秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

世界三大微笑のひとつ中宮寺・半跏思惟像

2009-04-20 | 日々是好日
中宮寺は、法隆寺や四天王寺などとともに聖徳太子によって建立された七つのお寺の一つで尼寺だそうです。
境内全体に女性的なイメージが漂っています。
山吹の花が咲きみだれ、おりしも山吹茶会が開かれていて着物姿の女性にたくさん出会いました。

 

621年聖徳太子の母・穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の発願によると伝えられています。
太子がいた斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置にあります。

本堂は高松宮妃の発願で1968年(昭和43年)に建立した和風の現代建築、前には池が広がります。
 

あの有名な半跏思惟像は、くすのきの寄木技法による作例としては最古で飛鳥美術の最高傑作です。

エジプトのスフィンクス レオナルドダヴィンチのモナリザと並んで世界三大微笑像のひとつに数えられるそうで、古典的微笑(アルカイックスマイル)には見入ってしまいます。

     

中宮寺では如意輪観音ということになっていますが、
最初は弥勒菩薩像として作られたようで、ネット検索でも「中宮寺 弥勒菩薩」でヒットします。
学術上、弥勒の明示を避け「菩薩半跏像」と呼ぶそうです。

15 コメント

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Unknown (TM)
2009-04-21 21:18:49
やさしい微笑みですね。
私が最初に魅せられた仏像です。

両親の仏壇の上にこの「如意輪観音」(←理由はないんですが、私はいつもそう呼んでいます)の写真がおかれています。2001年に東京都美術館で開催された「聖徳太子展」記念のパスネットのカバーなんですけどね。

法隆寺にも行って拝観してきましたが、暗くてお顔がよく見えませんでした。
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TMさんへ (おざさ)
2009-04-21 22:05:40
法隆寺もお参りされてましたか。
海外だけでなく、国内もいろんなところ行かれてますね。
仁徳天皇陵も周りを歩かれたそうだし、近くに住んでるもの以上ですわ。

この菩薩はほんとにやさしいお顔ですね。
1300年も前にこんなに素晴らしい造形物をつくれるなんて想像以上に洗練されてたんでしょうね。

弥勒菩薩として長年認識してましたが、如意輪観音だったとは不思議。
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聖徳太子のお母さまの発案 (りひと)
2017-02-28 10:04:18
またビックリです。聖徳太子のお母様は只者じゃなさそうですよ。多分時代ももっと遡るはずです。天皇でいくとかなり前、継体さんの前くらいかと感じてます。妄想なので考古学で法隆寺の工房の辺りで証拠が出たらいいなあと。でも尼寺とは今知りましたよ。四天王寺はどうなんだろう。
ただ古代の奈良のお寺で尼寺に関わる方は明らかに大阪とも接点がある船を使った方々なのでそれも気になりますね。

仏像の好みってのも時代によりますけど良い時代ですね。仏師さんに女性はいなかったのかなあ?
穴穂っていうのも今かなり気になっています。
確か冬至のお守りは穴八幡さんでしたっけ?
東京にも聖徳太子の関わりそうな地域結構あるんですよ。谷や海がある場所なのでこっちまできていないかと。むしろお母さんがこっちと縁持っていたら凄いですね。八幡神社のお隣に聖徳太子のお社があった所がありそこの出会ってから妄想が凄くて。多聞天には聖徳太子が結構縁がありそうなのでそれで東京の穴穂の母の気配探してみます。

尼寺の発想なかったのですが、法隆寺が万が一そうならば工房セットのお寺も尼寺の可能性が出てきます。吉野とかも。当時は国家でなく一族のお寺だったはずなので技術も含め洗練された最先端の技術だったはず、そこから適当な権威付けだけの物作りになったのでしょう。尼は怖かったのでしょうね。4289
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りひとさんへ (ulala)
2017-03-02 09:41:37
たいざ蟹で有名な丹後半島の間人(たいざ)
Wikiにはこうかかれてます。
「聖徳太子の生母・間人(はしうど)皇后が蘇我氏と物部氏との争乱を避けて丹後の当地に身を寄せ、のちに当地を去るに当たって自らの名をこの地に贈ったものの、住民は「はしうど」と呼び捨てにすることを畏れ多く思い、皇后が退座(たいざ)したのに因み間人を「たいざ」と読み替えた、との伝承が残る。但し間人皇后が丹後に避難したとする記述は記紀に無く、由来には他にも諸説がある。
死者を大陸に向けて埋葬する風習が長らく残っていた。」

いっとき興味もって調べたことありますが、八尾の穴太(あのう)もフィールド調査行けてません。
亀岡の穴太寺(あなおじ)は西国33箇所で参詣し、このブログでも記録残しています。
歴史書に記録なくとも地名は歴史を物語ると思います。
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テレビ効果ですね (りひと)
2017-09-10 18:07:11
ランキングで上がってきたのは。
歴史のみたかったんですけど今週は忙しく全く観れてません。ただテレビはつけてたのでアルカティックスマイルの所はみましたね。アーモンドアイも話には出てましたけど。何事もあるきっかけで興味持ってくれる方が増えるとそれぞれの意見も発想も出てくるので今後のこの仏像の研究も楽しみですね〜。

寄木っていうのは箱根とかで知っていたのですけどドイツに日本独特のお土産として持参したのですがあっちでも結構あるようですね。モザイクは石でも多いので材料の違いでしょうし、材質の違いによる保存環境にも寄るでしょうね。後世なのかもしれませんがどこかの国にもあんなのないのかなあ?未知の所で出てくると凄いですね。

奈良の人気のなさも番組でやってましたけど白鳳あたりは日本人好みのように思いますので研究進むといいなあと思ってます。7495
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りひとさんへ (ulala)
2017-09-10 19:14:25
やっぱり、TVで中宮寺の半跏思惟像取り上げてたのですね。
検索によるスポットもこれもまたなんらかのメッセージだと思います。

今アメリカはフロリダに上陸寸前のハリケーン、放送局によってイルマだったり、アーマだったりします。
英語読みとかスペイン語読みとかで違うのかもしれませんが、同じ日本でなぜ歩調合わせようとしないのか気になるところです。
なんと認証番号9099
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深大寺でも (りひと)
2017-11-30 14:56:05
この前テレビ観ていたら、白鳳仏が国宝とか何かの登録になったようですよ。調布辺り絡んで来るかな?

釈迦如来らしいですけど、人間が作った概念でお釈迦さまよりも早くいたら凄いです。

で頭の上の鏡餅みたいな頭がとても私気になってますし、好きなんですよね。神奈川の方でもあるような?奈良と調布が絡んでくるのが白鳳時代まえに絡んでいると面白くなりますね。

白鳳時代って魅力ありますね。2913
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りひとさんへ (ulala)
2017-11-30 22:49:51
深大寺、耳にしたことはあってもどこにあるのかも知らず、どんなお寺かも存じませんでした。
この度のりひとさんのコメントで初めてホームページ開いて見ました。
釈迦如来像は、創建期から深大寺の歴史を見守ってきた本像で、新たに国宝指定をうけた機縁で、平成30年3月31日(土)まで特別拝観を実施中。
白鳳仏拝観は、平成30年3月31日まで特別拝観につき無料だそうですよ。
この機会にぜひ‼️

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コメント笑えます (りひと)
2018-11-14 11:46:31
この前、展示で下総国葛飾郡大嶋郷戸籍の写真かな?見てきたんですけど712年で孔王部(あなほべ)という名字の方がいっぱいいるようですよ。
東京に母の系統がいるなら面白いですよね。

で場所も実はとってもすごい所なんですよね。当時は行ってたのかな?少し縁あります。
593の聖徳太子ですからそこから100年くらいだと3世代後に来たとも思えますね。で丹後に行ったというのと時代的にどうなのか?そこも気になりますね。東京探していた場所とは違うんですけど子孫は関係してきてます。

で一番大事なのは、鎌倉(源氏エピソード)から関東は歴史に載るようになるんですけどどうも奈良時代少なくても養老の時は戸籍もあるくらいえですから住民がいるんですよね。
旧石器からの気配もあるのでむしろこっちから奈良にっていう視点まだ残しつつ実証探したいですね。

穴八幡はコメントからびっくりしたんですけど一か所行ったついでに行ってみたんですよね。古墳っぽいですね。孔王ですから当時の音を漢字で表現すると王が付くんですよね。王も気になっている文字です。

今後どうなりますか?
個人的には聖徳太子はいなくてもいい気もしますけど母はいないとなあと。で今思ってるのが聖徳太子自体が八幡じゃないかな?多聞天か毘沙門天か聖天。八幡は、母と息子のイメージなんですけどね。わけわかんなくなってきました。

ただ、大嶋とか島って方はずっと追ってるのでそこが聖徳太子の母と関係があるならちょっと嬉しいです。なんせ凄いママみたいですからね。
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りひとさんへ (ulala)
2018-11-14 22:59:23
あのうを漢字変換すると、安納、賀名生、穴太は見たことありました。
あなほべも、穴穂部なら知ってたけど、孔王部は初見でした。
養老5年(721)の記録ですって、養老はいろいろ教えてくれますね。

孔王部をググってて、柴又八幡神社古墳で出土した寅さん埴輪見ました。
関東は全く不案内で、葛飾柴又も映画でしか知らなかったしけど、古代と繋がってますね。
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