昨日『法と民主主義』10月号(462号)が届いた。特集は「強まる監視・管理の実態」である。特集そのものの紹介をしようと思っていたが、ここではそれをやめる。
というのも、日本評論社元会長大石進氏による書評に感動したからである。
紹介された本は、『法律時評1951ー1973』(慈学社出版)。2008年刊行である。著者は戒能通孝氏、すでに故人である。
日本評論社から『法律時報』という雑誌が刊行されている。今でも特集によって購入することがある。今でも過去に出された臨時増刊号を、私はほとんど所有している。そんなことは、まあいい。
『法律時報』には、「法律時評」という欄がある。戒能通孝氏は、1951年から73年まで、毎号この欄を始め、重要なコーナーを担当され、また編集の責にあたられていた。その前までは、末弘厳太郎氏が責任編集者となっていたから、末弘氏が戒能氏の役を担っていたのだろう。
戒能氏は、『法律時報』のために、おそらく早稲田大学をやめた。それほど『法律時報』の編集は、戒能氏にとって重要でありかつ大変な作業であったのだろう。
戒能氏は、入会権をめぐって裁判で争われた小繋事件で有名である。岩波新書に同名の本がある。私が学生時代属していたサークルは裁判問題研究会。もう大学にそれはない。しかし、このサークルこそ、学生として小繋事件を支援・研究していたサークルである。だから先輩諸氏から、小繋事件については聞いていたし、それに関する資料もサークル室に少しあった。また私が大学に入った時には、すでに大学を去られていたが、戒能氏の噂は聞いたことがある。
大石氏は、日本評論社の社員として、また『法律時報』の会社側の編集担当として戒能氏の近くにあった。その立場から、戒能氏が「法律時評」に書かれたいくつかの文が、いかに現代を照射しているかを、短い文のなかで凝縮して指摘している。
この書評は、力強い。いかに大石氏が戒能氏を尊敬(敬愛)しているかを如実に示している。
B5の2ページだけの書評ではあるが、どうしてもこの本を読みたくなるような熱のこもった文だ。だが高価だ。9400円+税である。
この書評だけで、戒能氏の本質と氏の働きを知ることができる、すばらしい文章である。
というのも、日本評論社元会長大石進氏による書評に感動したからである。
紹介された本は、『法律時評1951ー1973』(慈学社出版)。2008年刊行である。著者は戒能通孝氏、すでに故人である。
日本評論社から『法律時報』という雑誌が刊行されている。今でも特集によって購入することがある。今でも過去に出された臨時増刊号を、私はほとんど所有している。そんなことは、まあいい。
『法律時報』には、「法律時評」という欄がある。戒能通孝氏は、1951年から73年まで、毎号この欄を始め、重要なコーナーを担当され、また編集の責にあたられていた。その前までは、末弘厳太郎氏が責任編集者となっていたから、末弘氏が戒能氏の役を担っていたのだろう。
戒能氏は、『法律時報』のために、おそらく早稲田大学をやめた。それほど『法律時報』の編集は、戒能氏にとって重要でありかつ大変な作業であったのだろう。
戒能氏は、入会権をめぐって裁判で争われた小繋事件で有名である。岩波新書に同名の本がある。私が学生時代属していたサークルは裁判問題研究会。もう大学にそれはない。しかし、このサークルこそ、学生として小繋事件を支援・研究していたサークルである。だから先輩諸氏から、小繋事件については聞いていたし、それに関する資料もサークル室に少しあった。また私が大学に入った時には、すでに大学を去られていたが、戒能氏の噂は聞いたことがある。
大石氏は、日本評論社の社員として、また『法律時報』の会社側の編集担当として戒能氏の近くにあった。その立場から、戒能氏が「法律時評」に書かれたいくつかの文が、いかに現代を照射しているかを、短い文のなかで凝縮して指摘している。
この書評は、力強い。いかに大石氏が戒能氏を尊敬(敬愛)しているかを如実に示している。
B5の2ページだけの書評ではあるが、どうしてもこの本を読みたくなるような熱のこもった文だ。だが高価だ。9400円+税である。
この書評だけで、戒能氏の本質と氏の働きを知ることができる、すばらしい文章である。