25、26日、用事があって東京と埼玉県秩父市に行った。
秩父市では時間ができたので、椋神社を訪れた。3度目の訪問であった。
椋神社は、1884年、秩父困民党の面々が集結したところである。もうずっと前、NHKの大河ドラマ「獅子の時代」が秩父事件を取り上げた頃、もう40年ほど前に訪れたことがある。その後、研究会のフィールドワークで訪れた。
秩父には、学生時代の友人の法事のとき、さらに大学のサークルのOB会でも来たことがある。秩父は今回で5回目である。
「獅子の時代」の頃、椋神社には秩父事件のことを記した看板があったような気がするが、今日はそれは消えていた。
しかし事件の後、北海道へ逃亡した井上伝蔵の屋敷があったところに「秩父事件資料館」があったので入館したが、予想通りなんら有益なものはなかった。入館料200円、JAF会員は150円であるが、もっと実のあるものを展示すべきだと思った。秩父市などがもっと積極的に秩父事件のことを掘り起こすべきだ。若い頃、私は秩父事件についてはいろいろな文献を読み、今でも書庫にそれらが並んでいる。関連文献がほんの少し、秩父事件資料館にも並んでいたがたいしたものはなかった。少なくとも、『秩父事件史料集成』全6巻を並べておくべきだ。おざなりの資料館であった。
この秩父事件には、浜松出身の宮川寅五郎が参加している。博徒であった。事件の後、ほかの捕囚者とともに北海道の刑務所に収容された。出獄後の行方はわからない。また、事件が起きたときに、困民党の一部が信州にも入り込んだ。静岡県の史料には、そのさい遠江と信濃の境の青崩峠に、警察官が派遣されたという史料もあった。
秩父事件は、いまなお振り返るべき価値ある闘いである。