韓国をはじめ、わたしは朝鮮半島に関わることに関心を持っている。今、わたしがパソコンに向かっている机の右側には、朝鮮史関係の本が並んでいる。仕事の関係で集めた文献である。
ところが、在日コリアンの文学は読んだことはあるが、コリアンの文学は読んだことがなかった。
そんな状況の中、ハン・ガンがノーベル文学賞を得たというニュースが流れてきた。ハン・ガンという作家の名も知らなかった。彼女の著作を調べたら、光州事件を題材にした『少年が来る』という作品があるという。光州事件は、『世界』を購読し、T・K生の『韓国からの通信』を読んでいたわたしにとって、あまりにも大きな事件であった。読んではこころを痛めながら見つめていた。
光州事件が舞台となった映画は必ず観た。韓国ドラマの「砂時計」は、ビデオを借りてすべてを観た。最後、灰となった遺骨を山の中でまくという場面は今も鮮明に覚えている。また「光州 5・18」も観たし、DVDでそれは所持している。
しかし文学には目が届いていなかった。
『少年が来る』を図書館から借りようと思っても、今日時点で57人が予約しているという状態である。いつか必ず読もうと決意している。
今日届いた『世界』一二月号の「言葉と言葉とかくれんぼ」が、『少年が来る』に言及し、翻訳者の斎藤真理子も「光州という火種は未だに消えていない」のではないかと、チョン・スヨンは書いている。
実は唯一手に入ったのが、『すべての、白いものたちの』(河出文庫)であった。いまそれを読みはじめている。それは、鋭く、深い感受性と詩的なことばで綴られている。その背後には、豊かな想像力が満ちあふれている。
すごいな、と思う。
ハン・ガンの文学は、世界中のひとびとのこころに何らかの影響を与えていくことだろう。わたしも、そのなかのひとりになりたい。