秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

犬挟峠と人形峠、それぞれの伝承

2016-04-18 | 旅・中国&四国地方


中国道から米子自動車道に入り、湯原ICで降りて、国道313号線経由。
やっと昼食場所となる道の駅「犬挟」に到着したのが12時半ごろ。

地図見てて「犬挟」をなんと読むんだろうとひとしきり話題になった。
看板のふりがな見てやっと判明。



その後も、車中で何度も、なんて読むのクイズで盛り上がった。


鳥取県の関金町にあるが、岡山県に近いので岡山県真庭市と共同で営業している日本でも珍しい経営形式の道の駅だそうだ。
関金わさびが、生粋の国産わさびとして有名らしく、生わさびも販売されてた。

地車隊の旅行では出発前に旅行費用を渡しているので、行き当たりばったりの店で一人千円札が配られ自由昼食となる。
足りない場合は自分で補充し、余ればおつりは好きに使ってもいい。

ココでは蕎麦とわさびやろうと、選んだ昼食は


とろろわさび丼とざるそば、大正解だった。
850円ぐらいで、おつりはもらった^^


犬挟峠は、標高313m
国道313号線が、鳥取県中部の倉吉市関金町から岡山県真庭市へ抜ける主要道路となっています。
その犬挟峠の国道沿いに平成10(1998)年8月8日
道の駅犬挟(いぬばさり)オープン。


なんかけったいな地名にはワケがある。
この犬挟の由来は何ですかと尋ねると、プリントした紙をくださった

1)鎌倉時代に後醍醐天皇が北条方に追われて通ったことで、蒜山地方ではこの峠を「院走り峠」と呼び、「いんばしり」が「いんばさり」となり「いぬばさり」となったという説
2)4世紀ごろ、古墳時代に日本武尊が西国平定のため国境の矢筈ヶ山(やはずがせん:標高1359m、大山の北東に位置する)から「この矢のとどく限りの敵すべて従え」と言って矢を討ったところ、これが峠にささったことから「矢ばささり」となり、これが変化して「犬挟」となったという説
3)犬でも狭い道だから「犬挟」となったという説
4)狭くて急な峠で犬すら逃げる「犬ば去り」から「犬挟」となったという説


この犬挟峠は、すでに奈良時代には、因幡国の智頭と播磨国の佐用を結ぶ志戸坂峠とともに、小鴨川上流から蒜山を越えて勝山に至る道として犬挟峠が拓かれていた
後に拓かれる他の陰陽連絡路と較べても道中が平坦で、峠の標高も低いことから盛んに利用されており、備中往来と呼ばれるようになった。

ということは、狭い急な坂道で犬挟、とか犬でも逃げるという由来はおかしいね。




小中学校の時代、たしか中国山地にウラン鉱の人形峠習ったなと地図を確認した。




江戸時代になると、現在の国道179号の原型となる津山往来が整備されるようになり、田代越、人形仙越、打札越の3ルートがあった。
1912年(明治45年)に山陰本線が全通すると、山陰と山陽の往来の手段は鉄道が主流になり、これらの峠越えルートは廃れてしまった。

ところが、太平洋戦争後の1954年(昭和29)天神川本流や三徳川の上流域でウラン鉱が見つかるようになり、1955年、県道倉吉津山線の頂上付近でウラン鉱の露頭が発見された。
鉱山は「人形峠ウラン鉱」と命名され、旧来の打札越はこれ以来「人形峠」と呼ばれるようになった。
1960年代から1970年代にはウラン濃縮原型プラントも建設され採掘から精錬までの技術研究を行ったが、現在は採掘は中止されている。
ここで初めて製造した塩化ウラニルは茨城県の東海村の施設へ運ばれた。

1973年オイルショック期にはウランの取引価格は高騰のピークを迎えたが、1979年にアメリカで起きたスリーマイル島原子力発電所事故を契機に、ウランの国際的な取引価格は下落しピーク時の半分に。
この結果、経済的には国内でウランを精製するよりも、海外から輸入するほうが安価で安定していることから、人形峠でのウラン鉱の採掘は中止されることになった。
2001年にはウラン濃縮原型プラントも閉鎖。
しかし、人形峠など各地のウラン探鉱活動で生じた微量の放射性を帯びた残土は約45万立方メートル、約100万トン。
残土処理ですったもんだしたが、2008年に処理施設が完成。
搬出された残土は日本原子力研究開発機構によってレンガに加工され、2010年12月13日までに約145万個が製造され、一般向けには「人形峠製レンガ」として販売している。
レンガの放射線量は安全としており、文部科学省の新庁舎のほか、現在までに各地で花壇や歩道の整備などに使われている。




この峠に人形峠の化け物退治の伝説が残されていました。

峠にはかつて、巨大な蜘蛛がいて峠を越えようとする旅人を捕食していた。
あるとき、これを退治しようとするものがおり、藁人形の囮を峠に設置すると、大蜘蛛が囮に襲いかかった。
その隙に大蜘蛛を弓矢で射殺し見事に退治することができた。
以来、この峠を「人形峠」と呼ぶようになった。


あれあれ?
1955年
>旧来の打札越はこれ以来「人形峠」と呼ばれるようになった。

その巨大な蜘蛛の化け物退治の時代はいつなんだろう??
もしかなり昔からあるのなら、それは3つのルートのうちの人形仙越のほうかも。


このほか、人形峠環境技術センターのホームページでは異説が2つあると書かれてありました。


11 コメント

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人形峠 (りひと)
2016-04-26 12:03:02
昨日、調べた地名がありびっくりです。
なんでしょうか?この追っかけのような流れ、師匠についていきます。
また、最近の私の流れは南朝でもあります。1215?元寇やその頃もなぜかとても気になる所です。
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りひとさんへ (ulala)
2016-04-26 16:41:00
この犬挟、イヌバサリ かなり興味持ちました。
そして人形峠にも、道にも。
国道179号線見たとき、一瞬176号と見間違えギョギョギョでした。
国道176号はココ最近事件続きです。
大阪は梅田新道が終点で、大阪駅北側の交差点で先だって暴走事故がありました。
そしてつい最近、新名神の工事中橋げた落ちたのはこの176号を跨いでた地点。
この道の起点は天橋立のある丹後宮津ですって。
原発林立する若狭湾まで176号線が繋がってます。

南朝といえば、日曜日最後に行った天河弁才天でも南朝の元宮見たような・・・。
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犬も確かに。 (りひと)
2016-04-26 18:18:33
返信ありがとうございます。
志貴皇子の時も納得した事がありましたが今回もタイトルにある犬で自分に関わる事で発掘してみたい思います。両脇に犬みたいに感じます。179と176も了解しました。9と6は反転すると同じなのに質が違うんですよね、9になると戦うようになるような?この数字、陰陽で黒と白の王子のイメージがあります。水神が関係するのも確かでしょうね。天河も少し掘ってみます。そうか、鉄と銅に関わる水神さんかも。ベースはおんなじなのに取り巻きが違うとも思います。赤と青なんかお不動さんみたいですね。混ぜて紫になって欲しいとも思います。私は青応援してますね、どうやら。赤も追ってたのに今は青みたいです。9155
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りひとさんへ (ulala)
2016-04-27 11:08:43
今回のメッセージは深すぎて、咀嚼しきれません、申し訳ない。
また何か気づいたら追記させてもらいます。
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猪から犬なってその後かも? (りひと)
2018-12-18 20:18:01
ちょっと面白くなってきましたよ。
多治比と犬飼って繋がりますよ。争っていないかも?継承していると思えば来年の猪年の守り本尊阿弥陀さま(浄土の法然さん)も喜ぶかも?
おそらく奈良から兵庫香住(鳥取も)に飛んでる?
鎌足神社はあるみたいです。産湯井戸系ですね。
その後鳥取の日本海側から犬挟峠ですかね?
流されたとか派遣されたとかが原因かもしれませんけど多治比さん系は動いてるかも?です。
そして岡山で桃太郎の仲間になのかな?移動の動きはだいぶ見えてきましたよ。

タジイさんってやっぱ凄いですよ。今日は18観音の日、18代天皇反正さんも喜ぶといいですね!

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りひとさんへ (ulala)
2018-12-19 09:52:26
犬飼でもあったムゲツ氏、そこで「ムゲツ タジイ」でぐぐったら、8月の拙ブログがヒット。
あの養老の滝の記事で、どうどう巡り。

産湯の井戸といい、水の祭祀といい、繋がりは濃厚にあったのでしょう。
お正月は香住の方へカニ食べに行きますが、あの柴山に丹生神社あるんです。
丹後、但馬を通って山陰へと日本海側、これからもホットな地域になりそうです。
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Unknown (りひと)
2019-06-27 22:59:21
あれ〜?タイムリーです。
ランキングで久々きた記事ですけど、せきがねってなんか出てきたんですよ。お寺回りしていて。松平さん絡みなのでしょうか?倉吉とか。どうも物部って言ってるけどそもそも物部とか忌部とかなんかズレてそうなんですよね。

でうららさまが出会うムゲツ氏とか犬養氏とかで考えるにと方向、うちの関係で絡む近江佐々木氏とか京極氏の方向がどうもどこかで一致してくるんではないかな?と思ってます。別件でのワークで岐阜と奈良と水分神との接点ある一族っぽいんですよね。
記事の辺りも関係ありそうで深読みしています。

東京も痕跡がどんどん消されてきているのですけど、事実があればどこかで誰かが必ず伝えていますし、その役割を果たさないと相当お水お被害がくるのも明らかですよ、地形的にも。江戸川区は今回テレビでも区外にって警鐘鳴らしているって凄い偉い区ですよね。
安心だって言いながら蓋を開けないよりも、蓋開けて欲しいですもん。蓋開けてから対策考える事は、早くすればするほど楽なのに。という事で江戸川区も大昔からおそらくお水制御の一族が関わっていた可能性は高いですよね。

で接点があるのは大阪です、万葉の頃や伊勢が出来た頃とか。それでその後源氏しか何も残っていないので大阪からもヒントあるんではないかな?そして記事のあたりも。

ランキングのタイミングって面白いですね、びっくりです。
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りひとさんへ (ulala)
2019-06-28 09:21:29
この記事は時々ランキング10に上がってきますが、なにがヒットするのでしょうね。

今は三毛猫の子猫二匹で右往左往してますので、つくづく猫の遺伝子も考えさせられます。
ギズモはチンチラゴールデン、もぐちゃんはスコティッシュホールド、ともにおっとりしてました。
ギズモがダッシュすることはあっても、基本はのっそり歩いてました。
今の三毛猫は子猫でもあるからですが、ひょこひょこ身軽で、今朝はカーテンよじ登ってました。
ギズもぐの習性ではありえなかった。

猫も人もどんな風土で生まれ育ったかによって遺伝子は自ずから違ってくるのでしょうね。
猫の種類、人間の氏族は、気候や地形、食べ物によって習性も異なるのは当然だなとつくづく思います。
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Unknown (りひと)
2019-08-19 11:43:11
忘れないようにランキングでまたきたので入れておきます。ギズモともぐと三毛ちゃんったち。環境で才能や個性も違うかも?ですね。ギズモは別格でしょうからもぐと三毛のルーツが二匹の犬なのか鳥なのか蛇なのか?この前どこかで黒猫みたんでもぐちゃん思い出した所でした。

で産湯井戸の系統なんですけどロシア正教の洗礼式でのクレーム映像みてあれ〜?と思ったんですよね。

大昔からなんか文化伝わってきてないかな?と。湯島がまたねお湯系が怖いとはきくんですけど。

ギズモってお湯への反応どうでしたか?カモ系かな?とも家康とかもそうだし、道真さんも。

もぐはギズモとうまくやれてたし、三毛ちゃんたちはギズモいたらどんなでしょうね?

最近行くところ三島って地名があってびっくりですけど三島と三山ってのも似ているように思いますよ。それから徳川は三好きですけど、三島はかなり不思議に見えてこないんですよ。昔から超疑問でした。家康は恵比寿好きなきがするんですけどね。

その謎が三ルーツの猫ちゃんからみえてこないかな?と。記事内容と絡むかもう一度味わってみますね。
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りひとさんへ (ulala)
2019-08-21 06:03:06
静岡の三島は、淀川の茨木あたりの三島神社のカモ族が移動したのでは?
以前三島暦で記事にした記憶が。

さて、猫は一般的に水浴びやお風呂嫌いと聞きます。
しかし、私は時々猫にシャワーでさっぱりさせてるつもり、猫は嫌がってるかな。
今の三毛猫はメルちゃんはシャワー好きみたいで気持ち良さげ、キィちゃんは嫌がってるし、お風呂場に連れてくるまでも逃げ回ってます。

かつてのギズモは長毛種でお尻にウンチがついた時は否が応でも洗わないとね。
ギズモはそれが嫌でお尻にウンチついてる時は、洗われるのわかってるのでいつも隠れてました。
もぐちゃんはそれなりに逃げて捕まってシャワーされて…
猫それぞれ。
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