大枝神社の本殿とお稲荷さんの間に小さな社があり、東照大権現と貼り紙あります。
いつも順番に3箇所でご挨拶してますが、なんでここに東照大権現が祀られてるんだろうと思ってた。
2017/7/1 夏越大払えで黒猫にあうの記事で位置関係わかります。
今朝の新聞で
先の台風21号で高潮が20-25キロも遡ってたって。
この地図の淀川という表記矢印あたり、川の流れが北東から急に北に変わってるのが分かると思います。
実際に堤防歩くとカキーンと曲がってるのに驚いて記事残したぐらいですから。
2013/1/14 とうとうと流れる淀川、実は
2014/3/8 まむ多の楠どらと茨田堤
時代は安土桃山時代、本能寺の変(1582年)
堺に滞在してたという徳川家康は、佃島の漁民の助けを借りて逃れたので、その漁民たちを江戸へ移住させて佃島。
詳しい経路は明らかになってるか確認してませんが、私の妄想。
佃の漁師たちに案内してもらって、堺から淀川の守口あたりまで船で来て上陸したんではないかと。
というのは、淀川をさかのぼる船は海からの西風を利用するも、守口の湾曲部では西風が逆風になって、船の進行を妨げます。
川を上るときは、ガタロウという人足を雇って船を岸から引っ張るんだそうです。
今の動力時代からは想像もつかない、淀川水運における難所だったのです。
昼間にそんなたいそうなことしてたら見つかります。
きっと家康一行は、守口で上陸して、大枝神社あたりで夜になるのを待って、暗闇に紛れて今の163号線を通り、交野、木津から、伊賀へ抜けたんではないかと想像します。
それとも国道25号線を通ったとなれば、天武天皇の壬申の乱の道ですから、のちの薬師信仰に繋がります。
その時に匿ってもらったお礼に金一封とか神社寄進とか、
家康公ゆかりの東照宮祠があるのでないかと。
大枝神社に東照大権現が、たとえ小さな祠と言えどもずっと祀られてるのか、その理由は淀川の湾曲にあったのではないかと思います。
前々からそう思ってて、今朝の新聞で地図見て、これは記事書きなさいという先ぶれだと。
家康は「自分の死後一周忌を過ぎてから下野日光に小さき堂を建て勧請し、関八州(日本のこと)の鎮守にせよ」と遺言したと伝わり、それが日光東照宮。
天海和尚などの働きにより、後水尾天皇の勅許によって朝廷より「東照大権現」の名を賜わり、東照宮に祭祀された。
徳川家康は薬師如来の仮の姿が日本に現れたものとし、神仏習合の形をとり神社神道形式で祭祀が行われる。
本地(本来の姿)は、東方浄瑠璃世界の教主・薬師瑠璃光如来であるとしたものです。
大名に東照宮を建立することを半ば強制し、全国の五百社を超える東照宮が作られたそうだ。
そのときに、守口の大枝にも?
その後明治維新、第二次世界大戦などを経て、日本の国体は「東照大権現」によって護られなかったのか?
それでも、町の小さな神社の境内社として今なお残ってるという現実。
少し前から薬師信仰について調べてて、
東照大権現に繋がり、薬師信仰は、薬師寺や国分寺建立の天武天皇の時代へと繋がってく。
ココまでくるともう手に負えなくなって、唐突にこの項を終えることにします。
今日の午前中に環境調整の面接があって、約束の時間までに大枝神社へ寄って写真撮ろうとした。
すると、なんと、ダンジリが運搬車に乗せられるとこに遭遇。
大枝の地車も11年を過ぎてあちこち傷みました。
半年間かけて解体補修され洗いにかけられるんだそうです。
お墓や仏壇みたいに御しょうねん抜いて…と伺いました。
今晩またもや、お疲れさん会の宴会
呼んでもらえて、うれしいけど…
東照宮と薬師揃っているんですから。
結構離されてるところも多いんではないかな?
こだわって両方回ろうとする事も多々あります。
薬師は仏っぽいけど神にも通じそうですよね、なるほどです。火除けは安心そうな揃いですね。
あとここん所、孝徳と家康が同じように見え始めてるんですけどイメージでは。なんなんでしょうね。
竹駒神社や多賀城に壷の石ふみ?記憶が定かではないのですが、和歌山の那智から勧請された神社からの一行が和歌山から陸奥へ向かったエピソード読みました。
なんで那智三山の神を勧請することにしたのか思い出せません。
今でも生マグロは、那智勝浦に銚子に、塩釜だったけ?
漁業でも繋がりありますね。
海流に乗って魚を追って人が動けばば、風習も文化も、薬も伝わるのでしょう。
麻酔の華岡青洲は紀ノ川沿いの人でしたし、南方熊楠は那智の人、家康と時代は違いますけど、きっと昔から植物や薬草に詳しかったのは、なんでかな。
家康が薬草マニアなんて全く思ってなかったけど今の制作側はゲームにしてもとてもきちんと調べてくれてますよね。いい事知りました。
日光をあえて好んだのは何故なのか?植物等でも魅力あるんですかね?家康さんがネットに書き込みでもしてくれると早いけどそれじゃあつまらない。ゆっくり掘り出しましょうね。洞窟系も関連ありそうに思います。3431
そうそう和歌山ってすごい植物発見されてますけど家康と和歌山ってどうなのかなぁ?
鎌倉で和歌山から色々移動はありそうですけど、植物は場所選ぶので動かせないはず。
家康が鯛の天ぷらであたって死亡したということになってますが、ホントは胃がんだった可能性あるそうです。
享年75歳、あの時代にそこまで長生きできたのが食養生薬草のおかげかも。
かなりな読書家であったそうで、
薬草園も作り100種類くらい育てて研究していたようです。
東照大権現として祀られているのもそんなところではないかと思います。
戒壇院が気になったので記録しておきます。
下野薬師寺は天武天皇から持統天皇の時代に創建された寺で、奈良の東大寺、筑紫の観世音寺と並ぶ三戒壇の一つ。
単に地方の一寺院という範疇を越えていたが、やがて比叡山でも戒壇が認められたことで廃れていった。
なんせ昨日調べたら、薬師お願いして生まれたと思ったらそういうように育ってくるんでしょうね。父とも関係ある地なのでまたまた興味深いです。愛知にいよいよ入れそうです。けど道鏡のが早そうですね。
言葉って怖いですね。左遷と栄転って本人はもちろん本意ではないでしょうけど、自分から言う人ってちょっと変な人で明らかに第三者からの判断を込めた言葉ですからね。
また当時その地のその凄さを気付いてない方にはもちろん流刑地くらいにも思うかもしれませんね。おそらく情報操作や制限って怖いですね。
日本の書物には、明らかに逆で身分が低いとか渡来だとか処分されたとか嫉妬深いとか悪エピローグなどがとても多いですね。
学部長の話では、まず空白を作ることでフィクション作るって聞いたが私のベースですけどその先も考えちゃいますね。そしてその空白が作れないと消すのも面倒なのでおそらく悪意ある修飾を付けて印象を変えるんでしょうね。
人間は一人では生まれてこないんで、その間の葛藤もありますが自分と違う事を認めてリスペクトできたら争わなくなるんですけどね。
今日は弘法さんの日、道鏡さんと比べるのも面白そうですね。道鏡さんと言えば異性関係スキャンダルですけど、歴史の中でも濡れ衣っぽいのはありますし、後に許されたって事もある。あれも堀どころですよね。原因をきちんと処罰なりしていないままなのでしょう。
父の亡くなる時の絶望として医療と建築ど土木関係の問題がきちんと世に出てきてますけどこれもきちんと原因と再発防止まで出来るか?温情なのか曖昧好きなのかそのまま放っておく日本人のままならいつか必ず被害に合うのも間違いないですよ。
色々なことで悔いを持ってる方が逆に見えない世界から応援してくれるときちんと分かるんではないかな?昔の事でもきっと。
家康さんを祀る意味は、相当意味がありそうですね。本人がどう思ってるかも含めて。5939
正確ではありませんが、ご祭神は菅原道真公が多く八幡宮は大枝だけだった、境内社に東照宮あるとこもなかったと思います。
家康公の遺言、下野日光に云々という地名、下野といえば薬師寺で道鏡ですよね。
日光東照宮と下野薬師寺の位置関係確かめてないのですが、家康の中では薬師寺の承継、憧憬だったかも。
道鏡の下野左遷というよりは、東国での唯一戒壇院のトップとして名誉な重要なポジションだったというエピソード読んだことあるような。
昔から家康は知らざれる歴史においてなんか知ってるなという思いを持ってますが、僧天海などのブレーンに聞いたのかしら。
で例の名阪の魔のカーブの記事もネットで取り上げられてましたよ。山を避けて迂回したとの結論でした。
あと家康ってこの前テレビの番組でも日光に行ってないって話だったので遺言的に日光出てくるんですね。あと家康と薬師ってちょっと掘ってみます。かなり興味ありますので。家康って恵比寿信仰って思ってたので。そうそう、今日べったらで宝田恵比寿行くの忘れちゃいました。あそこに家康が持っていた恵比寿像が今日まで御開帳してたはずなんですよ。昨日も今日もお邪魔なのか行けずでした。なんかタイミングで怪しいですね。
うららさまからは、家康って出てくるとは思ってませんでしたので。大枝神社の関係なのも深読みしますよ。鳥絡みではないかなぁ?と思ってます。
で薬師については天海さんが関わる薬師さま?
多分太田道灌さんの薬師さんじゃないかな?もっと先は誰だったかな?私会いに行ったんですよ。
本当不思議なご利益ありそうだと伺いました。犬の命が繋がれたようですよ。
家康さんとも関係あるのは、ノーマークでした。
歴代の権力者って色々と仏像持ってますよね。力で奪えるからなのか?それがあって天下人になるのか?
そうそう佃の民を連れて行った東京の住吉さんにも家康さんは東照大権現が祭神さんなってます。
うららさまの指摘が少し理解出来たかも?
そう自分が薬師としての役割を持とうとしたなら確かに神社の祭神として入るのはありですね。
権現というのも神社の中に仏が入るのではなく、仏よりももっと古そうな山岳信仰の意味合いの現世利益ありそうな権現というのは意味ありそうですね。
この前調べてまして、富士講を知ったんですけどそれがぴったりかも?日光ですしね。江戸時代が盛んだったみたいですよ。聖(ひじり)っていう言葉がイメージでは合うんですけど、そういう物が薬師の先に遡ったらあるんじゃないか?とちょっと妄想してます。6830