図書館で借りた本だ。
『世界』に連載されたものだが、単行本化に際してきちんと現在に適応するように書き加えていて、その点でも誠実さを感じる。
『世界』で読んでいたはずだが、こうしてまとめてみると、著者の主張したいところがどこにあったのかがよく分かる。恐ろしさを感じるのだ。
今は、新聞やテレビなどのマスメディア、そして選挙キャンペーンなど国民に何らかの情報が伝達される仕組みの中に、権力によるプロパガンダが明確に入り込んでいる。
国民に向けて、様々な媒体(そのなかには教育も入るし、いわゆる「文化人」もはいるし、講演などもはいる)から情報が送られてくるが、それらにより国民は操作の対象とされていく、つまり送り手の巧妙な仕掛けにより知らず知らずのうちに、送り手が送りたい情報を自らの体内に取り込んでしまっているのだ。
こういう時代には、国民はよほど慎重に情報を吟味しなければならないのだが、おそらくそれは無理だろう。テレビなどのマスメディアが集中的に情報を流されると、国民の意識は否応なくその影響を受ける。それらとは異質な情報を入手できる位置にあれば何とか抵抗できるが、そういう人々はおそらく少数であろう。
ここに記されていることは、「現代の恐怖」ではあるが、それに気づくことは難しい。だからこそ、この本を薦めたい。
『世界』に連載されたものだが、単行本化に際してきちんと現在に適応するように書き加えていて、その点でも誠実さを感じる。
『世界』で読んでいたはずだが、こうしてまとめてみると、著者の主張したいところがどこにあったのかがよく分かる。恐ろしさを感じるのだ。
今は、新聞やテレビなどのマスメディア、そして選挙キャンペーンなど国民に何らかの情報が伝達される仕組みの中に、権力によるプロパガンダが明確に入り込んでいる。
国民に向けて、様々な媒体(そのなかには教育も入るし、いわゆる「文化人」もはいるし、講演などもはいる)から情報が送られてくるが、それらにより国民は操作の対象とされていく、つまり送り手の巧妙な仕掛けにより知らず知らずのうちに、送り手が送りたい情報を自らの体内に取り込んでしまっているのだ。
こういう時代には、国民はよほど慎重に情報を吟味しなければならないのだが、おそらくそれは無理だろう。テレビなどのマスメディアが集中的に情報を流されると、国民の意識は否応なくその影響を受ける。それらとは異質な情報を入手できる位置にあれば何とか抵抗できるが、そういう人々はおそらく少数であろう。
ここに記されていることは、「現代の恐怖」ではあるが、それに気づくことは難しい。だからこそ、この本を薦めたい。