庭が見える部屋は
すでに満席で、奥の部屋に案内されました。
帰る時誰もいなくなってから撮ったもの。
1937年小林一三氏が、五月山の麓に建てられたお屋敷。
この旧宅が2010年から展示室とレストランになっています。
建物は梁や柱が見える北ヨーロッパのハーフティンバー様式。
1940年だったか遣伊使節団で派遣され、ムッソリーニと握手されてる写真ありました。
欧州巡って気に入られたんでしょうね。
屋根は日本の瓦用いてたりの和洋折衷で、構造は鉄筋だそうです。
調度品が素晴らしくカッコいい、センスある〜。
ギックリ腰でステッキついて行ったので、階上見学はまたの機会に。
一階のレストランでセレブランチをいただきました。
お皿の金彩ピッカピカ✨
カトラリーで有名なフランスのクリフトフルですって。
愛媛は宇和島の桜鯛です。
サービスしてくださるフロアマネージャー?が年配の男性というのもフランスみたい。
野菜やソース、全ての説明忘れたので公式サイトよりコピペ
CEVICHE DE DAURADE, AVOCAT & CITRON VERT
TARTARE DE COURGETTES MARINÉES, FETA
桜鯛のセヴィーチェ アボカド&シトロンヴェール
クルジエットとフェタチーズのタルタル サラダ仕立て
TARTARE DE COURGETTES MARINÉES, FETA
桜鯛のセヴィーチェ アボカド&シトロンヴェール
クルジエットとフェタチーズのタルタル サラダ仕立て
鹿児島は枕崎の・・・何か忘れた。
SAWARA ET PRINTANIER LÉGUMES À LA VAPEUR
MOUSSELINE DE NAVET COMME VONGOLE
サワラと春野菜のヴァプール 爽やかなハーブの香り
小蕪のムースリーヌ ヴォンゴレ仕立て
MOUSSELINE DE NAVET COMME VONGOLE
サワラと春野菜のヴァプール 爽やかなハーブの香り
小蕪のムースリーヌ ヴォンゴレ仕立て
白ワインがものすごく美味しかったのでお代わり(*^^*)
ご馳走なるのに厚かましくてスミマセン。
吟味された素材で三つ星クラスの仕上げ。
シェフも超一流、食後ご挨拶にみえました。
次の日曜は保護司会設立70周年記念式典と祝賀会で1万円会費。
ホテルアゴーラのディナー価格と変わらん?
グラスワイン2杯が飲み放題に充当したり…
テーブルいくつあったんだろう。
けっこう埋まってて、平日昼間から豪勢やなとチラ見。
上流社会の一面見たような。
金勘定が先に立つ俗物も、優雅なひととき堪能できました。
ところで、この邸宅レストランは雅俗山荘と名づけられてます。
その由来は、
「芸術=雅」「俗=生活」が一体となる場所である――
という小林一三の想いを込められて付けられた名前。
『文化にどのように投資するか』を個人のブランディングのために競っていた時代――の空気がとても感じられる場所。
かっこいい。金持ちがかっこよくお金を使うことは、別に責められるようなことではないのだ、と思う。
以上引用させてもらったのは
小林一三さんが手がけた事業は、
暮らしの中で常に「雅と俗」を意識したもの。
それで特権階級ではなく多くの人に支持されたそうです。
彼が「小林一三さんを尊敬しています」とテレビで話したことがあります。
1957(しょうわ32)年創業でした。
小林一三さんが逝去されたのも同じ年ですね。
ダイエーは大栄、共に大阪の発展を目指す心意気は同じで受け継がれたかの如く。
小林一三さんを尊敬されてたとは存じませんでした。
今の大阪の維新は、ベイエリア開発しカジノで発展すると思われてます。
利権ありきでなければいいのですけど。
小林一三さん中内功さんがご存命ならどう思われるのでしょう。
先程のcommentはアドレスを貼っていませんでしたので再送します。
お役に立てれば幸いです。
どこかを貶めるような書き方してなければいいのですけど。
この雅俗荘は我が家から徒歩圏内です。が、食事はしたことがありませんので参考になりました。
小林一三さんは錦糸町の楽天地をつくった方です。庶民には娯楽が必要だと仰っていたらしい。そのおかげで錦糸町は東京東部最大の歓楽街になりました。錦糸町にとって小林一三さんは最大の恩人ですね。
お近くでしたか。
池田初めての訪問でしたが、瀟洒な住宅街ですね。
次の記事にディナー画像二枚だけ載せました。
なんでもお値段に沿うというか、
サービスも調度品も一流で、時には目の保養に奮発されてはいかがでしょう。
清濁併せ呑む、みたいに聖と俗、どちらもわきまえてらしたのですね。
お高いといっても、世の中お値段に見合わないとこも多々ありますでしょう。
ココは正味というか、小林一三さんの名に懸けてぼったくりはできないと思います。