学歴もあり一定の収入を持ちながら、しかし自分自身はみずからの能力に応じた職(ポスト)に就けていないという、ある種の優越感と劣等感をもつ人のなかに、薄暗い「怨」を持つものがいる。その「怨」の対象とされているのは、女性とか社会的弱者である。また自分のためではなく、他者のために何らかの行動をしている人びとに対する冷笑も、彼らにはある。彼らの精神は素直ではなく、また開放されていない。
さてこういう論説を読んだ。同感である。
学歴もあり一定の収入を持ちながら、しかし自分自身はみずからの能力に応じた職(ポスト)に就けていないという、ある種の優越感と劣等感をもつ人のなかに、薄暗い「怨」を持つものがいる。その「怨」の対象とされているのは、女性とか社会的弱者である。また自分のためではなく、他者のために何らかの行動をしている人びとに対する冷笑も、彼らにはある。彼らの精神は素直ではなく、また開放されていない。
さてこういう論説を読んだ。同感である。
オリンピックの開催にはばく大な費用がかかり、その後の施設維持にもばく大なカネがかかる。それは長野、東京のオリンピックでも実証された。一部の施設は廃墟となり、また取り壊される。
開催には税金からも多額のカネがつぎ込まれる。
にもかかわらず、2030年の冬季オリンピックを招致しようという愚策が展開されている。
スポーツには利権が絡みついている。オリンピックはその頂上に位置する。利権を求めてスポーツ界や政治家が暗躍する。開催すれば、自分たちにカネが舞い込んでくるのだ。
かくて、サッポロを中心に招致活動が展開される。それを、批判的に報じるメディアはない。