吉野大作&プロスティテュートのデビューEP「Daisuck & Prostitute」が店頭に並んだのは1980年初頭、アナーキーのデビュー作やPASSレコードのシングル3作=BOYS BOYS、突然段ボール、PHEWと同じ頃だったと思う。日本パンクの自主制作盤としてはヴァニティ、ゴジラ、PASSに続く最初期の作品だった。店頭コメントや音楽雑誌では「ポップ・グループ~リップ・リグ&パニックやア・サートゥン・レイシオを髣髴させるオルタナティヴ・ロック」と紹介され自動車にハンマーを叩き付けるジャケと相まって過激派的存在感が異彩を放っていた。痙攣するビートと破壊的なヴォーカル、そして何よりも軋みを上げる絶叫サックスが大好きだった。
1981年に新興ジャパンレコードからLP「死ぬまで踊りつづけて」でメジャー・デビュー。町田町蔵のINUの「メシ喰うな」と同時期だった。おどろおどろしいジャケットは社会の不合理を告発する絵画を残したシュルレアリスト山下菊治の代表作「葬列」。メンバーは吉野(vo)、東条A機(g)、時岡"TOCKIN"篤(sax)、高橋ヨーカイ(b)、横山孝二(ds)。サウンドはEP以上に振り切れたアヴァンギャルド・ファンク・ロック。吉野が学習塾の漢文教師だと知り人を教育する先生が♪奴らは獣 奴らを生きて帰すな 奴らを高く吊せ 奴らに唾をかけろ!がなり立てたぜTVセット ライフル ライフル 誰もが旅立つはずの 1972 My United Red Army♪(「M.U.R.A.」)といった過激な歌を唄うのに驚いた。吉野が1970年代初期から活動するシンガーソングライターだとか、高橋ヨーカイが裸のラリーズのメンバーだとか、この曲が浅間山荘事件を唄ったものだとかいうことは10年以上経ってCD化されるまで知らなかった。
1985年にキャプテン・レコードから2ndアルバム「後ろ姿の素敵な僕たち」をリリース。このアルバムは当時聴いていない。時代は既にインディーズ・ブームに突入しておりラフィン・ノーズ、ウィラード、有頂天のインディーズ御三家が人気を集め、先輩格のスターリンや非常階段やじゃがたらがスキャンダラスな話題を振り巻き、比較的地味な存在のプロスティテュートまで感心が行き届かなかったのだ。最近になって無性に聴きたくなりCDを探したら廃盤プレミア付きで諦めていたらアナログ盤を安値で発見し早速購入。1stに比べて破天荒さはぐっと抑制され前作のフリーキー・サウンドの根底に潜んでいたドアーズやホークウィンド風のサイケデリックな陶酔感が支配する世界は吉野の70年代の作品に通じるものがある。パンク衝動に突き動かされた1stよりもこちらの方が吉野本来の魅力が発揮されているかもしれない。
80年代後半~90年代前半にかけてはソロや別ユニット後退青年を率いて作品を発表していたが1995年突如プロスティテュートとして元スターリンの杉山シンタロー(b)を迎えた10年ぶりの3rdアルバム「光の海の中で」を、さらに翌年4th「石の中の記憶」を立て続けにリリース。「後ろ姿~」のサイケデリック・サウンドを深化させた円熟した音世界とセンシティヴな言語世界が絡み合い閃光を放つ孤高の演奏を展開。同時代のポストパンク勢が軒並み鳴りを潜める中ひっそりと発表された2作品は和ロックの伝統とパンク衝動と前衛精神が同居した傑作である。その後はブルースに接近しサウンド的にはオーソドックスな作品を継続してリリースしライヴ活動も地元横浜を中心に定期的に行っている。2000年代以降の和ロック再評価の流れの中で初期作品が再発されアシッドフォークの名作として人気を呼んでいる。最新作は2012年2月リリースの「あの町の灯りが見えるまで」。
オフィシャル・サイトはないが愛情の籠ったファンサイトがある。吉野大作の作品の多くはネットショップやCDショップで入手できる。音楽シーンの裏街道を歩んでいるような吉野だがそのスタイルの変遷には日本ロック史の縮図というべき真実が隠されている。
横浜の
ロックの裏道
佇む娼婦
名作デビューEPと2nd「後ろ姿の素敵な僕たち」の正規CD再発を望みたい。