1990年に来日予定だったのが体調不良で中止になり私を含め多くのファンをガッカリさせた"100万ドルのギタリスト"ジョニー・ウィンター奇跡の初来日公演。最初彼のオフィシャル・ホームページでツアー・スケジュールに「Zepp Tokyo 3days」とあるのを発見したときは冗談か誤報かと思った。少なくともジョニー単独でZepp東京3日間はとても無理で、ブルース・カーニヴァルの一環だと思っていた。
しかし蓋を開けてみれば「ロック界最後の大物遂に初来日!」と大きく宣伝され、チケットの売れ行きも好調。ジョニー・ウィンターってこんなに人気があったの?と不思議な感じがした。
私にとってジョニー・ウィンターは最初のギター・ヒーローである。キッスやエアロスミス、クイーンが大人気の中学時代、フォーク雑誌「Guts」増刊ロック特集号で長い白髪をなびかせファイアーバードを構える写真に惚れ込み、"ミュージック・ライフ選定名盤1500"という一枚1500円の廉価盤シリーズで「ジョニー・ウィンター・アンド/ライヴ」を買ったのが最初。ブルース・ベースのロックンロールを弾きまくり歌いまくるそのサウンドにうぶな中坊はイチコロだった。その後東京へ引っ越し、吉祥寺のDisk Innで「Saints & Sinners」のアメリカ盤を買い、「狂乱のライヴ」をクリスマス・プレゼントに買ってもらい聴き狂った。小遣いやお年玉を貯めて中学を卒業する時にグレコのファイアーバード・モデルを買った。当時98000円だったから、コピー・モデルといっても本格派である。中学の卒業式に「あらまあ」というキッスのコピー・バンドを組んだのだが、私の趣味でジョニー・ウィンターの曲もやった。ジョニーばりのサム・ピック奏法やボトルネック奏法を練習するが上達せず、パンク・ロックに出会い、"ロックするのに楽器を弾ける必要はない"と練習を放棄してしまう。セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズがファイアーバードを使っていたのが嬉しかった。
以来ジョニー・ウィンターを積極的に聴くことはなかったが、時々ギター雑誌やブルース雑誌でジョニーの特集が組まれると心躍る気分になった。その彼が遂に日本の地を踏む。震災の1ヶ月後にも関わらずキャンセルせずに来日してくれた。
Zepp東京には40~50代の元ロック男子が溢れる。男性客が90%。開演前から「ジョニ~ッ!」という叫び声があがり手拍子が巻き起こる様には皆が彼の来日を如何に待ち望んでいたかがよくわかる。
ジョニーは現在66歳。足が悪く、歩く姿はよぼよぼのおじいさん。ドラムセットの前に据えられた椅子に座っての演奏である。しかしギターを手にすると人が変わったかのようにハードなブルースロックを弾き歌う。そのパワーは40年前に100万ドルの契約金でメジャー・レコード会社と契約した頃と比べても全く遜色ない。ブルース・ナンバーばかりだが「Good Morning Little School Girl」「Mojo Walkin'」「Johnny B. Good」「Bony Moronie」「It's All Over Now」など聴き覚えのある曲も多い。ソロにクリームやストーンズ、ジミヘンのフレーズを紛れ込ませオーディエンスを喜ばせる。
聴きながら中学時代によく通ったレコード店のことを思い出していた。家から一番近くにある親父が一人でやっていた小さなお店で、私はドクター・フィールグッドの「殺人病棟」や「ジョニー・ウィンター・アンド」などを注文したものだ。とっくに廃業しただろうがあの親父さんはまだ元気でいるのだろうか。
アンコールではトレードマークのファイアーバードを持って登場し、達者なボトルネック・プレイを聴かせてくれた。90分間ほとんどMCなしで突っ走るロック魂に本当の漢(おとこ)を感じた。
三つ子の魂百まで
燃えるブルース
一直線
紙ジャケ再発を大人買いしたくなってきたぞ。
しかし蓋を開けてみれば「ロック界最後の大物遂に初来日!」と大きく宣伝され、チケットの売れ行きも好調。ジョニー・ウィンターってこんなに人気があったの?と不思議な感じがした。
私にとってジョニー・ウィンターは最初のギター・ヒーローである。キッスやエアロスミス、クイーンが大人気の中学時代、フォーク雑誌「Guts」増刊ロック特集号で長い白髪をなびかせファイアーバードを構える写真に惚れ込み、"ミュージック・ライフ選定名盤1500"という一枚1500円の廉価盤シリーズで「ジョニー・ウィンター・アンド/ライヴ」を買ったのが最初。ブルース・ベースのロックンロールを弾きまくり歌いまくるそのサウンドにうぶな中坊はイチコロだった。その後東京へ引っ越し、吉祥寺のDisk Innで「Saints & Sinners」のアメリカ盤を買い、「狂乱のライヴ」をクリスマス・プレゼントに買ってもらい聴き狂った。小遣いやお年玉を貯めて中学を卒業する時にグレコのファイアーバード・モデルを買った。当時98000円だったから、コピー・モデルといっても本格派である。中学の卒業式に「あらまあ」というキッスのコピー・バンドを組んだのだが、私の趣味でジョニー・ウィンターの曲もやった。ジョニーばりのサム・ピック奏法やボトルネック奏法を練習するが上達せず、パンク・ロックに出会い、"ロックするのに楽器を弾ける必要はない"と練習を放棄してしまう。セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズがファイアーバードを使っていたのが嬉しかった。
以来ジョニー・ウィンターを積極的に聴くことはなかったが、時々ギター雑誌やブルース雑誌でジョニーの特集が組まれると心躍る気分になった。その彼が遂に日本の地を踏む。震災の1ヶ月後にも関わらずキャンセルせずに来日してくれた。
Zepp東京には40~50代の元ロック男子が溢れる。男性客が90%。開演前から「ジョニ~ッ!」という叫び声があがり手拍子が巻き起こる様には皆が彼の来日を如何に待ち望んでいたかがよくわかる。
ジョニーは現在66歳。足が悪く、歩く姿はよぼよぼのおじいさん。ドラムセットの前に据えられた椅子に座っての演奏である。しかしギターを手にすると人が変わったかのようにハードなブルースロックを弾き歌う。そのパワーは40年前に100万ドルの契約金でメジャー・レコード会社と契約した頃と比べても全く遜色ない。ブルース・ナンバーばかりだが「Good Morning Little School Girl」「Mojo Walkin'」「Johnny B. Good」「Bony Moronie」「It's All Over Now」など聴き覚えのある曲も多い。ソロにクリームやストーンズ、ジミヘンのフレーズを紛れ込ませオーディエンスを喜ばせる。
聴きながら中学時代によく通ったレコード店のことを思い出していた。家から一番近くにある親父が一人でやっていた小さなお店で、私はドクター・フィールグッドの「殺人病棟」や「ジョニー・ウィンター・アンド」などを注文したものだ。とっくに廃業しただろうがあの親父さんはまだ元気でいるのだろうか。
アンコールではトレードマークのファイアーバードを持って登場し、達者なボトルネック・プレイを聴かせてくれた。90分間ほとんどMCなしで突っ走るロック魂に本当の漢(おとこ)を感じた。
三つ子の魂百まで
燃えるブルース
一直線
紙ジャケ再発を大人買いしたくなってきたぞ。