帚木蓬生の作品は、ほとんど読んでいる。帚木の作品の背景には、強いヒューマニズムの精神がみなぎっている。
帚木は、軍医であった者たちが『日本医事新報』に寄せた回顧録をもとに、小説仕立てで戦争の様相を描いている。一般の兵士たちよりも少しは良い待遇にあったが、しかし彼等の体験は軍医であろうととも兵士であって戦争の大局を知る立場にはなく、局所的にそこにいる場でひたすら医師としての職務に邁進するだけだ。戦争の大局は、東京の安全なところにいる参謀たちが、軍隊を駒にしてあーでもない、こーでもないと議論して(したかどうかはわからない、ひょっとして気まぐれでたてられた作戦かもしれない)、兵士たちは戦場へと向かわされ、そこで軍医たちは傷病兵を治療する。
兵士がいるところ軍医がいた。彼らは戦場とはどういうところかを、他の兵士と共に知った。
戦争とは、「敵」とされた国家の人々を殺戮し、またあらゆるものを破壊するものだ。戦争がなかったならば、個人的には殺し合うような必然性をまったくもっていないのにもかかわらず、国家が「敵」とみなした者たちを殺さなければならない。まったく不条理の世界だ。
そして「敵」によってけがを負わされた者たちを治療し、あるいは死亡診断書を書くために軍医は動員された。
本書では、ヒロシマ、「満州」、中国、南太平洋の島々など、それぞれの軍医が体験した戦場を描く。表題の「蠅の帝国」は、原爆に見舞われたヒロシマの惨状を描いた一節描いたものだ。ヒロシマは、蠅に覆われたそうだ。人が歩いているその背中は、蠅で真っ黒になっていたそうだ。
しかし戦場には、おそらく蠅がいっぱいいただろう。あちこちに放置された死体にたかる蠅。日本は、「大東亜共栄圏」で無数の蠅を繁殖させた。もちろんそれは本土でも。
戦場は蠅と共にある。同時に、それは「大日本帝国」と共にあった。その具体的な様相は、本書を読むしかない。
帚木の作品は、読むに値する。
帚木は、軍医であった者たちが『日本医事新報』に寄せた回顧録をもとに、小説仕立てで戦争の様相を描いている。一般の兵士たちよりも少しは良い待遇にあったが、しかし彼等の体験は軍医であろうととも兵士であって戦争の大局を知る立場にはなく、局所的にそこにいる場でひたすら医師としての職務に邁進するだけだ。戦争の大局は、東京の安全なところにいる参謀たちが、軍隊を駒にしてあーでもない、こーでもないと議論して(したかどうかはわからない、ひょっとして気まぐれでたてられた作戦かもしれない)、兵士たちは戦場へと向かわされ、そこで軍医たちは傷病兵を治療する。
兵士がいるところ軍医がいた。彼らは戦場とはどういうところかを、他の兵士と共に知った。
戦争とは、「敵」とされた国家の人々を殺戮し、またあらゆるものを破壊するものだ。戦争がなかったならば、個人的には殺し合うような必然性をまったくもっていないのにもかかわらず、国家が「敵」とみなした者たちを殺さなければならない。まったく不条理の世界だ。
そして「敵」によってけがを負わされた者たちを治療し、あるいは死亡診断書を書くために軍医は動員された。
本書では、ヒロシマ、「満州」、中国、南太平洋の島々など、それぞれの軍医が体験した戦場を描く。表題の「蠅の帝国」は、原爆に見舞われたヒロシマの惨状を描いた一節描いたものだ。ヒロシマは、蠅に覆われたそうだ。人が歩いているその背中は、蠅で真っ黒になっていたそうだ。
しかし戦場には、おそらく蠅がいっぱいいただろう。あちこちに放置された死体にたかる蠅。日本は、「大東亜共栄圏」で無数の蠅を繁殖させた。もちろんそれは本土でも。
戦場は蠅と共にある。同時に、それは「大日本帝国」と共にあった。その具体的な様相は、本書を読むしかない。
帚木の作品は、読むに値する。