この図は、いやさかの木さんのブログ
2011.06/15常神94(串)ラインより拝借しました。
先の記事「春を呼ぶお水取りと お水送り」で書きましたが、
毎年3月2日この水を汲み出し、少し上流の鵜の瀬で遠敷川に流されます。
10日後にこの水が東大寺の「若狭井」に届くとされ
3月12日にお水取りが行われます。
東大寺二月堂と若狭神宮寺は100km近く離れています。
しかし方位は、ほぼ真北。
若狭神宮寺 (東経135度46分58秒)
東大寺二月堂(東経135度50分23秒)
言い伝えでは、奈良と福井には地下の水脈があって、その水筋を通ってということになってます。
不思議でしょう~
お水取りをする二月堂は過去に何度も記事にしています。
水とりがすむまでは春まだ遠し、と関西ではいわれています
とブログ初めて1年に満たない2006年2月に記したのが最初。
お水取りというフレーズはよく耳にしても、実際見に行ったこともない人がほとんどだと思います。
数年前からぼちぼちその地をフィールド調査するようになった記録は以下のとおり。
2013-02-24 二月堂を鎮守する神々
2013-02-23 二月に修する、水と火を使った本行「修二会」
2011-05-21 東大寺修二会の青衣女人
2011-05-20 東大寺修二会のお水取りって、小浜から
2009-04-16 仏教と思いこんでたけれど
2006-02-05 凍てつく寒い朝、人生いろいろ、趣味もいろいろ
このブログのひとつのテーマみたいですね。
そのつど検索を重ねてますので、だいぶ知識は増えました。
江戸時代の奇談にもこの水脈はでてきます。
井原西鶴『西鶴諸国ばなし』巻二「水筋のぬけ道」に「奈良の都へ若狭より水の通ひありと伝えし」と。
若狭と奈良をつなぐ地下の水脈を通ってドザエモンが上がったというお話です。
いやさかの木さんのブログでは、
東経135度50分前後5分のラインに、この国の歴史のエキスが凝縮されています。と書かれてあります。
その中に 比叡山 日吉大社の山王権現とオオナムチ も登場します。
根本中堂 東経135度50分
日吉大社 東経135度51分
2014-12-11 水の神さまなのに樹下宮とはこれいかに
日吉大社東本宮の樹下宮、社殿右下に井戸があり、お正月に若水を賜ることを去年秋に知りました。
箸墓古墳 東経135度50分
石上神宮 東経135度51分
大神神社 東経135度51分
天河大弁財天社 東経135度50分
玉置神社 東経135度50分
熊野本宮大社135度46分
熊野那智大社135度53分
熊野速玉大社135度59分
本州最南端潮岬 東経135度46分
串本トルコ軍艦エルトゥールル号遭難記念館 東経135度51分
この一年間、なんか無意識のうちに東経135度50分子午線上あたりをうろうろしてました。
生命の樹と対比した図は→こちらのブログより
近畿に、上のような生命の樹が隠されている
近畿の生命の樹の頂点にあるのは、"若狭" で、
お水送りの行事は、「気学」に基づくものですが、若狭と奈良が繋がっているという考え方は、生命の樹の中央の<均衡の柱>で、若狭と奈良が通じていることに関連すると思います。
と書かれてあります。
TMさんのブログで「寒川神社&玉前神社」に初詣に行かれた話しが書かれてました。
「春分・秋分の日の朝日が、上総一ノ宮玉前神社、寒川神社、富士浅間神社、富士山頂、七面山、竹生島、元伊勢、大山、出雲大社を一直線に結ぶといわれています」
と、コメント残しましたがこの地図の横のライン「ご来光の道」だと思います。
★追記
東経135度がらみでいろいろ調べてみました。
というのは、135度50分 と 135度47分 で少し違いがあるような気がしたからです。
時代が進んだことによっての変化かもしれないとも思えました。
古代奈良の低い部分は水がたまって奈良湖だったようで、山の辺の道あたりは陸地でした。
東経135度51分は、山の辺の道あたりに該当するので、
石上神宮(東経135度51分)大神神社(東経135度51分)
謎の《東経135度47分》星の道 について書かれたブログより
神武天皇の宮があったとされる地に創建された橿原神宮(東経135度47分10秒)
神武天皇の長子でありながら弟に皇位を譲ったのでミシリツヒコ
多氏の祖神である神八井耳命を祀った奈良県田原本町の多神社。
多坐弥志理都比古神社は 東経135度47分11秒
この東経135度47分の経度線の、地図に記された一番下は、
熊野本宮大社大斎原(東経135度46分29秒)
さらに線を伸ばせば、串本の潮岬にある朝貴神社(東経135度47分43秒)
そして、上の印が平城宮の大極殿(東経135度47分39秒)
平城京ができた時代に構築された常神94(串)ラインは、東経135度47分あたりということになりますね。
光明皇后は皇太后になられ、その紫微中台に「十一面観音悔過所」があり、
そこで最初期の「十一面観音悔過行」が行なわれたようです。
修二会が創始されたはずの大仏開眼の年には、現二月堂が建つ所に建物はなく井戸一つだけがあったそうです。
2011.06/15常神94(串)ラインより拝借しました。
先の記事「春を呼ぶお水取りと お水送り」で書きましたが、
毎年3月2日この水を汲み出し、少し上流の鵜の瀬で遠敷川に流されます。
10日後にこの水が東大寺の「若狭井」に届くとされ
3月12日にお水取りが行われます。
東大寺二月堂と若狭神宮寺は100km近く離れています。
しかし方位は、ほぼ真北。
若狭神宮寺 (東経135度46分58秒)
東大寺二月堂(東経135度50分23秒)
言い伝えでは、奈良と福井には地下の水脈があって、その水筋を通ってということになってます。
不思議でしょう~
お水取りをする二月堂は過去に何度も記事にしています。
水とりがすむまでは春まだ遠し、と関西ではいわれています
とブログ初めて1年に満たない2006年2月に記したのが最初。
お水取りというフレーズはよく耳にしても、実際見に行ったこともない人がほとんどだと思います。
数年前からぼちぼちその地をフィールド調査するようになった記録は以下のとおり。
2013-02-24 二月堂を鎮守する神々
2013-02-23 二月に修する、水と火を使った本行「修二会」
2011-05-21 東大寺修二会の青衣女人
2011-05-20 東大寺修二会のお水取りって、小浜から
2009-04-16 仏教と思いこんでたけれど
2006-02-05 凍てつく寒い朝、人生いろいろ、趣味もいろいろ
このブログのひとつのテーマみたいですね。
そのつど検索を重ねてますので、だいぶ知識は増えました。
江戸時代の奇談にもこの水脈はでてきます。
井原西鶴『西鶴諸国ばなし』巻二「水筋のぬけ道」に「奈良の都へ若狭より水の通ひありと伝えし」と。
若狭と奈良をつなぐ地下の水脈を通ってドザエモンが上がったというお話です。
いやさかの木さんのブログでは、
東経135度50分前後5分のラインに、この国の歴史のエキスが凝縮されています。と書かれてあります。
その中に 比叡山 日吉大社の山王権現とオオナムチ も登場します。
根本中堂 東経135度50分
日吉大社 東経135度51分
2014-12-11 水の神さまなのに樹下宮とはこれいかに
日吉大社東本宮の樹下宮、社殿右下に井戸があり、お正月に若水を賜ることを去年秋に知りました。
箸墓古墳 東経135度50分
石上神宮 東経135度51分
大神神社 東経135度51分
天河大弁財天社 東経135度50分
玉置神社 東経135度50分
熊野本宮大社135度46分
熊野那智大社135度53分
熊野速玉大社135度59分
本州最南端潮岬 東経135度46分
串本トルコ軍艦エルトゥールル号遭難記念館 東経135度51分
この一年間、なんか無意識のうちに東経135度50分子午線上あたりをうろうろしてました。
生命の樹と対比した図は→こちらのブログより
近畿に、上のような生命の樹が隠されている
近畿の生命の樹の頂点にあるのは、"若狭" で、
お水送りの行事は、「気学」に基づくものですが、若狭と奈良が繋がっているという考え方は、生命の樹の中央の<均衡の柱>で、若狭と奈良が通じていることに関連すると思います。
と書かれてあります。
TMさんのブログで「寒川神社&玉前神社」に初詣に行かれた話しが書かれてました。
「春分・秋分の日の朝日が、上総一ノ宮玉前神社、寒川神社、富士浅間神社、富士山頂、七面山、竹生島、元伊勢、大山、出雲大社を一直線に結ぶといわれています」
と、コメント残しましたがこの地図の横のライン「ご来光の道」だと思います。
★追記
東経135度がらみでいろいろ調べてみました。
というのは、135度50分 と 135度47分 で少し違いがあるような気がしたからです。
時代が進んだことによっての変化かもしれないとも思えました。
古代奈良の低い部分は水がたまって奈良湖だったようで、山の辺の道あたりは陸地でした。
東経135度51分は、山の辺の道あたりに該当するので、
石上神宮(東経135度51分)大神神社(東経135度51分)
謎の《東経135度47分》星の道 について書かれたブログより
神武天皇の宮があったとされる地に創建された橿原神宮(東経135度47分10秒)
神武天皇の長子でありながら弟に皇位を譲ったのでミシリツヒコ
多氏の祖神である神八井耳命を祀った奈良県田原本町の多神社。
多坐弥志理都比古神社は 東経135度47分11秒
この東経135度47分の経度線の、地図に記された一番下は、
熊野本宮大社大斎原(東経135度46分29秒)
さらに線を伸ばせば、串本の潮岬にある朝貴神社(東経135度47分43秒)
そして、上の印が平城宮の大極殿(東経135度47分39秒)
平城京ができた時代に構築された常神94(串)ラインは、東経135度47分あたりということになりますね。
光明皇后は皇太后になられ、その紫微中台に「十一面観音悔過所」があり、
そこで最初期の「十一面観音悔過行」が行なわれたようです。
修二会が創始されたはずの大仏開眼の年には、現二月堂が建つ所に建物はなく井戸一つだけがあったそうです。
インターネットで調べたら、このラインの先には洛陽駅や西安があるとか。ともに中国を代表する古都ですよね。何かの考えがあって、そこに都を造ったんでしょうか。
北緯34度で検索したら
http://magnoliachizu.blogspot.jp/2015/01/12.html
「東西の古都を結ぶ祭祀線」という項に北緯34度30分線上に、古代中国の首都がおかれており…
追記読みました。
なるほど!です。
深く追及しなかったけど、たしかにズレがあるんですよね。
いまの都市計画とはそもそもの発想がちがってて、ほんとにおもしろい。
日本国民を震撼とさせる恐ろしい宣戦布告です。
なにもそんなに力んでテロは断固許さないと言い切らなくても良かったのに。
というのは日本人ノンポリの日和見主義の最たるものなんでしょうか。
神は細部に宿り、仏は我が内にあり、
でしたか。
共存共有できないものなんでしょうか。
四方八方に護ってもらえるようにして結界を築いたはずの平城京。
大仏さんを金で覆うために使う水銀の毒で空気や水が汚れる。
そして住民の垂れ流す排泄物は奈良湖が後退したら水に流せなく。
あんなに堅固に構築したはずの都は内から汚され崩壊していったのでしょうか。
なんか気持ちが上むいてくれません。
大仏の金の日高見。
後藤さんも名古屋の女子大生も日高見。
CMの桃太郎と金なんて、
もろ日高見の金。
いまの僕らは日高見の桃太郎伝説に近いかもしれません。
って検索してみたら次のページ
http://www.infokkkna.com/ironroad/2008htm/walk5/0802oni00.htm#%E5%8F%82
私同様?の人おられるかもとリンク貼っておきます。
ついでにauの新CMシリーズ「三太郎」は
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1501/05/news093.html
http://www.au.kddi.com/pr/3taro/
あらためてちゃんと見ると、先だってキジにした24節気72候の「雉始雊」とリンクしてますね。
先のコメント返し訂正して再投稿しようかと思いました。
が、なんか数字の列がキレイで意味深なので残しときます。
めねふねさん 2015-02-01 23:23:11
ulala 2015-02-02 14:14:55
このブログキジ(記事)とライン、けっこうな核心ついちゃってるってサインじゃないですか?
ulalaさんのラインにそった上下動の旅も、偶然ではなく、伝えたいなにかがあるんじゃないかな。
アテルイも鬼ですね。
桃太郎神社も、桃生柵が設置された宮城県の石巻市にあるんですよ。
鬼ヶ島は金華山。
最後は鬼に退治されちゃう結末が笑えます。
http://makipedia.jp/mediawiki/index.php?title=%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E%E4%BC%9D%E8%AA%AC
金華山に黄金山神社がありますが、
湧谷町にも黄金山神社があって、東大寺大仏の、いわゆる陸奥の金を産出した場所だと伝えられます。
大仏開眼は752年。
蝦夷支配のために宮城県に桃生柵が設置されたのは759年。どう考えたって金に目がくらんだ政策です。
あのCMでは、おまえ金太郎じゃなくてカネ太郎だっていいますよね。
2010年の平城京遷都1300年祭は、事象的にも陸奥の金とつながっていました。
そして宮城を中心に東日本大震災が起きた。
後藤さんも宮城県です。
名古屋市昭和区でエホバとマリアを暗示した信じられない事件の女子大生も宮城です。
トルコで暴行殺害された女子大生も宮城です。
中国の選手と衝突した羽生選手も宮城です。
すべてつながってます。
安倍首相が後藤さんを通して最初に突きつけられたのも、「カネか命か」の選択でしたね。
これらの事象はすべて、ulalaさんがコメントを返してくれた平城京の姿とつながってくる。
平城は平成+土。
平城京を掘り起こして土を除いてそのホントの姿が見えたら、それが平成なんだと思います。
ただひとつ、この金華山だけは知ってました。
このブログ始めた2005年春、その金華山へ行こうとずっと調べてました。
たまたまヒットしたブログは宮城県のたぶん中高校の男性教諭らしき人。
部活を引率して金華山へ登る話が詳しく書かれてました。
その方にいろいろ教えてもらい、石巻の観光地図まで送ってもらったぐらいです。
当時ブログ始めたばかりで、匿名ブログのほうがいいですかねぇ~なんてお尋ねしたり。
結局金華山は訪れるチャンスなく今日に至ってます。
それから時は流れ、2011年東日本大震災で女川原発でてきてビックリ。
それまで原発には無頓着だったのでした。
で、今またこうして金華山の話しが出て来て、なんでやねん!?
きっと昔も今もずっと繋がってるし、そこに時間が存在してると思ってるのは私達人類だけかも知れませんね(^.^)
10年程前、カバラの生命の樹に凄く興味を持ちメチャ調べました!
左脳には残っていませんが・・・潜在脳にはちゃんと残ってます(笑)
私のブログ名もそこから頂いてます☆
このカバラの図と日本の地図上の生命の樹の図・・・とっても興味深かったです。。。キリストもですが、菩提樹の下にお釈迦様が座ってるというのも生命の樹とされていたみたいですね。。。
真の宇宙の真理ですね★★★
この図の提供者の方のページにもリンクしてきました・・・面白かったです。。。