毎月購読している雑誌の一つ、『世界』。今のような時代、発行部数は減っているのだろうと思う。高校生の時から、様々なことを学ばせてもらった雑誌だ。時間を見つけては読み、内容がよかった文については、目次に花丸をつけていく。
最初に読んだのは、「正義のたいまつは引き継がれるか」である。もと朝日新聞記者の植村さんが在籍する大学であることが理由になって、右翼などから激しい攻撃を受けた大学、北星学園大学。大学はみずからにしかけられた攻撃に抗することができたか。
植村さんへの右翼からの攻撃は、根も葉もない不当なものであったことは、植村さんみずからの闘いなどで、すでに明らかになっている。しかし、結論から言えば、北星学園大学は、植村さんを放出する。
北星学園大学も、警備費にカネがかかったり、不当な攻撃で経済的な損失なども大きかったようだ。北星学園大学も、被害者であることは十分に理解できる。だが、結局は、放出する。
韓国の大学からの温かい手がさしのべられ、植村さんは韓国の大学の教壇に立つことになる。それを、北星学園大学は、おそらく喜んだ。これで警備費に多額のカネをつかわなくてもよい。あるいは、「植村さんがいるかぎり日常的に警察が出入りし、わたしの研究の自由が守られない」と考えた教員も、おそらく安堵する。
「正義のたいまつ」を燃やし続けることは大変なことなのだ。だが、燃やし続けられなければならない。
文の中に「遠吠え民主主義」ということばがあった。「返り血を浴びないですむ遠い問題にはワンワン吠え、血を流すかも知れない近い問題には黙る」。
植村さんへの不当な攻撃は、至る所で現代日本の民主主義の状態を明らかにしていった。
『朝日新聞』は、もと朝日の記者であった植村さんを守ろうとしなかった、北星学園大学も、外からの声にやむなく一時は守ったが、結局植村さんにでていってもらう。
日本の民主主義は、もう危機を通り越しているような気がする。
不当な攻撃を行った右翼たちは、「勝利」を感じているだろう。そして今度は誰を狙うか・・・そう考えているのではないか。
1930年代、美濃部達吉の天皇機関説が攻撃され、京都大学の滝川幸辰がやられ、津田左右吉が攻撃され・・・・・
同じ道を歩んでいるような気がする。
この文は、現在の日本の民主主義の実態を示しているように思えた。
最初に読んだのは、「正義のたいまつは引き継がれるか」である。もと朝日新聞記者の植村さんが在籍する大学であることが理由になって、右翼などから激しい攻撃を受けた大学、北星学園大学。大学はみずからにしかけられた攻撃に抗することができたか。
植村さんへの右翼からの攻撃は、根も葉もない不当なものであったことは、植村さんみずからの闘いなどで、すでに明らかになっている。しかし、結論から言えば、北星学園大学は、植村さんを放出する。
北星学園大学も、警備費にカネがかかったり、不当な攻撃で経済的な損失なども大きかったようだ。北星学園大学も、被害者であることは十分に理解できる。だが、結局は、放出する。
韓国の大学からの温かい手がさしのべられ、植村さんは韓国の大学の教壇に立つことになる。それを、北星学園大学は、おそらく喜んだ。これで警備費に多額のカネをつかわなくてもよい。あるいは、「植村さんがいるかぎり日常的に警察が出入りし、わたしの研究の自由が守られない」と考えた教員も、おそらく安堵する。
「正義のたいまつ」を燃やし続けることは大変なことなのだ。だが、燃やし続けられなければならない。
文の中に「遠吠え民主主義」ということばがあった。「返り血を浴びないですむ遠い問題にはワンワン吠え、血を流すかも知れない近い問題には黙る」。
植村さんへの不当な攻撃は、至る所で現代日本の民主主義の状態を明らかにしていった。
『朝日新聞』は、もと朝日の記者であった植村さんを守ろうとしなかった、北星学園大学も、外からの声にやむなく一時は守ったが、結局植村さんにでていってもらう。
日本の民主主義は、もう危機を通り越しているような気がする。
不当な攻撃を行った右翼たちは、「勝利」を感じているだろう。そして今度は誰を狙うか・・・そう考えているのではないか。
1930年代、美濃部達吉の天皇機関説が攻撃され、京都大学の滝川幸辰がやられ、津田左右吉が攻撃され・・・・・
同じ道を歩んでいるような気がする。
この文は、現在の日本の民主主義の実態を示しているように思えた。