2月26日(日)大島町噴火30周年事業の一環の、教員対象「ジオパーク研修会」が行われ、私はNさんと共にジオガイドとして参加しました。
この日は高校の先生は都合がつかず、小、中学校の先生方20名以上が昼過ぎに、公共駐車場に集合しました。
大島町教育委員会が主催なので、町役場のマイクロバスで移動します。
最初は数10万年前の古い火山を見に“野田浜”へ。
研修会のコーディネーターであるY先生が、地質図を広げて説明しています。
続いて現在活動中の“大島火山”の溶岩が海と接する風景の中を歩きました。
あるラインから溶岩が左右にチューブを巻いて流れたと思われる不思議な風景を前に「これはどうしてできたのか?」の謎解きに挑戦中☺️
正解はわかりませんが、みんなで考えるのは楽しいです。
流れている時の風景を想像するとワクワクします☺️
続いて「碁石浜」と呼ばれるゴロ石の浜へ。
古い火山が波に削られてできた崖を降りました。
大島には溶岩の海岸も砂浜も、丸い石が積み重なる海岸もあります。
ここは、白っぽい石が多いのは何故なのでしょう?
「古いから表面が白くなったのではないか?」という意見に納得しつつも…
たまにツートンカラーもあって、ギモンが再燃します(笑)
そしてこの、海でゴロゴロ転がされて丸くなった石は、昔の暮らしの中で「力比べ」に使われていたとも言われています。
最後の見学先の岡田港に着いてすぐに、その「石」に会いに行きました。
写真右下にあるのが、岡田港出身の力持ちの力士「伝吉」が「頭上高く持ち上げた」と伝えられる石です。
岡田出身のK先生が、伝吉さんのことを、詳しくわかりやすく語ってくれました!
知識だけではない「伝吉さんへの思い」が伝わって、とても面白かったです☺️
1703年の津波被害の後に建てられた龍王神社。
ここの鳥居が小さいのが以前から疑問でしたが、これに対しては…
「岡田の集落は沢を伝って流れた溶岩上にあり土地が少ない。この神社は、小さなスペースを上手に使うため、全体を小さくバランスを整えて、遠くから見ると大きく見えるように工夫されたのではないか?」という専門家の意見を教えてもらいました(みなさん納得していました)
道路脇のお地蔵さんでは、元町出身の先生と岡田出身の先生が、それぞれの地域の「地蔵前での厄落とし」の方法を披露。
「大人の地元自慢」がとても面白く、ぜひもっと本格的に聞きたいと思いました(本気)
岡田港の「暮らしのなかのジオ物語」を辿りながら、最後は八幡神社へ。
ここで、地域に伝わる踊りの師匠でもあるジオガイドのKさんが登場!
実は「お時間があったらぜひ話を聞かせてください」とお願いしてありました。
Kさんにいざなわれ、全員お社の奥へ…
Kさんはそこで「沢を伝って海まで流れた溶岩の上に、集落が作られていった」ということを、自分の経験と文献から(まだ科学的な証明がされていないことは、それを示しながら)語ってくれました。
ちなみに個人のおうちの庭先にあった「力自慢に使った石」は、最近、地域の人たちの手で神社の一角に運ばれたそうです。
地域の人がこうやって、地元の歴史を残すために協力できるって素敵です。
最後に、地元の人しか知らないような裏道を抜け…
トンネルを抜けて…
海へ出ました!
残念ながら満潮で溶岩が隠れていましたが、ここは潮が引くと磯遊びができる場所です。
岡田港を作った溶岩が、海にやや突き出た場所。
昔、伊豆大島に流された「源為朝」は「ここから大島に上陸した」と伝えられています。
ジオと繋がる私たちの暮らしや歴史、そしてダイナミックな火山の風景と、たくさんの謎が楽しかったです。
(いつものごとく、ガイドが楽しんでおります^^;)
参加された若い先生からも「楽しかったね」「楽しかった。知らないことばかりだった」という声が聞かれました☺️
伊豆大島のジオ物語、ぜひ子供達に伝えてください〜☺️
(かな)
この日は高校の先生は都合がつかず、小、中学校の先生方20名以上が昼過ぎに、公共駐車場に集合しました。
大島町教育委員会が主催なので、町役場のマイクロバスで移動します。
最初は数10万年前の古い火山を見に“野田浜”へ。
研修会のコーディネーターであるY先生が、地質図を広げて説明しています。
続いて現在活動中の“大島火山”の溶岩が海と接する風景の中を歩きました。
あるラインから溶岩が左右にチューブを巻いて流れたと思われる不思議な風景を前に「これはどうしてできたのか?」の謎解きに挑戦中☺️
正解はわかりませんが、みんなで考えるのは楽しいです。
流れている時の風景を想像するとワクワクします☺️
続いて「碁石浜」と呼ばれるゴロ石の浜へ。
古い火山が波に削られてできた崖を降りました。
大島には溶岩の海岸も砂浜も、丸い石が積み重なる海岸もあります。
ここは、白っぽい石が多いのは何故なのでしょう?
「古いから表面が白くなったのではないか?」という意見に納得しつつも…
たまにツートンカラーもあって、ギモンが再燃します(笑)
そしてこの、海でゴロゴロ転がされて丸くなった石は、昔の暮らしの中で「力比べ」に使われていたとも言われています。
最後の見学先の岡田港に着いてすぐに、その「石」に会いに行きました。
写真右下にあるのが、岡田港出身の力持ちの力士「伝吉」が「頭上高く持ち上げた」と伝えられる石です。
岡田出身のK先生が、伝吉さんのことを、詳しくわかりやすく語ってくれました!
知識だけではない「伝吉さんへの思い」が伝わって、とても面白かったです☺️
1703年の津波被害の後に建てられた龍王神社。
ここの鳥居が小さいのが以前から疑問でしたが、これに対しては…
「岡田の集落は沢を伝って流れた溶岩上にあり土地が少ない。この神社は、小さなスペースを上手に使うため、全体を小さくバランスを整えて、遠くから見ると大きく見えるように工夫されたのではないか?」という専門家の意見を教えてもらいました(みなさん納得していました)
道路脇のお地蔵さんでは、元町出身の先生と岡田出身の先生が、それぞれの地域の「地蔵前での厄落とし」の方法を披露。
「大人の地元自慢」がとても面白く、ぜひもっと本格的に聞きたいと思いました(本気)
岡田港の「暮らしのなかのジオ物語」を辿りながら、最後は八幡神社へ。
ここで、地域に伝わる踊りの師匠でもあるジオガイドのKさんが登場!
実は「お時間があったらぜひ話を聞かせてください」とお願いしてありました。
Kさんにいざなわれ、全員お社の奥へ…
Kさんはそこで「沢を伝って海まで流れた溶岩の上に、集落が作られていった」ということを、自分の経験と文献から(まだ科学的な証明がされていないことは、それを示しながら)語ってくれました。
ちなみに個人のおうちの庭先にあった「力自慢に使った石」は、最近、地域の人たちの手で神社の一角に運ばれたそうです。
地域の人がこうやって、地元の歴史を残すために協力できるって素敵です。
最後に、地元の人しか知らないような裏道を抜け…
トンネルを抜けて…
海へ出ました!
残念ながら満潮で溶岩が隠れていましたが、ここは潮が引くと磯遊びができる場所です。
岡田港を作った溶岩が、海にやや突き出た場所。
昔、伊豆大島に流された「源為朝」は「ここから大島に上陸した」と伝えられています。
ジオと繋がる私たちの暮らしや歴史、そしてダイナミックな火山の風景と、たくさんの謎が楽しかったです。
(いつものごとく、ガイドが楽しんでおります^^;)
参加された若い先生からも「楽しかったね」「楽しかった。知らないことばかりだった」という声が聞かれました☺️
伊豆大島のジオ物語、ぜひ子供達に伝えてください〜☺️
(かな)