浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

鶴見俊輔に学ぶこと

2016-01-20 10:09:07 | 日記
 昨年の『思想』12月号に、「追悼 鶴見俊輔」という座談会が掲載されている。
 余分なことだが、この号に掲載されている論文、「霊性論」、「カントの超越論的観念論の歪んだ論理空間」など、一般社会にうごめく庶民とは全く無関係の論考が並ぶ。こういう知識階級の言説と、庶民の生活における言説とは、おそろしいほどの乖離がある。知識階級は、そうした乖離を埋めようとしない。

 さて、鶴見の思想が、栗原彬、見田宗介、吉見俊哉によって紹介されていくのだが、「権力者」に関する鶴見の「恐れ」がもっとも関心を抱いた。

 (鶴見は)自分はうっかり権力者になってしまうかもしれないと。そのことに対する恐れに、ものすごく敏感なのです。
 本当は世の中っていうものは、加害と被害の無数の連鎖であって、全ての人が、どんなに底辺に近い人でも、もっと下の人とか周りの弱い人に対しては、権力者になってしまう恐れがあるわけでしょう。そういうことに対する自覚みたいなものが、鶴見さんには強くあった。


 ボクは、今までも何度か書いてきているが、人間にはタテ関係に生きる人とヨコ関係に生きる人がいて、前者のほうがずっと多いこと、ヨコ関係に生きる人びとはそんなに心配しなくても「権力者になってしまう」ことはほとんどないということだ。鶴見は、もちろんヨコ関係に生きる人。だから鶴見の「恐れ」は、タテ関係に生きる人の杞憂なのである。鶴見は、自然体でいたのであって、意識的に「権力者になってしまう」ことのないようにしていたということはないだろうと、ボクは思う。

 ちなみに、ヨコ関係に生きる人とタテ関係に生きる人とは、もちろん交流できるが、その交流は長つづきはしないということだ。ヨコ関係に生きる人びとの周りには、ヨコ関係に生きる人びとが集まる。その方が居心地がいいからだ。

 タテ関係に生きる人びとが、「権力者に」なろうと努力している姿、上にへつらい下に居丈高になる姿を横目で見ながら、ヨコ関係に生きる人びとはおのれの生きる道を歩むのである。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪徳業者

2016-01-20 09:34:44 | 社会
 朝、布団の中から空を見る。ものすごい速さで雲が流れていく。いつもは家の近くの電線で、下にある車の上に糞を落としながら談笑している鳥たちのさえずりも聞こえない。時折、強い風が唸りながら通り過ぎていく。

 今の日本社会も、冷たい強風が吹き荒れている。

 産廃業者「ダイコー」、食品卸業「みのりフーズ」。ゴミを食品として流通させるという「芸当」を平然と行い、カネを儲ける。産廃業者は、依頼された会社から、そして「みのりフーズ」の両方からカネをとる。「みのりフーズ」は、タダ同然のゴミを食品として販売し利益を得る。

 資本主義社会の本質を、露骨に示している。資本主義社会では、カネを儲けた者が勝ちである。もちろんそうならないように、経済学者は「道徳」を具備することを訴え、行政機関は「規制」を行う。

 しかし、1980年代からの資本主義、それはもう亡くなったがミルトン/フリードマンを中心とするシカゴ学派の面々が、「規制」を撤廃せよ、自由に儲けさせる社会を作るべきだ、と主張し、フリードマン自身も「道徳」というか「倫理」とか、そういう人間的な感情を歯牙にもかけることなくカネ儲けを行っていた。

 日本の高級(高給)官僚はアメリカに留学し、そうした「学説」を学び、新自由主義にもとづく社会をつくりあげてきた。

 富裕者たちは、そうした政策に飛びついた。みるみるうちに、資産が増えていったからだ。さらに最初から良心なんて持ち合わせていない輩が、「規制」もないし、どんなことをしてもいい、とにかくカネ儲けをしようと様々な業種に参入してきた。自分が行ったことが、他人や社会にいかなる損害を与えようとも、気がつかれないうちにやっちまえとばかりに、カネ儲けにいそしむ。

 運悪く、「ダイコー」、「みのりフーズ」、そしてバス転落事故を起こした「イーエスピー」は、悪事がばれてしまった。

 だが新自由主義が席捲する社会では、有象無象の輩が、それこそ「自由」にカネ儲けを行っている。

 こういう不健全な資本主義は、いずれ歴史のくずかごに捨てられることだろう。
 人類は、賢明であると、ボクは信じたいのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

FAX

2016-01-20 00:08:09 | 日記
 昼間、PCに向かっていたら、電話の呼び鈴が鳴った。受話器を取ったら、FAXであることがわかった。受話器を置いて、しばらくして印字された紙を見たら、ある特定の人物の確定申告に関する書類であった。

 以前も何度か建築関係のFAXが入り、その都度間違いであることを電話で知らせたが、申し訳ないでもなく、「あ、そうですか」と返され、しばらくして同じところからまたFAXが届いたことがあった。

 今日のFAXについて、どうしようかと考えたが、知らせるのはやめた。

 FAXを送って、放っておく方が悪い、と思う。

 ボクは、FAXを送ります、とか、送りました、という連絡を入れている。

 FAXを送るときには、電話番号を間違えないようにしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする