持統天皇から古墳を造らずに荼毘に付されるようになったと知りました。
死者の弔い方が変わるということは・・・
この時代に古事記や日本書紀が編纂されたのですね。
ということはかなりバイヤスが入っているということ?
萩尾望都の漫画もあります。
かなり古いですけど。
56億7千万年ときくと、
なぜだなぜだと問いかけ、戦いをいどみつづけた阿修羅を思います。
絶望的にはるかな未来に、約束された明日・・・。
ガス雲ヒミコの光も、絶望的にはるかな過去ですね。
でもその時の光を、僕らが目にしてるとは不思議。
そのヒミコのニュースの翌日、
24日の午前、畿内ではめずらしい太陽と虹のコラボがあったようですね。
いい兆しなのかな?