秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

花山院と安倍晴明と@那智の滝

2018-03-30 | 西国33箇所


那智原始林で見かけた境界と彫られた石柱。
ちょっとこの先行くのはばかられる。

魔界との境界?なんて軽い気持ちでガイドさんに尋ねたら、
この辺は那智大社と国有地とかがいりくんでるから、とのことでした。






那智原始林のイラストマップ、


三の滝の上に「花山法皇在所跡 松の丘」と記されてあります。




西国33か所は、長谷寺開山の徳道上人が718年開創したもので、今年2018年で草創1300年キャンペーンしてます。

花山天皇は、退位、出家して花山院となり、この那智山で参籠していた折に熊野権現が姿を現し、徳道上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を授けた、とされます。

その花山を「かざん」と読むことを、この度の記事書くにあたり初めて知りました。




西国33か所は、1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。
海外からの特に白人の参拝客をたくさん見かけたし、TVでも熊野古道を歩く欧米人が増えたと言ってました。

熊野古道を歩くウォーキングツアーは数々催行されてますが、外人はガイドもなしで数人で歩いてたりします。

時代は遡り、1000年前も花山院とかが歩いて熊野行ったんですね。



花山院は、那智の大滝の上流にある3の滝付近で庵を結び千日の修行をされた。
那智での修行中には、天狗が現われ修行の邪魔をしたので、安倍晴明を呼び寄せ、天狗の妨害を防ぐよう命じた。
そこで、晴明は岩屋に多くの天狗たちを封じ込めて祈祷したおかげで花山院は無事に千日の修行を終えることができた。

というエピソードを知りました。

花山法皇(968~1008)
安倍晴明(921~1005)


なんと同じ時代でした。
興味を持ったので、花山天皇を調べてみました。




花山天皇は、生後10ヶ月で皇太子に立ち17歳の若さで即位された。
しかし、寵愛していた女御が亡くなると政治への関心を急速に失っていかれました。

摂関政治全盛期で有名な藤原道長の父、兼家は道長の兄の道兼に命じて、花山天皇に出家をたきつけます。
「出家して菩提を弔って差し上げるのがよろしいでしょう。私もお供して世を捨てます」
まんまと罠に嵌められて、天皇だけ出家させられるという前代未聞の大珍事。
花山天皇には子供がいなかったので、兼家の娘詮子が産んだ懐仁親王が皇太子になっていた。
退位さされたので、先の円融天皇の子(懐仁親王)が一条天皇として即位するもわずか7才。
こうして藤原兼家が一条天皇の外戚、摂政となり兼家の家系は全盛期を迎えます。

これを寛和の変(986年)という。


妻1:藤原時姫(藤原中正の娘)
長男:藤原道隆(953-995)
三男:藤原道兼(961-995)
五男:藤原道長(966-1028)
長女:藤原超子(954?-982)冷泉天皇女御、三条天皇生母
三女:藤原詮子(東三条院)(962-1001)円融天皇女御、一条天皇生母

妻2:藤原倫寧の娘=道綱の母:蜻蛉日記の作者だった 
次男:藤原道綱 

他にも妻いましたが割愛

学生時代に古文で習ったコマ切れの固有名詞、人名がやっと繋がった気分です。



花山天皇と安倍晴明とのエピソードは他にもいろいろありました。

花山天皇が退位するという予兆を見て急いで参内し報告しようとしたが、既に天皇は寺へ向かっており、時既に遅し。
大鏡の花山院の段にあるそうですが、これは後世の読み物です。
実際は、安倍晴明は予言ではなく、当時の情報網の中枢近くに居たことで情報を得ていたのではともいわれています。

追われるように京を発ち、熊野に向かった花山法皇。
いよいよ那智に入って、

石走る滝にまがいて那智の山高嶺を見れば花の白雲




二人とも、前世では大峰(吉野と熊野を結ぶ修験の山々)の行者だったと伝えられています。


その後、花山院は992年ころに帰京するも、僧籍にありながら好色ぶりはすさまじく大勢の女性と関係をもったようです。
そこからまた次の騒動を生み、藤原道長の時代へと進んでいきます。

藤原道長は、円融天皇女御で一条天皇生母である藤原詮子の弟で、かわいがられていたため、藤原兼家亡き後、お鉢が回ってきたようです。


波乱万丈の一生を送られた花山院、熊野と深くかかわられた不思議な存在。

青岸渡寺、参拝三度目にしてやっと気づいた花山院の逸話でした。







11 コメント

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ノータッチしたいですが。 (りひと)
2018-03-30 20:25:33
熊野詣って結構天皇さんとか上皇さんとか関わりますね。そこも気になっていましたよ。
歴史って現在と未来と違って結果が見えるんでその先どうなって行くかで分岐点の判断し易いです。でまた晴明さんが出てくるとは全く思ってませんでした。で私の立ち位置も閉じ込められた天狗さん側なのか?と妄想しちゃいましたよ。厳密には父の方で私は烏かなぁ?護符もノータッチでしたけどそろそろ時期かも。

なので念仏とささらと舞辺りで流してみようと思います。過去は過去でそこから何かを学ぶのみ、くがたちのように相手が自然に正しくするようになって行き許せるようになっていきたいです。
相手で出方次第なのですが、護りを重視したいですね。甘いのかなぁ?平和であって欲しいですね。

そうそう熊野で五輪塔って見かけられたか?そこが気になります。3901
別件も超なんだか進んで今日は東京地震もあったんで暫くひっそりします。3901
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Unknown (TM)
2018-03-31 10:56:54
花山院についてはほとんど知らなかったので、とても勉強になりました。

花山天皇のエピソードを伺って「源氏物語」の世界を連想しました。源氏物語は道長の世代ですが、華やかな宮廷生活の裏には妬みとか裏切りとか人間の悲しいドラマがあったわけですね。それがまた源氏物語を偉大な文学作品にしている要素でもありますけど。

巡礼の背後には長く積み重ねてきた歴史、宗教、文化があるので、自然を楽しむトレッキングとはひと味もふた味も違いますね。
ヨーロッパにも同じような巡礼文化があるので、多くの人々がひきつけられるのでしょう。

それにしても修験道にふさわしい険しい巡礼路ですね。私にはとても無理ですが、写真をたくさん載せていただいたので、気持ちだけは感じることができました。
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りひとさんへ (ulala)
2018-03-31 12:55:04
安倍晴明 登場で私もびっくりでした。
熊野の天狗って誰やねん、これも気になりましたね。
五輪塔もどこかにあるのかもしれませんし、あったかもわかりませんが、自分に関心ないときは、見れども見えず、ですから。

昨日は書いてくださった、「ささら」を調べてました。
うののささら、うののさらら がヒットしましたわ。
HNうららは、うののさららもベースにあります、実は。
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TMさんへ (ulala)
2018-03-31 13:03:31
安倍晴明はもとより、藤原道長、清少納言、紫式部と繋がって、ひゃぁ~
学校で古文や日本史習う時、先生方もこうしたドロドロをもっと混ぜて語ってほしいですね。
寛和の変(986年)でリンク貼った「大人になってから学びたい日本の歴史」めっちゃ面白かったです。

それにしても、訪米人はサンチャゴコンポステーラを歩く人も多いと思いますが、この極東の熊野古道にまで来て歩くその姿勢、向学心?に脱帽です。
私は今後も熊野古道を歩くことはないと思います^^
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ははは! (りひと)
2018-04-03 09:48:42
そうなんですね!
祖母が百人一首が得意でしたが春過ぎての首は、譲ってくれてました。ただ持統さんも仁徳さん同様好きな部分と苦手な部分がありまして複雑です。らが付くんで安曇だとは思うんですけど、さららだとちょうど安倍晴明さん出てきたんで個人的には違いはこだわっておきますね。ヤバい系も混在しているのは確かに感じるので。ささらのさが二つで、竹素材か木素材にこだわって自然神と関わってみたいです。

高野山は五輪塔結構出てきますよね。なのでちょっと聞いてみましたよ。安曇そうなんですけど五輪塔かで私と相性が良いのかが分かるんです。九州の阿部島でも五輪塔の方気になっています。
大阪の晴明さんのお墓どうだったかな?あべのも字で色々あるようなので自分が安全な方を選んでます。
外国人のランキングでスカイツリーも出てきましたね、あべのハルカスもかなり個人的には気に入りましたよ。熊野と大阪も気になってきました。
ありがとうございます。2553
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りひとさんへ (ulala)
2018-04-03 15:52:27
更生保護の歴史を調べてた時に、持統天皇が恩赦で罪人を許したのが初めてと知りました。
最初の火葬にしたというのも葬送を変えるというのは勇気があるというか、普通の日本女性と違うのではないような…
かなりフレキシブルというか、民族が違うのかのごとき不思議を感じて。
百人一首は一番最初が天智天皇で、二番目が持統天皇です。
これも気になっていたころに付けたHNでしたから。
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ヒントになりそうです。 (りひと)
2018-04-03 21:58:20
恩赦ですか?いいですね!野見宿禰は亡くなった人の供養での死を埴輪にしたって言われてますよね。罪人にもっていうのもお人好しとも言えますが私そういう方好きですね。ただ現実は、ダメはダメって言える方も必要な世になってますね。
フレキシブルいい表現ですね。そんなコメントでちょっと持統さんの後ろにいる候補者見つかりましたよ。一番天智天皇で二番持統って言えば額田かな?とも。でダメって言えるのが鎌足だと面白いですね。ダメって言える人がいないとどんどん日本はおかしくなってしまう。自民党でも書き換えされた事追求してくれる方出てきて欲しいですね。

火葬については、もがりという期間を短縮してしまったと思っておりましてルールを変更してしまう事には若干違和感覚えてします。人間に優しい理由なのであればもちろん好感持てますのでちょっとそこも調べてみますね。吉野には相当行ってるみたいです。ここで書いてますけど熊野とどう関わるのか?後で関係してきたら面白いですね。
2614
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りひとさんへ (ulala)
2018-04-04 11:27:48
先日来りひとさんのコメントで吉野が何度か登場してますが、那智の旅で和紙のことで吉野が出てきてたので、記事にしました。

HNを うららにしたころ、ハルウララという地方競馬を沸かせた馬もいましたね。
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バランスを保ちます。 (りひと)
2018-04-04 19:08:39
そう馬関係しそうですよね。馬頭牛頭も。どちらも厄介なので穏やかに自然の中では謙虚に人間のちっぽけさを肌で感じたいです。熊野のお水、空気いつの日か味わいに行きたいですね。
紙の原料も気になりますね。織田信長って熊野って接点なかったのかなぁ?ヒントありがとうございます。東京では熊野と縁があるのは王子です。別件で王子にも行かねばと、そうそう王子にある飛鳥(飛鳥いったばっかですけど全く関連考えてもいない全く)山の上に紙の博物館ありますよ!五年以上ほっといた何かが動き出してきたかも?
超凄いヒントになりそうですよ。紀州さんは何かご存知でしょうね。

王子神社は、田楽舞と槍(お家に眠ってます)。
洒落じゃないんですけど、蝉丸神社がありますよ。髪の毛の神社です。カミ違いですが。かつらメーカーのお名前も見られますよ。百人一首でも蝉丸超得意札でした。岐阜の関も気になってきますね、五郎丸ポーズの仏像って如来かな?3137
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うららさまやばいっす (りひと)
2018-04-04 21:32:57
王子って皇子と違って大昔からこだわってたんですよね。熊野王子とかそのあたりも散々調べた時期あったんですけど、かなり遠回りしましたよ。
あべのハルカスの近くに昔阿部寺があったみたいですよ!阿部島と同じ字ですし、近くに王子神社があるようです。ちょっと鳥肌もの。
ハルカスでは相当暇つぶしをしましたけど前回はお供のせい今回は雨のせい近くの地図も見ることもなしでした。茶臼山も行きたかった理由がありそうです。中大兄皇子の皇子と違う王子は南からの赤の方。熊野とあべさんも去年東京の神社でびっくりしましたが本家の和歌山でも。びっくりですけど嬉しいです。個人的な事なのでスルーで良いですからね。4/4いい日になりました。6790
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