このブログ始めたのは2005年4月で、すでに9年目に突入してます。
目に留まったもの、不思議に思ったものを、
便利になったネット検索を駆使して一つの記事にまとめるのは、頭の体操になります。
ボケ防止にお付き合いいただきありがとうございます。
いつもコメントで感想やご意見、アドバイスをいただく皆さま、こそっとお読みいただく隠れ読者の皆さまのおかげと、感謝申し上げます。
質オザサ店主ブログがスタートする前の2003~2004年の2年間で四国88ヶ所を廻りました。
現在は西国33箇所のうち21寺を参拝を終えました。
参詣した神社仏閣の数をちゃんと数えたことありませんが、上記お寺を足すだけで109になります。
だいたい名所旧跡って、城郭神社仏閣墓参りが多いので、旅先でも訪れることは多く、これらを合計すると…。
こんなにあちこち神社仏閣お参りしている割には信仰心薄いかもと、愛読者の皆さまは、うすうすお気づきのことでしょう。
まさにその通りでありまして、
好奇心が旺盛で、ちょっと人様よりフットワークが軽いだけとご理解下さい。
気軽に足を運んでしまいますし、不思議だなと思うと追求したくなります。
という前置きを頭に置いていただいて、
今回のタイトル「ちょっとみたことない不思議なお寺」に入ります。
つまり、オバケは怖いですが、何も見えたことありません。
枯れ尾花を幽霊と思って驚くクチです。
浄化とか除霊とかも体験したことないのです。
今回、勝尾寺で祈願者に同座しただけで、今までに体験したことのない感覚を覚えました。
これまでに2回にわたり、勝尾寺の話を書きました。
以前から、紅葉で有名な箕面にあるお寺という認識しかありませんでした。
近場なのでそのうちお参りして朱印賜ろうと思っていました。
たまたまそのチャンスが突然めぐってきたのです。
最初の画像は、山門を裏側から写したものです。
扁額のお寺の名前、勝王寺と書かれているのがわかるでしょうか。
勝尾寺は、王に勝つというのを恐れ多いと、王を尾に変えたと。
しかし、ここでしっかり主張されてて、ちょっと笑えますよね。
この山門をくぐるのに入山料400円を支払ったと先の記事で書きました。
その関所となっているのは、なんと休憩所レストラン「花の茶屋」でした。
弁天池と名づけられた放生池ではミストがたちこめ神秘的な演出されてます。
弁天堂があり弁財天が祀られていて、ほんの一部左側にたちこめたミストが写っています。
お土産などを売る売店で入山料を支払うなんて、いまだかつて見たことないし、ライトアップはよくあっても、ミスト演出は経験ないです。
超近代的なお寺です。
掃除は行き届いてキレイな参道、境内です。
あちこちに小さなダルマが置かれた画像をたくさん紹介しました。
ダルマみくじは底におみくじ入ってて、おみくじを見たあとダルマをお寺に残して行かれるのでしょう。
雨や風でいたんだダルマは、たぶん適当に処分されてるのでしょう。
これも演出ですから…。
参道階段上がったところに、多宝塔が見えるのまで計算されてるがごとく感じます。
この時点では、受験合格や、選挙当選など、なんとなく勝尾寺は現世利益の俗世間にうまく迎合した演出上手のお寺だと思えました。
本堂にたどり着くまで、神仏習合の名残である
「一願不動堂」「厄祓い荒神堂」
「鎮守堂」祭神は諏訪明神 八幡宮 金剛明王
そして、真言宗の「大師堂」を順に拝んでいきます。
本堂横の総合受付で、祈願を申し込み12時40分の所定時間まで待ちました。
時間になって、ほのぐらい本堂に着座したのはたまたま私たち一行3名だけ。
ご本尊は直接拝することはできませんで、前に大きな鏡がありました。
知人の祈願儀式ですから、私は何かお願いするのではなくて、同座したものとして心のなかでご挨拶申し上げました。
どこそこに住む○○です。
今年、暦一巡する還暦を無事に迎えることができました。
ありがとうございます。
この先もどうぞよろしくお願いいたします。
お坊さんのよく通る美声で、祈願することの姿勢、心構えなど丁寧に説明されます。
最初に呼吸を整え鎮魂を促されました。
しばらくして、般若心経を大きな声でものすごくゆっくりと一緒に唱えました。
お経を唱えたり説明してくださるお坊さんの声はよく通る声でしたが、さらにマイクが付いていてたぶん本堂外にまで響いていることでしょう。
もう一人のお坊さんは、大きな大きな太鼓をド~ンと打ちながらもお経にも唱和されます。
堂内の僧侶2名に祈願者一行3名が加わり参列者全員で般若心経、
続いて知らないお経をお坊さんが唱えられました。
ご本尊が十一面千手観音ですから観音経なんでしょうか。
その途中で、体の中心から、肌全体に粟立つような感じが起こり、その粟だちは頭の上に抜けていきます。
これって寒いからではないし、怖いわけでもない。
寒い時や恐怖におののいた時の鳥肌よりももっと細かいような不思議な感じ。
ものすごく細かな泡の炭酸風呂にでも浸かったなら肌の外側ですが、これは内側から起こっています。
丹田あたりに潜んだ邪悪なものが清められ浄化していくような錯覚を覚えました。
これは人生で初めての体験で、びっくりでした。
お経が終わるとその感覚はさぁ~っとおさまりました。
続いて、三宝大荒神のご真言を一緒に唱和下さいと促されました。
オン ケンバヤ ケンバヤ ソワカ
おそらく7回ぐらい唱えたと思いますが、
この唱えてる途中でもまた先ほどと同じ粟立つ感が湧き上がってきました。
続いて、勝尾寺ご本尊御法号
南無大慈大悲観世音菩薩
これも何回も唱えている途中から、先ほどの粟立つ感が沸くも、前2回ほど強くない。
なんとなくもう出尽くした感ありました。
最後に、
○○○○(祈願者名前)の心願祈願にひと~つ ド~ンって太鼓打たれます。
これが何回も続きました。
もし受験合格祈願だったとしたら、
○○(祈願者名前)の××大学合格祈願にひと~つ ド~ンって太鼓。
これが境内に響き渡るというのもちょっと、ね。
終了した時に時間を確認しませんでしたが、
おそらく20分~30分は要したであろうと思われます。
きっと願いは聞き届けられるであろうような霊験あらたかな祈願儀式でした。
ちなみ、祈祷代金はわずか5000円でした。
下世話ながら、お二人の僧侶の所作と要した時間を思うとものすごくお値打ちあります。
目に留まったもの、不思議に思ったものを、
便利になったネット検索を駆使して一つの記事にまとめるのは、頭の体操になります。
ボケ防止にお付き合いいただきありがとうございます。
いつもコメントで感想やご意見、アドバイスをいただく皆さま、こそっとお読みいただく隠れ読者の皆さまのおかげと、感謝申し上げます。
質オザサ店主ブログがスタートする前の2003~2004年の2年間で四国88ヶ所を廻りました。
現在は西国33箇所のうち21寺を参拝を終えました。
参詣した神社仏閣の数をちゃんと数えたことありませんが、上記お寺を足すだけで109になります。
だいたい名所旧跡って、城郭神社仏閣墓参りが多いので、旅先でも訪れることは多く、これらを合計すると…。
こんなにあちこち神社仏閣お参りしている割には信仰心薄いかもと、愛読者の皆さまは、うすうすお気づきのことでしょう。
まさにその通りでありまして、
好奇心が旺盛で、ちょっと人様よりフットワークが軽いだけとご理解下さい。
気軽に足を運んでしまいますし、不思議だなと思うと追求したくなります。
という前置きを頭に置いていただいて、
今回のタイトル「ちょっとみたことない不思議なお寺」に入ります。
つまり、オバケは怖いですが、何も見えたことありません。
枯れ尾花を幽霊と思って驚くクチです。
浄化とか除霊とかも体験したことないのです。
今回、勝尾寺で祈願者に同座しただけで、今までに体験したことのない感覚を覚えました。
これまでに2回にわたり、勝尾寺の話を書きました。
以前から、紅葉で有名な箕面にあるお寺という認識しかありませんでした。
近場なのでそのうちお参りして朱印賜ろうと思っていました。
たまたまそのチャンスが突然めぐってきたのです。
最初の画像は、山門を裏側から写したものです。
扁額のお寺の名前、勝王寺と書かれているのがわかるでしょうか。
勝尾寺は、王に勝つというのを恐れ多いと、王を尾に変えたと。
しかし、ここでしっかり主張されてて、ちょっと笑えますよね。
この山門をくぐるのに入山料400円を支払ったと先の記事で書きました。
その関所となっているのは、なんと休憩所レストラン「花の茶屋」でした。
弁天池と名づけられた放生池ではミストがたちこめ神秘的な演出されてます。
弁天堂があり弁財天が祀られていて、ほんの一部左側にたちこめたミストが写っています。
お土産などを売る売店で入山料を支払うなんて、いまだかつて見たことないし、ライトアップはよくあっても、ミスト演出は経験ないです。
超近代的なお寺です。
掃除は行き届いてキレイな参道、境内です。
あちこちに小さなダルマが置かれた画像をたくさん紹介しました。
ダルマみくじは底におみくじ入ってて、おみくじを見たあとダルマをお寺に残して行かれるのでしょう。
雨や風でいたんだダルマは、たぶん適当に処分されてるのでしょう。
これも演出ですから…。
参道階段上がったところに、多宝塔が見えるのまで計算されてるがごとく感じます。
この時点では、受験合格や、選挙当選など、なんとなく勝尾寺は現世利益の俗世間にうまく迎合した演出上手のお寺だと思えました。
本堂にたどり着くまで、神仏習合の名残である
「一願不動堂」「厄祓い荒神堂」
「鎮守堂」祭神は諏訪明神 八幡宮 金剛明王
そして、真言宗の「大師堂」を順に拝んでいきます。
本堂横の総合受付で、祈願を申し込み12時40分の所定時間まで待ちました。
時間になって、ほのぐらい本堂に着座したのはたまたま私たち一行3名だけ。
ご本尊は直接拝することはできませんで、前に大きな鏡がありました。
知人の祈願儀式ですから、私は何かお願いするのではなくて、同座したものとして心のなかでご挨拶申し上げました。
どこそこに住む○○です。
今年、暦一巡する還暦を無事に迎えることができました。
ありがとうございます。
この先もどうぞよろしくお願いいたします。
お坊さんのよく通る美声で、祈願することの姿勢、心構えなど丁寧に説明されます。
最初に呼吸を整え鎮魂を促されました。
しばらくして、般若心経を大きな声でものすごくゆっくりと一緒に唱えました。
お経を唱えたり説明してくださるお坊さんの声はよく通る声でしたが、さらにマイクが付いていてたぶん本堂外にまで響いていることでしょう。
もう一人のお坊さんは、大きな大きな太鼓をド~ンと打ちながらもお経にも唱和されます。
堂内の僧侶2名に祈願者一行3名が加わり参列者全員で般若心経、
続いて知らないお経をお坊さんが唱えられました。
ご本尊が十一面千手観音ですから観音経なんでしょうか。
その途中で、体の中心から、肌全体に粟立つような感じが起こり、その粟だちは頭の上に抜けていきます。
これって寒いからではないし、怖いわけでもない。
寒い時や恐怖におののいた時の鳥肌よりももっと細かいような不思議な感じ。
ものすごく細かな泡の炭酸風呂にでも浸かったなら肌の外側ですが、これは内側から起こっています。
丹田あたりに潜んだ邪悪なものが清められ浄化していくような錯覚を覚えました。
これは人生で初めての体験で、びっくりでした。
お経が終わるとその感覚はさぁ~っとおさまりました。
続いて、三宝大荒神のご真言を一緒に唱和下さいと促されました。
オン ケンバヤ ケンバヤ ソワカ
おそらく7回ぐらい唱えたと思いますが、
この唱えてる途中でもまた先ほどと同じ粟立つ感が湧き上がってきました。
続いて、勝尾寺ご本尊御法号
南無大慈大悲観世音菩薩
これも何回も唱えている途中から、先ほどの粟立つ感が沸くも、前2回ほど強くない。
なんとなくもう出尽くした感ありました。
最後に、
○○○○(祈願者名前)の心願祈願にひと~つ ド~ンって太鼓打たれます。
これが何回も続きました。
もし受験合格祈願だったとしたら、
○○(祈願者名前)の××大学合格祈願にひと~つ ド~ンって太鼓。
これが境内に響き渡るというのもちょっと、ね。
終了した時に時間を確認しませんでしたが、
おそらく20分~30分は要したであろうと思われます。
きっと願いは聞き届けられるであろうような霊験あらたかな祈願儀式でした。
ちなみ、祈祷代金はわずか5000円でした。
下世話ながら、お二人の僧侶の所作と要した時間を思うとものすごくお値打ちあります。
軽いフットワークとなんにでも興味のある好奇心、そして長年続けている継続力。
とても感心しています。
そして、その後の泡の炭酸風呂にでも浸かったような感覚体験。
とても良い経験をしたのだと思います。
今後の変化に期待しています。
「神社仏閣お参りしている割には信仰心薄いかも」と仰せですが、
いやいや決してそんなことはアリマおんせん。
かつて、中田聖観師に信仰心ついて、伺ったことがあり、
聖観師「あんたはどうやねん」
ボク 「信仰心なんてカケラもありません、単に仏像と堂宇が好きでお寺を訪ねています」
聖観師「あのなぁ、あんたお寺へ行ってご本尊や本堂の前で手を合わさんか」
ボク 「はぁ、合わします」
聖観師「正月神社へ初詣行くやろ、手を合わさんか」
ボク 「はぁ、合わします」
聖観師「家に仏壇あるやろ、手合わさんか」
ボク 「はぁ、合わします」
聖観師「それが信仰心と云うもんや」
ボク 「……」
以後、還暦を遥かに超えたボクの中での結論は未だ「……」です。
目指すものが何であれ、「好奇心」と「好き」と「信仰心」はどうも巴輪のようなもんで、
ただ「信仰心」と「信仰、信心」厳密に云えば違うのかな。
「丹田あたりに潜んだ邪悪なものが清められ浄化していくような錯覚を覚えました」
ulalaさん、十分に信仰心、オアリなごやですよ。
ギャーティ ギャーティ ハーラギャーティ ハラソーギャーティ ボーディーソワカ 般若心経 合掌
これだけ参拝・参詣されたら、人生楽しいやろな~と羨ましくも、フットワークの軽さに心より脱帽です。どんなことがあっても、ulalaさまには魔も寄り付けません。だって、これだけ神社や寺院やいろんな所にひっぱりまわされたら、寄りつく魔やオバケの方がヘトヘトでしょ!!
勝尾寺で唱和されたとのこと。この感覚は、壮大な演奏会で歌う感覚と似ていると思いました。音楽会と一緒にしては、お坊様には失礼ですが、舞台でこんな風に心と体を楽器にしています。頭のてっぺんからスポッと抜ける…丹田にこめたパワー…大阪城ホールの「一万人の第九」は、おなかの底から涙がこみ上げてくると聞きました。
わが声楽の恩師の恩師、山田耕筰は「音楽は宗教なり」と表現しました。信心ブカイとかそういうものでなく、ひとつのことを磨き続けるうち宇宙のおおいなるものに出会う…そんな意味ではないかと理解します。
それにしても、ご祈祷を受ける神妙なお顔のM高校ulalaさまと、鳴り響く「××大学合格祈願~ド~~ン♪♪」が想像されて、思わずクスっと笑ってしまいましたよ。
このブログの記事から、たくさんの方達が元気をもらっていると思います。私もその一人。応援してますよ~!
褒めてもらうことが少なくなるシニア世代、お世辞でもうれしいです。
あともう一つ、平均値以上の点は仕事速いことです。
このブログを書くのもそうだからこそ、負担にならず続けられたんだろうと思います。
先月東大寺の八幡宮でハートの鳩絵馬ありましたでしょう。
あのとき、超久しぶりに絵馬奉納しました。
身体健康、これがお聞き届け頂いたように思えてます。
調子よくて、花粉症や喘息がびっくりするぐらい軽減しています。
このたびの祈願での体感、今後が楽しみです。
信仰、についてのお話、ホッとしました。
私だけではなったんだと心強い限りでアリマ。
たいていの神社仏閣詣でても、こんにちはとご挨拶するのがほとんど。
何かを特にお願いすることはまずないです。
もちろん手は合わせてますけど。
これでもよかったんだとお聞きして、安心しました。
般若心経のご真言「ぎゃーてー、…、般若心経」
若い頃からこの部分だけは覚えていて、怖いときとかよく唱えさせてもらってます。
しいたけ栽培で、和太鼓たたいた震動というか波動が大きく育てる
と聞いたことありますが、今回もまさに和太鼓の震動も関係ありですね。
コンサートも生で聞くと音の振動が聴衆者に直接伝わりそれがカタストロフィーに繋がるとも聞いてます。
まさに私はあのときしいたけだったのでしょう。
スペインのサンチャゴコンポステーラ教会で、たまたま聖歌隊の生のミサに出会えました。
あの時もスゴスギルと感激しました。
知識階級でない貧しい民衆は、ミな心を浄化されたに違いないと思えました。
「音楽は宗教なり」
ほんとにそう思えました。
DIVAさんは自らの体から発する声が人様を魅了し、
わが体をも浄化できるなんて、うらやましい限りです。
それがあるからこそ、毎日生き生きと暮らすことができるのでしょう。これからも楽しみにしています。でも無理はしないで下さいね。
TMさんのブログでは広範囲な情報に刺激いただいてます。
好奇心って行動の原動力の大きなファクターであることをつくづく感じます。
今のところそれはまだまだ旺盛なんですが、体は着実に老いてます。
最近やばかったという後日談エピソードふえてますもんね。
やはり健康あってのものだね、
迷った時は引き返す、やめる勇気も肝に銘じて…
記事もう一個あるんですね。
行けているのが凄いです。さくらさまも気になってたんじゃないかな?とも。
こちらのプログは本当読者のセンサーが凄いですね。勝の神追ってますんでいよいよ時期がくるかな?3725
で私の今は中将姫です。今後が楽しみです。