秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

一枯一栄

2012-10-09 | 日々是好日
嵯峨御流いけばな展に案内してもらいました。
華道大阪司所90周年追善華展だそうで、知人が出展してました。
四天王寺と生玉神社の中間ぐらいにある大宝寺が会場です。

お寺の門をくぐると

華より団子で、夏の素麺流しを思い出してました。








この掛け軸の前で正座し手を合わせてるおばちゃんが二人おられました。
お軸の絵はどなたですかと尋ねると知らないそうで… (*^^)v

会場の関係者にあらためてお聞きしたところ嵯峨天皇でした。
嵯峨御流は、9世紀の嵯峨天皇に発する歴史ある流派です。

京都の嵯峨大覚寺に総司所(家元)をおき、
昭和50年までは「未生御流」「嵯峨流」と呼ばれてたようです。
私が高校の頃習ってたのは、未生流の一派で「しんよう」未生でした。
どんな漢字だったかも忘れてしまった。
いただいたお免状もどこかに押し込んで大事に大事に保管してあります。



普通に活けて展示された華の他に目に留まったもの


【一枯一栄】【風月三昆】ってなんだろう?
初めて知った4字熟語だったので、漢字を忘れないよう撮影。

「一枯一栄」のほうは、ピンク色の椿と柳 ?
「風月三昆」はレンコンやハスなどいろいろ盛り合わされてたのに
なんでこんな取り合わせと奇妙に思ったのにちゃんと撮影しなかった。

昨夜調べてみて、盛り合わせ状態をちゃんと撮ればよかったと後悔してます。



まず【一枯一栄】とは
お釋迦様は一対四隅の沙羅双樹の下で亡くなられました。
そしてその沙羅双樹のうち、片方は枯れ、もう片方はそれに反比例していよいよ活き活きと伸びていくのです。



片方が枯れることによって片方が栄えていく、これが「一枯一栄」

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
りひとさんへ (ulala)
2018-12-17 16:38:21
古い記事見てくださってありがとうございます。
嵯峨未生は、嵯峨天皇に始まると、この記事でちゃんと書いてましたね。
一枯一栄、風月三昆は時々読まれるので上がってくることありますが、中身はすっかり忘れてました。
一連の記事のコメントで、山帰来の川柳おもしろかったと、どこに書いてるのかと探しに探して、数日後2012/10/12の記事であることが判明^^

○ いただいて飲むもくやしき山帰来 
○ 山帰来干してへのこを眺めてる
○ 薬種屋のやっと聞き取る山帰来
○ 巻き添えに逢って女房も山帰来
○ 笠森へ女房仏頂面で行き

https://blog.goo.ne.jp/goo3820/e/48e18831d43c38fb6aee22c692640d8f
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大覚寺検索で (りひと)
2018-12-17 16:02:18
一対四隅の沙羅双樹って木が四隅に生えているって事ですよね。それも生きているんですね。諏訪さんのお祭りでは運んできた木ですけどなんか気になります。蹴鞠の場には4種類でしたっけ?神社よっては左右に2種類。木はお釈迦さまにも大事なアイテムのようですね。

いけばなとの縁素敵ですね。私は木の方が好きなんですけど家族ではやけにお花の扱いが慣れているのがいるのでそことの関係ちょっと探ってみます。嵯峨天皇は良い人っぽいですね。文化継承している民族に関わっていたのは確かですよね。同じ兄弟だって気質は様々でやれと言っても出来ない事を自然と出来る子もいる。そう思うと手を合わせたくなりますね。個人的には、少し複雑なんですけど嵯峨野好きは共通だし控え目っぽいですので共感も出来そうです。そう思うと嵯峨天皇の周りの人をちょっと掘ってみますね。ご本人とは違う考えお持ちでない方はいなかったのか?と。

源氏についてはややこしいので出来るだけ距離を持っていようとは思っていましたけど調べる時期になったかもしれませんね。4709
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