浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】『堺利彦伝』(中公文庫)

2016-01-01 20:04:11 | 
 ずっと以前に購入してあった。今日、2016年元旦に読む。今年は近代日本史に「非戦」を探らんとす。

 堺は社会主義者なり。しかしこの自伝にはそこまでは書かれて居らず。堺は豊前に生まる。士族の子なり。貧乏士族出身のひとりであるが、維新期の士族の子弟に見られる如く、彼らに教育を受けさせるべく家族縁者らが大いに奮闘せり。「立身出世」こそが目的なりき。

 堺も上京し、第一高等中学校に進学するも、ほどなく酒色に溺れ、カネというカネをつぎ込み、ついに放校となりき。かくて田舎に帰りしも、維新後の貧乏士族の面々は田舎に生き続けられず、家族共々大阪に出る。
 
 そこでまず教員となりき。しかし酒色は堺を離さざりき。かくて教員をやめ、雑文家となり、さらに兄の助力も得て新聞記者へ。しかして酒色は彼から離れることなく、また人間関係などで次々と社を変え、福岡、大阪を変転し、新聞記者をやめ毛利家の編輯所に入り、何と『防長回天史』編纂に関わる。この頃には結婚し放蕩からも脱し、その後『万朝報』に入る。

 この自伝は、ここまで。ここまでは社会主義の「社」の字もなく、無鉄砲な自由人でしかない。この後については、他書に依存せざるを得ない。

 この放蕩まみれの堺、その後の思想の変化を追わなければならぬ。

**************************************************************
 さて、堺の書いた本は、アマゾンのKindle版にかなりアップされている(ということは「青空文庫」にあるということ)、その他『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』という本は一度読んだが、その後人にあげてしまった。もう一度買わなければ・・・

 近代の思想家を追うことが、今年の課題である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽

2016-01-01 14:23:56 | 日記
 今ボクは、ベートーベンのヴァイオリン協奏曲を聴きながらこれを書いている。パソコンに安価なスピーカーをつけて聴いているのだが、音質についてはほとんどかまわなかった。生の演奏に比べれば、何をどうしようとあまり変わらないだろうという醒めた気持ちがあったからだ。

 最近、高額なイヤホンを手に入れた。それをつけて聴いてみたら、今まで聴いていた音楽とは思えないほどの重量感、音の厚みを感じた。ここまで技術は進歩したのかと、ただただ驚くばかりであった。

 こういう音を聴いてしまうと、人間は贅沢になるのか、もっとよい音をと思い始めた。


 昨日、ベートーベンの第九を聴いた。指揮者パーヴォ・ヤルヴィについては全く知らなかった。丁寧な曲作り、メリハリのきいた感情豊かな表現に特徴があると思った。

 
 最近音に敏感になってきたせいか、上空を飛ぶ自衛隊機の騒音が気にかかるようになった。自衛隊機の騒音は、まさに騒音そのもので、あってはならない音である。暴走族の諸君のつくりだす音と同じ。

 今日はその騒音はない。ずっとそうであってほしい。


 朝、目が覚めると鳥のさえずりに耳を傾ける。鳥のさえずりは平和の声だ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

非戦の近現代

2016-01-01 13:44:02 | 日記
 昨年、歴史講座で近世から1945年までの歴史を語った。日本の歴史的伝統とは何かを指摘しつつ、日本近代はその伝統からの逸脱であったということを話したのだ。これについては2月にもう一度話す。

 日本の歴史を振り返ると、日本列島に住む住民が海を越えて侵攻していったということはない。神話の時代にはそうした話が記されているが、それが事実であったかどうかを確かめるすべはない。日本列島の住人が海を越えて侵攻した例は、秀吉の朝鮮侵略しかない。もちろん日本列島の中では、争乱は無数にある。だが、対外的な侵攻は、秀吉だけだ。

 秀吉後の江戸幕府は、平和的外交を追求した。朝鮮に対しても和を講じ、朝鮮通信使との外交があった。朝鮮通信使に対しては、幕府の華夷思想により、蔑視的な取扱いはあったようだが、総じて平和的な関係が続いた。

 明が倒れ、清が勃興する華夷変態の際、幕府に対して援軍の要請があったようだが、幕府はそれを断っている。

 また、幕府が唯一ヨーロッパ諸国のなかで外交関係を持ったオランダ。そのオランダは、ヨーロッパ情勢との関係で、平戸を拠点に海賊行為を働いていた。そのオランダの海賊行為をやめさせることによって、幕府はオランダを幕府の秩序の中に取り込んでいった。

 幕末においても、欧米列強が軍事的優位を背景に迫ってきたときも、幕府は、長州や薩摩と異なり、平和的な対応で一貫していた。

 しかしその薩摩・長州が政治権力を掌握したあと、日本の歴史的伝統とは異なり、近代日本国家はその初発から対外的な侵攻を開始した。そしてそれは1945年まで続いた。

 日本の歴史的伝統に、1945年は立ち返ったということになろうか。日本の伝統は「非戦」なのである。

 ところが、安倍政権とそれにつながる自民党と公明党は、その伝統を再び断絶させようとしている。


 ボクは今年2016年、日本の歴史的伝統から逸脱した近現代において、厳しい状況の中で「非戦」を訴えた人びとの主張と生き方を調べ、人びとに伝えていこうと思う。

 昨日、部屋を片づけた。床の上まで散らばった本やコピーの束を、系統的に袋に詰めて、いつでも取り出せるように整理した。そして、今年新しく始める「非戦の近現代」のテーマに基づく袋を用意した。すでに多くの本が用意されている。

 自分自身は、平和のために何ができるか、を考えるとき、10年ほど前までのように、地域で市民運動の中心となってデモや集会を組織することではなく、学問的なことで貢献しようと思う。

 10年ほど前、今もって理由は定かではないが、市民運動の中核から排除された。その時ボクは、「ボクの時代は終わったのだ」と思い込んでみずからを納得させた。最近、10年ほど前までのボクの姿を再現させようと、いろいろな人から声がかかる。そんなとき、排除された頃のことが思い出される。その時に突き刺さったとげは、まだ抜けていない。

 今年の年賀状にも、そうしたものがあった。しかし、とげは突き刺さったままなのだ。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする