天之波波迦(あまのははか)
天香山神社境内にある朱桜という古名で知られる「波々架の木」
古代の占い・太占に用いられたと言われています。
ハハカは油分が多くよく燃えるらしいです。
「 いばら科の木で朱桜(にはざくら) 別名うはみずざくら、こんごうざくら、かばざくら等
古事記によれば、この木の皮で香具山の雄鹿の骨を焼いて吉凶を占ったそうです。
平成二年の大嘗祭関連の諸儀で「斉田点定の儀」の亀占に用いるため、波々迦を宮内庁の御下命により奉納致しました。奈良県橿原市南浦町 天香山神社」
天香具山から香具山神社のほうへ下山
天香山坐櫛真智命 神社
あまのかぐやまにいますくしまちのみこと神社
鎮座地 奈良県橿原市南浦町608
ご祭神 櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)
本来、櫛眞知命とするのが正しいと考えられているようで
元の名は大麻等乃知神で占いの神)卜事占兆をつかさどる神
櫛眞知命って聞きなれないお名前でした。
でも櫛とついた神様なら知ってます。
櫛は奇(クシ)なんでしょう、けど。
櫛玉命(くしたまのみこと)、大物主の別名です。
大神(おおみわ)神社の由緒に
「当神社の神体山三輪山に鎮まり坐す御祭神大物主大神は、世に大国主神(大国様)の御名で広く知られている国土開拓の神様であり、詳しくは倭大物主櫛魂命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)と申し上げます」
大和の大王であったニギハヤヒノミコトは、
『日本書紀』では饒速日命、『古事記』では邇藝速日命と表記されます。
本名「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命」の中の「櫛甕玉」より櫛玉命ともよばれます。
天香具山の天香山神社のご祭神は天香山神でいいのではとも思われました。
天香語山で調べていくと、天香山=天香語山命(あめのかぐやまのみこと)
を祀る主な神社は、越の国の 彌彦神社と魚沼神社など。
なんで同じ名前の天香具山で祀られてないのでしょうね。
ほつまつたゑ解読ガイドのサイトでは→カゴヤマ
カゴヤマはタカクラシタの父であるが、神社の祭神に天香語山とあるのは、おおかたは高倉下を指していると思われる。
『書紀』に一書として、天火明命の子で、尾張連らの遠祖とある。
『旧事』天香久山、天香語山、天香山、などと書かれる。
母は天道日女で、物部氏の祖・宇摩志麻治は異母弟にあたる。異母妹・穂屋姫を妻として、天村雲を生んだとある。
籠神社の古伝にも
「天香語山命」は亦名 手栗彦命 亦名 高志神。彦火明彦命が天上にて生む神也。母天道姫命 亦名 祖母命也。
中大兄皇子が大和三山のことを詠んだ歌があります。
「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき
神代より 斯くにあるらし
古昔も 然にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」
香具山は 畝傍山をいとしいとして 耳成山と相争った。
神代から こうであるに違いない。
いにしえも そうだったからこそ 今の世の人も 妻を 取りあって争うらしい。
天香山 赤埴聖地(アカハニノセイチ)
神代から神武天皇の時代になり、やはり香具山はキーポイントです。
神武天皇が大和の国を平定するにあたり、夢に天神が現れ告げられた。
「 天の香具山の社の中の土を取って、天の平瓮(ひらか)八十枚を造り、あわせて厳瓮(いつへ)を造り天神地祇(あまつやしろ くにつやしろ)を敬い祭れ。
また厳呪詛(いつのかしりー潔斎して行う呪言)をせよ。
かくのごとくすれば、敵は自から降伏するだろう 」
天香久山の埴土は、ほとんどが赤土らしいですが、
一部白土が国見台あたりで産出し、適宜混ぜて使うのでしょうか。
画像左端あたりにその「白埴聖地」石碑が立っているらしいけど見落としました。
時間に限りのある団体ツアーウォーク、見落とした部分はまたそのうちに。
調べていて、以下サイトも興味深かったです。
少彦名命の正体を探る、天香久山を巡る空想の旅
リンク先のサイトも、興味深い内容です。いろいろ調べたらキリがないって感じ。
それにしても、彌彦神社と魚沼神社が天香山とつながっていたなんて、知りませんでした。もっと学習しなくちゃ。
尾張の始祖天火明命をまつるらしいですね。
なぜ熱田神宮をさしおいて一ノ宮となったか。
たびたび氾濫を起こす木曽川を鎮めるために鎮座されたらしく、治水に貢献のあった香具山命を祀るというのも見かけました。
神武天皇に大和をわたして、香具山命は尾張や越の国に行かれたのではないでしょうか。
わたしもお名前がなかなか頭に入らなくて。
最後にリンク貼ったページも難しかったですけど興味津々でし^^
ご参考までに
淡墨桜と継体天皇(1) 根尾の淡墨桜と真清探当証
http://ameblo.jp/dr-hirokon/theme6-10045330642.html
あの東の辺りがとっても気になっているので地図見てみます。
櫛真智命さんは、渋谷にいらっしゃるので気になっていますし櫛付くんで関わってきそうですけど出雲かと思ってたら奈良にあるのにびっくりです。
で神社名がそのまま天香山にいるっていうのがやはり言わないとまずいと思ったのか逆にここにいることにしたいのかそこの見極めがどっちなのか気になりますね。
あかつちも鉄分ですかねえ?年末に大事な土で出来た物が届いて調べたような気もしますがすぐ抜けますのでまた調べてみます。
あとそうだなあ、ウマシマジはクシマチさんと関係ありそうですし個人的には血の繋がりも感じます。ニギハヤヒってのは私分からないんですけど、個人的には血がない兄弟のように思うので ニギハヤヒの直系のウマシマジがいるようになっている事が混乱を招くように思ってます。
今後違う情報なり、身の周りの関わりで何かあったら直系でも受け入れたいと思ってますが今はそう言う見解でおります。
大物主とも関係しそうなのと天智天皇や継体天皇との接点も感じますね。一時のことなのか?とも思えるのですけど各時代にその関係が出てくるのを考えると相当古い時のエピソードの上書きがあって毎回そんな状況になってしまうのかとも思ってます。
とにかくこの辺りは解釈は相当難しいのでただ奈良の橿原にクシマチさんの神社があった事をまず頭に入れていきますね、ありがとうございます。
渋谷は谷地なので山と谷の崖地としたら東寄りになるのですがどんな結果も人間の力ではどうにも出来ない地形のみで理解してみますね。4457
東側でバッチリです。もっと南に行くと私が気になる地です。そして石舞台の近くの飛鳥稲淵宮殿跡辺りがニフにならないかなあ?と妄想しております。古墳もこの辺りは東北とか岡山辺りと関係ありそうな地であり太陽の信仰の匂いがしますね。忘れちゃうのでそれは入れておきますね。7世紀栄えていた地なのは遺跡でも確かみたいですね。600年代ならば一番大事な時代ですよ。この辺りの時代は東北福島岡山近江と間違いなく交流していた一族の軌跡があると思います。奈良でも特殊な方々だったとは思います。9281
信楽の近くではありましたが、笠か赤目だかの赤茶碗でした。
りひとさんが「あかつち」と書いてくださったので思い出しました。
お返事書くまでずっと記憶の中探ってましたが、その焼き物の名前が思い出せません。
とうじ、なんで赤茶碗だったのかなぜ赤土だったのかも話されてたような気がするのに、これも一緒に忘却の彼方です。
土の成分を見極めていた民族がいるのは確かでしょうね。その良さを資源を大事に使い、専門知識を共有していた方々がいたはず。ただそこにその物の材料の貴重さと作る方々の苦労を知らずにかき乱すような事がこの時期あったかもしれませんね。ここもまだ掘りたくはないですのでスルーします。
イツヘもそうですが自然と人間の知識や技術の集合、それに単純に敬意と尊敬を感じます。その大切さを感じれるか?お金や権力ではどうにもならない物があると知っているか?で行動が出るはずです。見極めになりそうです。
櫛の方と村雲さんも大好きですけどなんとなく系統があっちゃこっちゃに引っ張られているようにも見極めは行動のエピソードで分かるはず。協調出来る方はむやみにたたかいふっかけないはずなので。
弥彦にも同じ感じがしますね、奈良から新潟方向もいい感じに広がりますね。あともう一個何か思ったけど忘れました。
そうだ継体天皇と天智天皇ですね、この流れは大事ですよ、赤っぽく見えるけど青で知性的。自然神由来なので荒れると怖い。地形由来でしょう。地層も出やすいのはそんな所なので土にも詳しいのかも。各地の朝倉とか、治水の石の水路とか排水の知識とか?で蓮華紋の瓦とかもそうかな?
孝徳の初期難波宮と大津宮近くでも出てますね。
あと天智天皇は和歌にも親しんでますね。昨日見た初期難波宮の本ではカナも全部一文字ずつの漢字の木簡も出ているので孝徳の頃にはあったはず。水の制御を都建設の前に知識もある。
全国の孝徳とのゆかりで共通項が出てきそうですよ。645の年号も初期難波宮城この頃から都移動大変ですけどベースにいた民族に関わるのは孝徳、天智天皇と同じベースのはずなんですけど本当不思議ですね。2009
大麻等乃知神で占いの神
占いの神と言えば太玉命
その末裔の忌部氏が徳島で建てたのが大麻比古神社
そのご祀神が大麻比古神(太玉命)
日本神話の天の岩戸の段では、太玉命は天香具山にて占いを行って榊を持ち帰ったとの記述あり
大麻(おおあさ)じゃなくて大麻(たま)って古代では読んでいたのかも
大麻比古神(おおあさひこのかみ)が別名天太玉命(あめのふとだまのみこと)。
そのうち徳島の大麻比古神社へ行きたいと思っていました。
来年は新天皇の即位で、三木家が大麻(おおあさ)の布でできた麁服(あらたえ)を献上されるのですね。
昨今の薬物乱用防止での大麻(たいま)は、日本古代からのおおあさとは違うものだと聞いたことあります。
たいまとおおあさとごちゃごちゃになってしまったのでしょうか。
たいま、を漢字変換では、大麻、当麻、対馬、太間、いろいろあるものですね。
>大麻(たま)って古代では読んでいたのかも
たま、だと漢字変換は、玉、魂、球、珠、多摩、
占いにもの関係しそうな気がします。
その占うときにおおあさの布を下に敷いたのか、燃やしたのか、煙を吸ってらりったのか…
読み仮名については説明足らずの様ですいません
櫛眞知命の元名は大麻等乃智神(おおまとのちかみ)なので、ここでは大麻をおおまと読んでいるんです
それで、阿波の方も天香山の方も、本来は「たま」の所を何かを隠すようにわざと読み方変えてるのかなって
蛇足となりそうですが、同じく櫛眞知命を奉っている武蔵御嶽神社及びに大麻止乃豆乃天神社の地名が多摩…
古代の関東は天孫降臨時の付き添いの神様+αの末裔が集まったカオスな地なんで、武蔵国の大伴部氏(大伴氏の傍流で、思金神の末裔)、常陸国の中臣氏(天児屋根命の末裔)、下総国の物部氏(邇藝速日命の末裔)、そして安房国の忌部氏(布刀玉命の末裔)が入り乱れてぐちゃぐちゃだったのかもしれませんね
いい加減な当てずっぽうで言えば、阿波忌部氏の皇位継承順の低い皇子の物部氏への婿入りを意味しているのかもしれません
あるいは、忌部氏分家の出雲忌部氏の祖神が櫛明玉命なので、そっちの方なのかもしれませんね