浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

平澤計七の浜松観

2011-10-21 10:10:21 | 日記
 平澤が浜松にいた頃に書かれた戯曲「夢を追う女の群れ」のなかに、こういう台詞がある。


 「日本という国の浜松と云う町には自分を無くした幽霊ばかり住んでいる」

 これは1914年に書かれたもの、もちろん今とは違うだろう。


 また1912年に書かれた「浜松市民足下」という文がある。これは『駿遠日報』に投稿されたものだ。JRの浜松工場、当時は鉄道院浜松工場であるが、それができたばかり。他所から多くの労働者が入ってきた。浜松市民は、彼等を胡散臭く思っていたようだ。だから平澤は浜松市の「労働者排斥論者諸君」に呼びかけた文を書いたのである。

 浜松はよそ者に対して開かれているとかいう考えがある。これは「やらまいか精神」が主張された頃につくられた虚説である。「やらまいか」をやってみようではないか、という意味にして、1980年代に浜松の精神であるかのようにする風潮がつくられたが、「やらまいか」はそれまで聞いたことがない。「行かまいか」=いっしょに行こう、はつかっていたけれど。
コメント
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