浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

書評

2011-10-27 23:00:04 | 日記
 昨日『法と民主主義』10月号(462号)が届いた。特集は「強まる監視・管理の実態」である。特集そのものの紹介をしようと思っていたが、ここではそれをやめる。

 というのも、日本評論社元会長大石進氏による書評に感動したからである。

 紹介された本は、『法律時評1951ー1973』(慈学社出版)。2008年刊行である。著者は戒能通孝氏、すでに故人である。

 日本評論社から『法律時報』という雑誌が刊行されている。今でも特集によって購入することがある。今でも過去に出された臨時増刊号を、私はほとんど所有している。そんなことは、まあいい。

 『法律時報』には、「法律時評」という欄がある。戒能通孝氏は、1951年から73年まで、毎号この欄を始め、重要なコーナーを担当され、また編集の責にあたられていた。その前までは、末弘厳太郎氏が責任編集者となっていたから、末弘氏が戒能氏の役を担っていたのだろう。

 戒能氏は、『法律時報』のために、おそらく早稲田大学をやめた。それほど『法律時報』の編集は、戒能氏にとって重要でありかつ大変な作業であったのだろう。

 戒能氏は、入会権をめぐって裁判で争われた小繋事件で有名である。岩波新書に同名の本がある。私が学生時代属していたサークルは裁判問題研究会。もう大学にそれはない。しかし、このサークルこそ、学生として小繋事件を支援・研究していたサークルである。だから先輩諸氏から、小繋事件については聞いていたし、それに関する資料もサークル室に少しあった。また私が大学に入った時には、すでに大学を去られていたが、戒能氏の噂は聞いたことがある。

 大石氏は、日本評論社の社員として、また『法律時報』の会社側の編集担当として戒能氏の近くにあった。その立場から、戒能氏が「法律時評」に書かれたいくつかの文が、いかに現代を照射しているかを、短い文のなかで凝縮して指摘している。

 この書評は、力強い。いかに大石氏が戒能氏を尊敬(敬愛)しているかを如実に示している。

 B5の2ページだけの書評ではあるが、どうしてもこの本を読みたくなるような熱のこもった文だ。だが高価だ。9400円+税である。

 この書評だけで、戒能氏の本質と氏の働きを知ることができる、すばらしい文章である。

 
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不信

2011-10-27 08:28:22 | 日記
 福島の原発事故以来、政府や東電はもちろん信用出来ない。地方自治体も信用出来ない。彼らは国民や住民、消費者の生活と健康には、ほとんど関心を持っていないことが明らかになった。それは、今までの薬害問題や公害問題などで、ずっと前から(明治の頃から、足尾鉱毒事件を想起せよ)、そういう集団であることが証明されてきている。

 ではメディアはどうか。これも、もうずっと前から、最近で言えば小泉内閣の頃から、いや「政治改革」と呼ばれた小選挙区制導入の頃から、マスメディアは批判精神を失った、公益とか真実とかとは無縁の組織であることが証明されてきた。

 今度の福島の原発事故では、それがもっとも明瞭になった。政府や東電の発表を主体としながら、さらにそれにお墨付きを与えるような「学者」たちを動員して、まったく虚偽の情報を流し続けた。犯罪的である。だが彼らは自らが犯罪的なことを行ってきたという反省は微塵もない。

 原発問題については、政・官・業・学、そしてメディアも一体となって、原発からの利益を山分けしてきた。ことここに至っても、まったくそれは変わらない。


 以下に挙げたブログが、『毎日新聞』の記事について、批判している。このように、悪質な記事については批判を積み重ねていかないといけない。なぜなら、記者は批判精神もなければ向学心もないからだ。記事を書く時、15年以上前の記者たちは勉強していた。

 今は、思考する脳を経由せずして、発表記事をそのまま(簡略化したりするが)載せるだけ。


 http://www.magazine9.jp/osanpo/111026/
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