昨日久しぶりに書店に行った。本はほとんど通販で購入しているから、書店で買うことは少ない。しかし読むべき本は、実際に書店に足を運ばないと見つけられないこともある。
文庫本の棚を見ていたら、堀川惠子という名を見つけた。テレビドキュメンタリーのディレクターとして数々の作品を制作し、またみずから取材し制作したドキュメントに関して書物にもしている。堀川の取材力、筆力には、感服している。ついでに女性では、黒岩比佐子、梯久美子らに感服している。
『裁かれた命』。ボクはすぐに眠りに入らないため、毎夜布団の中に入ってから少し本を読む。昨夜この本を読みはじめたら、なかなか眠れなくなってしまった。読むのをやめ、とにかく寝たが、朝起きてから再び読みはじめた。この本には、あまりにもたくさんの事実が詰まっている。
まず死刑の問題。これが主要なテーマであろうが、日本社会は今応報的な雰囲気が強く、刑罰が厳罰化されてきている。時代によって変化するというのも、法治主義の時代ではおかしいことではあるが、それが現実だ。
しかし応報的に、死刑に値する犯罪を犯したから死刑にする、という短絡的な判断はいかがなものかという気持ちはずっとボクは持ち続けている。大学で被疑者の権利などについてみっちりと学んできているので、そうした発想には違和感をもっている。
この本の主人公は、検察のエリートであった土本武司である。1966年、ひとりの主婦が殺された。犯人は若者であった。長谷川武である。逮捕された後彼はすらすらと犯行を自供し、当時の量刑観から死刑相当であると、捜査検事であった土本は判断した。
第一審の判決は死刑、そして第二審。長谷川は、みずからを罰すべく死刑を甘受していたが、国選弁護人となった小林健治は、誠実に調査した結果、死刑に値しないのではないか、死刑判決を受けた長谷川は生きるべきではないかと考え、そのために手弁当で尽力した。しかし二審も死刑判決だった。そして上告。しかし棄却され確定した。
長谷川は拘置所で、みずからを凝視し、小林や土本に手紙を書き、そのときそのときの心境を書き送る。そこにはみずからの罪を悔い、誠実に生きようとする青年の姿があった。だが、死刑は執行された。
土本は、この本の著者堀川の取材結果に沿いながら、その青年の逮捕後の軌跡、そしてその青年のまわりの家族や関係者らの生の軌跡を知る。土本は、ひょっとしたら、若い駆け出しの検事であった自分の当時の判断は間違っていたのではないかと思い始める。
ひとつの犯罪には、単にその犯罪を起こした者の責に帰すことができない様々な家庭的な、社会的な背景が存在する。人の罪を判断する、裁くということは、簡単ではないことがよくわかる。
裁判員制度が発足してかなりの時間が経過している。人を裁くという重さ、そして死刑という刑罰がもつ大きな限界、ボクらはそれを見つめなければいけないだろう。死刑を求刑したり、死刑判決を下した法曹関係者は、いつもその判断の重荷を背負いながら生きている。その重荷を、ボクらは知らなければならない。
とてもよい本である。堀川の本はすべて読むべき本である。
なお、この本を、殺された被害者の家族に読んでもらいたいと思う。
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文庫本の棚を見ていたら、堀川惠子という名を見つけた。テレビドキュメンタリーのディレクターとして数々の作品を制作し、またみずから取材し制作したドキュメントに関して書物にもしている。堀川の取材力、筆力には、感服している。ついでに女性では、黒岩比佐子、梯久美子らに感服している。
『裁かれた命』。ボクはすぐに眠りに入らないため、毎夜布団の中に入ってから少し本を読む。昨夜この本を読みはじめたら、なかなか眠れなくなってしまった。読むのをやめ、とにかく寝たが、朝起きてから再び読みはじめた。この本には、あまりにもたくさんの事実が詰まっている。
まず死刑の問題。これが主要なテーマであろうが、日本社会は今応報的な雰囲気が強く、刑罰が厳罰化されてきている。時代によって変化するというのも、法治主義の時代ではおかしいことではあるが、それが現実だ。
しかし応報的に、死刑に値する犯罪を犯したから死刑にする、という短絡的な判断はいかがなものかという気持ちはずっとボクは持ち続けている。大学で被疑者の権利などについてみっちりと学んできているので、そうした発想には違和感をもっている。
この本の主人公は、検察のエリートであった土本武司である。1966年、ひとりの主婦が殺された。犯人は若者であった。長谷川武である。逮捕された後彼はすらすらと犯行を自供し、当時の量刑観から死刑相当であると、捜査検事であった土本は判断した。
第一審の判決は死刑、そして第二審。長谷川は、みずからを罰すべく死刑を甘受していたが、国選弁護人となった小林健治は、誠実に調査した結果、死刑に値しないのではないか、死刑判決を受けた長谷川は生きるべきではないかと考え、そのために手弁当で尽力した。しかし二審も死刑判決だった。そして上告。しかし棄却され確定した。
長谷川は拘置所で、みずからを凝視し、小林や土本に手紙を書き、そのときそのときの心境を書き送る。そこにはみずからの罪を悔い、誠実に生きようとする青年の姿があった。だが、死刑は執行された。
土本は、この本の著者堀川の取材結果に沿いながら、その青年の逮捕後の軌跡、そしてその青年のまわりの家族や関係者らの生の軌跡を知る。土本は、ひょっとしたら、若い駆け出しの検事であった自分の当時の判断は間違っていたのではないかと思い始める。
ひとつの犯罪には、単にその犯罪を起こした者の責に帰すことができない様々な家庭的な、社会的な背景が存在する。人の罪を判断する、裁くということは、簡単ではないことがよくわかる。
裁判員制度が発足してかなりの時間が経過している。人を裁くという重さ、そして死刑という刑罰がもつ大きな限界、ボクらはそれを見つめなければいけないだろう。死刑を求刑したり、死刑判決を下した法曹関係者は、いつもその判断の重荷を背負いながら生きている。その重荷を、ボクらは知らなければならない。
とてもよい本である。堀川の本はすべて読むべき本である。
なお、この本を、殺された被害者の家族に読んでもらいたいと思う。
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