沖縄名護市の市長選、故岸本建男さんの息子さんが立候補します。私も応援しています。
シリーズ“沖縄の選択2022”第1弾 “伝説の名護市長”岸本建男の闘い|その長男がいま、父の意志を継ぎ「基地反対」を訴え名護市長選に挑む
NHK、事実確認せず不適切字幕「金もらって」「五輪反対デモ参加」
香山リカさんは、「食レポで「食べてみたい」を「食べた」と間違ったのと同じ扱いしようとしてるようです」とコメントしている。その通りである。
NHKは、「制作担当者の思い込み」をそのまま確認もせずに報じるメディアだということだ。
私は今までデモにでたことが何度もあるが、現役時代に組合の動員で行ったときには交通費を支給してもらったことがあるが、それ以外はすべて自費であり、またカンパを提供するなど基本的に出費するだけだった。
東洋経済の記事に、「昨年も180万部減、全然止まらぬ「新聞」衰退の末路 「毎日」「産経」規模の部数が毎年消失している」がある。もと北海道新聞記者で、北海道警察の醜聞を報じた高田昌幸さんの記事である。
新聞読者の減少は、民主主義の危機でもある。
私はもっと新聞購読料金が安い頃、静岡新聞、朝日新聞、日本経済新聞の三紙を購読していた。しかし新聞購読料の値上がりにつれて、最終的には朝日新聞だけになった。ある日、朝日新聞の社説が、「郵政選挙」時、小泉首相(当時)の演説に感動するようなことを書いていたので、その日で朝日新聞の購読をやめた。
そしてしばらく新聞を購読しなかった。
その後、中日新聞を購読するようになった。しかし、中日新聞東海本社発行の中日新聞は、地域欄二面、市内版一面、県版一面、さらになんと地域ネタが一面にきたり、さらに社会面までも占領することもあり、その記事もベタベタの地域記事であったので、購読をやめた。要するに、地域のクソネタを紙面に掲載することで、購読者を増やそうとしたのである。ある人の記事が掲載されたらその人は喜び同紙を購読するかも知れないが、第三者の私にとってはどうでも良い記事なのだ。そういう記事で紙面が埋められていたのである。
中日新聞東海本社はそうした方法で購読者を増やそうとする、しかしその結果、私のような読者は離れていくのである。それでまたしばらく新聞購読をやめた。
現在は、中日新聞東京本社が発行する『東京新聞』を一日遅れで購読している。
『Journalism』一月号は、東洋経済の記事に見られるような状況に関して、紙の購読部数の減少をネット購読で改善したワシントン・ポスト紙、ニューヨーク・タイムズ紙編集者へのインタビュー記事ではじまる。特集名は「メディアの未来」である。
両紙とも、アメリカの地域紙であったが、今や全国紙、いや国際紙になって購読者を増やしている。私も無料時代にニューヨークタイムズに読者登録して時々読んではいたが、今は料金を払わないとみられなくなっている。そんなに英語が得意ではない私が、支払う価格とみあうほどには利用しないので近年はほとんどアクセスしていない。しかし今でも購読を促すメールはしばしば送られてくる。
ではあえてなぜ英字紙であるニューヨークタイムズにアクセスするかと言えば、ここにその理由がある。
それはワシントン・ポスト紙の前編集主幹の次のことばである。
表現方法やスタイルは変わりますが、ジャーナリズムの中核的価値観と原則は変わってはなりません。極めて高い報道の質を維持しなければなりません。その中心的な使命として、必要とされる情報、そして知るべき情報を提供することによって、人々は民主主義の社会に関与できるのです。ジャーナリズムの仕事の中心にある大きな部分は、とりわけ為政者などの権力者と政府を監視し、説明責任を果たさせることです。この役割は決定的に重要です。
果たして日本の新聞は、そのような「中核的価値観と原則」を持っているだろうか。ノーと言わざるをえない。読売新聞、産経新聞は権力の走狗となり、地方紙(主に県紙)は地域の権力(自治体首長など)と結びつき、「権力者と政府を監視」する役割を放棄している。その他の全国紙も、記者クラブ制度の中、「為政者などの権力者と政府」と癒着しているではないか。私が朝日新聞や毎日新聞をカネを払ってネットで読むことがあってもすぐにやめたのはそうしたことがあったからだ。
ワシントン・ポスト紙の前編集主幹はこうもいう。
ジャーナリズムの将来は、われわれの仕事にお金を払う気持ちを読者に持ってもらえるかどうかにかかっています。真の価値を提供すれば、読者はそれにお金を払います。
その通りである。「お金を払う気持ち」を生み出さない記事を書いているからだ。
徹底した深い取材、より多くの調査報道、優れた分析、物語性のある読み物、深く掘り下げた人物記事など、こうしたジャーナリズムの仕事はメディアの将来にとってきわめて重要です。人々はそうしたものを求めています。
実際ワシントン・ポスト紙はトランプ政権を常時監視していた。
トランプ氏は虚偽や奇妙な陰謀論、まったくのデタラメを常に発信し続けました。この政権は我々にとって真の試練でした。ワシントン・ポストは大統領選に出馬した時点から政権の4年間を通じてトランプ氏を監視し、説明責任を問い続けました。彼が嘘を言った時にはそれを指摘し、新型コロナへの対応の失敗、移民政策の影響など、この政権の動きのすべてを報道として記録しました。
果たして日本の新聞はそうしたことをしているだろうか。確かにそうした記事もある。だがそうではなく、権力者や政府をヨイショする記事も載せられる。日本の新聞は、権力監視という点で一貫性がないのである。その背後にあるのは記者クラブ制度だと私は考えている。記者クラブは、権力者と記者とが「融合する」(依存しあう)場になっているのだ。
私がなぜ一日遅れで配達される『東京新聞』を購読しているか、それはこのワシントン・ポスト紙の指摘に対応している新聞だからだ。
私は、新聞購読者の減少の背景には、国民の知的水準の低下、知的劣化(それは感情的劣化も含む)が背景にあると思う。
先に私は、池明観氏による『韓国からの通信』を再読し、その一部を紹介した(「朴正煕政権」)そこで紹介した文。
「国民を愚劣化することこそが朴政権の目ざすものであろう。愚劣なる国民でなければ彼らの手で統治しえないからである。それに抵抗する高き精神は悩み多き人生をさすらっている」(200)
日本のマスメディアは、政治権力が「国民を愚劣化する」方向に政策を展開しているとき、それをおしとどめようということを継続してやってこなかった。政治権力が行おうとすることを、批判的精神をもって臨まなかった。その結果が、部数低下につながっているのである。ある意味で、部数の低下は「自業自得」なのである。
しかし新聞購読者の減少は、民主主義にとって危険であることは確かである。そのためには、新聞社や記者が、ワシントン・ポスト紙の前編集主幹の指摘を体現することが必要だ。ただネット購読者に課金すればよいのだと思ってはならないのである。
Journalismの本道に立つことこそが、新聞の購読者を増やす捷径なのである。