退職と同時に、歴史関係の雑誌の購読をやめた。ただ、『歴史評論』(歴史科学協議会編、校倉書房刊)だけは続けている。
学生時代、歴史学者の講演会などによく足を運んだ。昨年亡くなられた明治維新史研究の大家であった遠山茂樹氏の講演も何度か聴いた。
遠山氏は、歴史研究は現代的な課題と切り結ぶ中で行われなければならないと話されていた。私は、遠山氏をはじめとした戦後歴史学を背負ってきた歴史学者から、同じようなことを聴いてきた。私もその意見に賛同し、現代社会に起きているさまざまな問題に大きな関心を抱きながら勉強を続けた。また基本的に現代的な課題を意識しながら研究テーマを決めてきた。
現代的な課題をきちんと追究しているのは、やはり歴史科学協議会である。そのほかの研究団体もあるが、『歴史評論』こそ現代的課題と歴史研究とを結びつけている学術団体はないと思う。
さて今月号で興味深いのは、上野輝将の『朝日新聞』を分析したものと小林啓治の「日米関係「再生」構想が描く21世紀の世界」である。
前者は、『朝日新聞』の社説の変遷を追っているのだが、私から見ればすでにずっと以前からそれは時代遅れ、あまり意味がないと思っている。『朝日』の社論は、何度も検証してきた(「過去と未来の間」というブログ参照)。内容もひどいが、文の質も低下していることを指摘してきた。昔は、『朝日』のコラムを始め、社説も内容豊かで、格調も高かった。しかし今はその跡形もない。
ただ上野の分析によると、論説主幹の交替により若干の変化はあるようだ。
小林の論文は、日米関係を扱いながら、現代日本史研究の課題なども提起している。戦後史を考える場合、日米関係はきわめて重要であり、いかなる問題を扱う場合でも考慮しなければならない。
私も、アメリカ帝国とはいかなる存在であるか、日米関係はいかなる状態かなど、いまもって追っている。日本の現在を把捉するためには、絶対に必要だ。日本の権力は、アメリカ帝国、グローバル資本の構成員である日本の大企業(日本経団連)に、いつも顔色をうかがっている。野田が首相になって最初に訪問したのが、日本経団連、そして訪米。
小林論文は、こうした日本の有り様を考えるために、大変参考になる。
学生時代、歴史学者の講演会などによく足を運んだ。昨年亡くなられた明治維新史研究の大家であった遠山茂樹氏の講演も何度か聴いた。
遠山氏は、歴史研究は現代的な課題と切り結ぶ中で行われなければならないと話されていた。私は、遠山氏をはじめとした戦後歴史学を背負ってきた歴史学者から、同じようなことを聴いてきた。私もその意見に賛同し、現代社会に起きているさまざまな問題に大きな関心を抱きながら勉強を続けた。また基本的に現代的な課題を意識しながら研究テーマを決めてきた。
現代的な課題をきちんと追究しているのは、やはり歴史科学協議会である。そのほかの研究団体もあるが、『歴史評論』こそ現代的課題と歴史研究とを結びつけている学術団体はないと思う。
さて今月号で興味深いのは、上野輝将の『朝日新聞』を分析したものと小林啓治の「日米関係「再生」構想が描く21世紀の世界」である。
前者は、『朝日新聞』の社説の変遷を追っているのだが、私から見ればすでにずっと以前からそれは時代遅れ、あまり意味がないと思っている。『朝日』の社論は、何度も検証してきた(「過去と未来の間」というブログ参照)。内容もひどいが、文の質も低下していることを指摘してきた。昔は、『朝日』のコラムを始め、社説も内容豊かで、格調も高かった。しかし今はその跡形もない。
ただ上野の分析によると、論説主幹の交替により若干の変化はあるようだ。
小林の論文は、日米関係を扱いながら、現代日本史研究の課題なども提起している。戦後史を考える場合、日米関係はきわめて重要であり、いかなる問題を扱う場合でも考慮しなければならない。
私も、アメリカ帝国とはいかなる存在であるか、日米関係はいかなる状態かなど、いまもって追っている。日本の現在を把捉するためには、絶対に必要だ。日本の権力は、アメリカ帝国、グローバル資本の構成員である日本の大企業(日本経団連)に、いつも顔色をうかがっている。野田が首相になって最初に訪問したのが、日本経団連、そして訪米。
小林論文は、こうした日本の有り様を考えるために、大変参考になる。