那須田稔の本はこれで3冊目だ。やはりいちばんよかったのは、『シラカバと少女』。一つの歴史的情景を切りとった絵画のような作品だった。
この本も、もちろんよい。場所は「満州」だ。傀儡国家「満州国」が崩壊する時期、ハルビンにいた少年の物語である。支配民族の一員としてハルビンにいた日本人少年のタダシ。中国人少年のヤンと仲良くしていたが、支配民族たる日本人が、「満洲国」時代に、いかに支配民族として君臨していたのか、その一端が示される。こういうときの記憶が今も尚伝えられているから、現在の日本人も対中国に対して「優越意識」をもっているのかと思ってしまう。
しかし「満洲国」崩壊とともに、タダシの家庭は崩壊。父はシベリアに送られ、母は亡くなってしまう。タダシは生きていくために、中国人の強盗団の一員となり、その後そこから逃げ、中国人、朝鮮人、日本人らの「少年団」の一員として、生きるための闘いに乗り出す。もちろん、混乱期だから、その闘いは平穏なものではなく、不法なこともしばしば行う。
少年らの交流だけではなく、ソ連兵との交流やその後やってきた中国兵との交流も描かれる。最終的には、中国兵によって「生きるための闘い」から脱出する。
敗戦とともにタダシは絶望的な状況に追い込まれるが、しかし人間は生きている以上「生きるための闘い」を展開せざるを得ない。そしてその闘いは、絶望的ではあっても、その先にささやかかも知れない希望が常に瞬いている。
希望というものは、座視していてやってくるのを待つものではなく、生きる意欲を持って生きていく中で、すぐその先にいつもあり続けるもの、そういうものだということが記されているように思う。
之れも児童文学ではあるが、大人が読んでも面白い。
なお、「満洲国」建国は、1934年3月ではなく、1932年3月である。フィクションだからそれでもよいが、特定の時代背景をもったストーリーの場合、そうしたものは正確でなければいけないと思う。
この本も、もちろんよい。場所は「満州」だ。傀儡国家「満州国」が崩壊する時期、ハルビンにいた少年の物語である。支配民族の一員としてハルビンにいた日本人少年のタダシ。中国人少年のヤンと仲良くしていたが、支配民族たる日本人が、「満洲国」時代に、いかに支配民族として君臨していたのか、その一端が示される。こういうときの記憶が今も尚伝えられているから、現在の日本人も対中国に対して「優越意識」をもっているのかと思ってしまう。
しかし「満洲国」崩壊とともに、タダシの家庭は崩壊。父はシベリアに送られ、母は亡くなってしまう。タダシは生きていくために、中国人の強盗団の一員となり、その後そこから逃げ、中国人、朝鮮人、日本人らの「少年団」の一員として、生きるための闘いに乗り出す。もちろん、混乱期だから、その闘いは平穏なものではなく、不法なこともしばしば行う。
少年らの交流だけではなく、ソ連兵との交流やその後やってきた中国兵との交流も描かれる。最終的には、中国兵によって「生きるための闘い」から脱出する。
敗戦とともにタダシは絶望的な状況に追い込まれるが、しかし人間は生きている以上「生きるための闘い」を展開せざるを得ない。そしてその闘いは、絶望的ではあっても、その先にささやかかも知れない希望が常に瞬いている。
希望というものは、座視していてやってくるのを待つものではなく、生きる意欲を持って生きていく中で、すぐその先にいつもあり続けるもの、そういうものだということが記されているように思う。
之れも児童文学ではあるが、大人が読んでも面白い。
なお、「満洲国」建国は、1934年3月ではなく、1932年3月である。フィクションだからそれでもよいが、特定の時代背景をもったストーリーの場合、そうしたものは正確でなければいけないと思う。