昨日、図書館から『いのちへの旅』(岩波書店)を借りた。しかしどうも、森崎の文と相性が悪いと分かった。
森崎の『からゆきさん』(1976年)は読んだことはあるが、こういうエッセイめいたものははじめてだ。
森崎は詩人だという。だからなのか、文が時空を越えてあちらこちらに飛翔する。こういう文に、私はついていけない。
ぱらぱらと後を拾い読みする。森崎の交友関係が記されている。しかしそれにいかなる意味があるのだろうかと思ってしまう。
また不可思議な文と、ときにぶつかる。たとえば、「現在の世界情況は前世紀の強者支配の文明へと、きしみつづけている。その物質化による自然界への影響は、そして個々の身体や心理上の不安定さも、世代を超えた共通の問題であると、痛感させられている。」という文。前後にこれを説明するものはない。
主観的そのものの文である。詩人だから・・・?
しかし、書かれた文というのは、他者に理解されてこそ生きるのではないか。これでは、自分が自分自身だけに向けて表出されたことばを綴っただけにすぎないのではないか。
おそらく、森崎の文を以後読むことはない。理解力がない私には、あまりに高等な内容だ。
森崎の『からゆきさん』(1976年)は読んだことはあるが、こういうエッセイめいたものははじめてだ。
森崎は詩人だという。だからなのか、文が時空を越えてあちらこちらに飛翔する。こういう文に、私はついていけない。
ぱらぱらと後を拾い読みする。森崎の交友関係が記されている。しかしそれにいかなる意味があるのだろうかと思ってしまう。
また不可思議な文と、ときにぶつかる。たとえば、「現在の世界情況は前世紀の強者支配の文明へと、きしみつづけている。その物質化による自然界への影響は、そして個々の身体や心理上の不安定さも、世代を超えた共通の問題であると、痛感させられている。」という文。前後にこれを説明するものはない。
主観的そのものの文である。詩人だから・・・?
しかし、書かれた文というのは、他者に理解されてこそ生きるのではないか。これでは、自分が自分自身だけに向けて表出されたことばを綴っただけにすぎないのではないか。
おそらく、森崎の文を以後読むことはない。理解力がない私には、あまりに高等な内容だ。