昨日、ガイド講習講師で来島された元日本ジオパーク委員会事務局・渡辺真人さんと数人で島を歩きました。
本当は渡辺さんには私のツアーに同行していただく予定だったのですが、
ツアーに参加される方の体調不良で急遽勉強会に切り替わりました。
急な呼びかけでも集まる事のできた数人で、未だ黒々とした30年前の溶岩流を目指しました。
皆がそれぞれ「不思議」をみつけ、集まって考えました。
たとえば…
「周囲のハチジョウイタドリは既にタネを飛ばしているのに、割れた岩からはえている物はタネが残っているのはなぜか?」

(他のイタドリもこの傾向がありました)
「この石の中身の様子が違うのは何故か?」

「こうやって火口の方から弧を描いて飛んだんだね」という発見に…

「そうかも!」と景色を眺め…

溶岩クッキーと本物の中身が「そっくり」であることを誰かが発見!

私は、この“たてがみのあるカバ”に見える岩(?)に、心奪われました(^_^)

お昼は「黒々とした溶岩」の前で…

「生っぽいよね」「今にも動き出しそうだよね」と感想を述べ合いながら、幸せな気分でオニギリを食べました。
ところで30年前、新しい火口が連なって開いた“割れ目噴火”は、三原山の麓から3本の溶岩を流しました。
地質調査総合センターの「伊豆大島火山地質図」には、その時の溶岩流が「1986Lb」の文字入りで、ピンク色で描かれています。(伊豆大島火山地質図の全体図はこちらhttps://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/izuoshima/map/volcmap10.html)

私たちは、3本の中で一番短い真ん中の溶岩流の左側でランチを食ベていたのですが…
食後にガイド仲間の中林さんの提案で、一番左側の溶岩流に登ることになりました。

ゴツゴツ、ガラガラの溶岩の上は、ほどほどに草が生えています。
伊豆大島に一番多いタイプの溶岩です。
高さがあるので、残り2本の溶岩流を一望できます。

この後「溶岩に触りたい」という渡辺さんの希望で、再び真ん中の“最も短い溶岩流”へ。

全ての噴火が終わってから、一番最後に流れ出たこの溶岩は、やや粘りのあるタイプ。
植物は溶岩流周辺に生えているだけで、黒さが目立ちます。
続いて3本目(図の一番右側)の溶岩流に登りました。

1500mも吹き上がったとされる溶岩が、様々な形に降り積もって溶岩流の上に乗っている場所です。
どんな風景かというと…
人間と同じサイズの岩がニョキニョキ(笑)

この、彫刻が立ち並んだような風景は、他の溶岩流では見られません。

そして、ここではカタツムリの巻き方が100%左巻だということが話題となりました。

なぜ、この溶岩流の上だけヒダリマキなのか?
みんなであれこれ、理由を考えました。
噴火後30年の時を経て、3本の溶岩流はそれぞれの個性がよりハッキリしてきたようです。
なんだかちょっと、人間みたいですね。
さて、この後は森を歩いて、また謎ときに挑み…

島の北東部の泉津地区で、溶岩流を自然の防波堤として利用している港を観察。

神社や町並みを歩き、最後に縄文時代の遺跡に立ち寄りました。

ここは、すぐ下が海で「これでは海が荒れたら住めないし、住み心地が悪すぎる」ということが話題となりました。
昔の海岸線がもう少し沖だったとしても、水が滴る穴の中は確かにあまり快適ではなかったのではないかと…。
穴の中からの風景です。

“住居としての快適さ”を穴の中から真剣に考えてみたら…
「もしやここは別荘、または作業小屋で、本宅は別にあったのでは?」と思えてきました。
ただ「溶岩の洞窟があって縄文時代の遺跡が出る」だけでなく、当時の縄文人の暮らしや気持ちを想像してみると、数倍面白いなぁ~と思いました。
本当に楽しい勉強会でした。
渡辺さん、皆さん、お疲れ様でした&ありがとうございました!
そして夜の講習は…
とてもわかりやすくて面白く「地球に興味を持った」「他のジオパークに行きたくなった」という感想が続出の講習となりました。
こちらは後日、少し時間ができたときに、報告したいと思います!
(カナ)
本当は渡辺さんには私のツアーに同行していただく予定だったのですが、
ツアーに参加される方の体調不良で急遽勉強会に切り替わりました。
急な呼びかけでも集まる事のできた数人で、未だ黒々とした30年前の溶岩流を目指しました。
皆がそれぞれ「不思議」をみつけ、集まって考えました。
たとえば…
「周囲のハチジョウイタドリは既にタネを飛ばしているのに、割れた岩からはえている物はタネが残っているのはなぜか?」

(他のイタドリもこの傾向がありました)
「この石の中身の様子が違うのは何故か?」

「こうやって火口の方から弧を描いて飛んだんだね」という発見に…

「そうかも!」と景色を眺め…

溶岩クッキーと本物の中身が「そっくり」であることを誰かが発見!

私は、この“たてがみのあるカバ”に見える岩(?)に、心奪われました(^_^)

お昼は「黒々とした溶岩」の前で…

「生っぽいよね」「今にも動き出しそうだよね」と感想を述べ合いながら、幸せな気分でオニギリを食べました。
ところで30年前、新しい火口が連なって開いた“割れ目噴火”は、三原山の麓から3本の溶岩を流しました。
地質調査総合センターの「伊豆大島火山地質図」には、その時の溶岩流が「1986Lb」の文字入りで、ピンク色で描かれています。(伊豆大島火山地質図の全体図はこちらhttps://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/izuoshima/map/volcmap10.html)

私たちは、3本の中で一番短い真ん中の溶岩流の左側でランチを食ベていたのですが…
食後にガイド仲間の中林さんの提案で、一番左側の溶岩流に登ることになりました。

ゴツゴツ、ガラガラの溶岩の上は、ほどほどに草が生えています。
伊豆大島に一番多いタイプの溶岩です。
高さがあるので、残り2本の溶岩流を一望できます。

この後「溶岩に触りたい」という渡辺さんの希望で、再び真ん中の“最も短い溶岩流”へ。

全ての噴火が終わってから、一番最後に流れ出たこの溶岩は、やや粘りのあるタイプ。
植物は溶岩流周辺に生えているだけで、黒さが目立ちます。
続いて3本目(図の一番右側)の溶岩流に登りました。

1500mも吹き上がったとされる溶岩が、様々な形に降り積もって溶岩流の上に乗っている場所です。
どんな風景かというと…
人間と同じサイズの岩がニョキニョキ(笑)

この、彫刻が立ち並んだような風景は、他の溶岩流では見られません。

そして、ここではカタツムリの巻き方が100%左巻だということが話題となりました。

なぜ、この溶岩流の上だけヒダリマキなのか?
みんなであれこれ、理由を考えました。
噴火後30年の時を経て、3本の溶岩流はそれぞれの個性がよりハッキリしてきたようです。
なんだかちょっと、人間みたいですね。
さて、この後は森を歩いて、また謎ときに挑み…

島の北東部の泉津地区で、溶岩流を自然の防波堤として利用している港を観察。

神社や町並みを歩き、最後に縄文時代の遺跡に立ち寄りました。

ここは、すぐ下が海で「これでは海が荒れたら住めないし、住み心地が悪すぎる」ということが話題となりました。
昔の海岸線がもう少し沖だったとしても、水が滴る穴の中は確かにあまり快適ではなかったのではないかと…。
穴の中からの風景です。

“住居としての快適さ”を穴の中から真剣に考えてみたら…
「もしやここは別荘、または作業小屋で、本宅は別にあったのでは?」と思えてきました。
ただ「溶岩の洞窟があって縄文時代の遺跡が出る」だけでなく、当時の縄文人の暮らしや気持ちを想像してみると、数倍面白いなぁ~と思いました。
本当に楽しい勉強会でした。
渡辺さん、皆さん、お疲れ様でした&ありがとうございました!
そして夜の講習は…
とてもわかりやすくて面白く「地球に興味を持った」「他のジオパークに行きたくなった」という感想が続出の講習となりました。
こちらは後日、少し時間ができたときに、報告したいと思います!
(カナ)