過去2回の千光寺参詣全く記憶残ってないのなんでだろ。
尾道1回目は2002年初夏?
海岸壁近いとこで背脂スープの尾道ラーメン食べた思い出だけくっきり😆
海岸壁近いとこで背脂スープの尾道ラーメン食べた思い出だけくっきり😆
3回目にして目に留まったアレコレ、続きです。
当時も見晴らし良かったと連れが言う。
千光寺境内は大きな岩がいっぱい。
鼓岩は別名ポンポン岩ともいう。
岩の上を石で打つと「ポンポン」と鼓のような音がするから。
右側に大阪城築城の時、搬出すべく割りかけたノミの跡。
右側に大阪城築城の時、搬出すべく割りかけたノミの跡。
本堂裏に、
半世紀を超えて甦った石鎚権現社。
かつての修行場くさり山(石鎚山)
鎖を伝って上に登れるようになってましたが、もう無理。
なんで石鎚山なんやろと思ってたら、鎮守なのね。
浄土寺山の鎖山にある石鎚権現さんの方向を向くそうだ。
すぐ横には冬至に岩屋の先に日の出が拝める御船岩があるらしい。
玉の岩
見逃したので、千光寺Webサイトから拝借。
玉の岩伝説は、
玉の岩の明りまたは朝日を西國寺山頂のタンク岩に反射させたという伝説も残るらしい。
その岩が、鏡岩。
鏡岩は伝説に過ぎないと考えられていたが、
2000年に寺院の裏側の大松が枯れ手入れをしていた際に、
玉の岩から北に30m離れた場所で、直径2mの円形のノミの跡が現われた。
古代の光通信?
2回目の千光寺参詣記録の、2012-11-19のブログ
異常に艮神社に感応したのもなんか繋がってそう。
この地図見てるだけでなんかワクワクします。
「万葉集」には「多麻宇良(たまのうら)」
ぬばたまの夜は明けぬらし多麻能宇良にあさりする鶴鳴き渡るなり
たま‐の‐うら【玉浦・玉之浦】
[ 一 ] 和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡那智勝浦町粉白(このしろ)付近の海岸。歌枕。
[ 二 ] 未詳。岡山県倉敷市玉島の海岸とも、広島県 尾道市に海岸ともいう。
千光寺は備後における熊野信仰の中心地のひとつ。
鎮守の熊野権現は、玉の浦繋がりもあるのかしら?
大宝山権現院千光寺は標高140m、尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、
弘法大師の開基(806年)
中興は多田満仲公と伝えられています。
珍しい舞台造りの朱塗りの本堂(1686年)は別名「赤堂」とも呼ばれ、
珍しい舞台造りの朱塗りの本堂(1686年)は別名「赤堂」とも呼ばれ、
林芙美子も放浪記の中で「赤い千光寺の塔が見える」と記す。
お寺のシンボル的な存在が、「赤堂」や「玉の岩」
お寺のシンボル的な存在が、「赤堂」や「玉の岩」
"残したい日本の音風景100選"に選定された「鐘楼」です。
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