浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

windows10へ

2020-01-13 21:07:15 | その他
 私が持っているパソコンの一つは、NECの軽いノートパソコンHZである。購入したときにはすでにWindows10が出ていたが、Windows7が好きだったので、7のプロフェッショナル64bitで使用していた。

 今日、付属していたDVDでWindows10にした。とても時間がかかった。また今まで使用していたソフト、たとえばドラゴンスピーチ11、Photoshopーelements9が対応していないというので、インストールするのはやめた。

 今日は、午後3時頃からずっとパソコンの前にいた。

 また私は一太郎派なので、一太郎などジャストシステムのソフトをインストールし、さらに別途購入したフォントも入れた。

 やっとほぼ同じ状態で使えるようにして終わった。疲れた。
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懸隔ー岩波書店のこと

2020-01-13 08:36:06 | 社会
 『世界』2月号が届いているのに、私は未だ一字も読んでいない。特集が、「フィクション化する政治」。それをみたときに、ああこれはダメだと思った。『世界』編集部は、この雑誌を読む人を増やそうとはしていないと思った。

 書店も減ったが、『世界』を置いている書店は稀になった。しかたなく私は直接購読しているが、私が若い頃はほとんどの書店に置いてあり、市中心部の書店には積まれていた。今積まれているのは、『正論』であり、『月刊Hanada』などだ。それらは学問的な裏づけもなく、無責任な放言が汚く書き綴られているだけの代物だ。
 しかし『世界』は違う。学問的な裏づけだけではなく、主張も冷静で理性的である。そういう雑誌こそ多くの人に手に取ってもらいたいと思う。

 さて、私は歴史についてしばしば人びとの前で話をするが、教科書に載っているような事項でさえも、実は市民の人々のコモンセンスになっていないということを知っている。そういう状況の中、根拠なき無責任な主張が入りこんでいくのである。関東大震災時の朝鮮人虐殺はなかったとか。しかし1923年の帝国議会速記録を読めば、そういう事実があったことを前提に議員と政府関係者(内務省の正力松太郎ら)が議論している。朝鮮人虐殺はあったという歴史的事実はコモンセンスとしてあった、そこに「なかった」という根拠なき無責任な議論を提示することによってコモンセンスを崩していくというのが、歴史修正主義者の作戦なのだ。
 歴史修正主義者たちは、アベ政権と足並みを揃え、官僚たちも従えて、歴史の修正=虚偽化をコモンセンスにしようとしている。

 そういう歴史修正主義者たちの策謀を阻止するためには、きちんとした学問的裏付けをもった主張はきわめて重要であり、多くの人々の手にそれらが伝えられていく方途を真剣に考えなければならないのである。雑誌『世界』はその一つとして存在している。

 だが、「フィクション化する政治」という雑誌の背や表紙に大きく書かれている本を、はたして手に取るだろうか。ふつうの庶民の意識とその文言には懸隔がある。もっとわかりやすい活字を並べるべきである。

 岩波書店は、伊藤野枝について、みずからに似せて野枝像を描いた栗原康の本を、単行本で出すだけでなく、「岩波現代文庫」にするなど、私からみればきわめて無謀なことをしている。売れるからいいのだ!という姿勢である。だが栗原のそれは、歴史的事実を無視して、ひどい場合には捏造してみずからの主張にあうようにするという、アベ政権並みの手法をつかったものだ。

 一方では、庶民の意識と懸隔した雑誌を発行し、片方では歴史的事実を無視・捏造した野枝像を売りまくる。

 岩波書店は、おかしい。私のところにも、そうした意見が寄せられている。

 

 
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