「白い・・・」というとき、ぼくは何を思い起こすのだろうか。
東京に出た最初の冬、浜松ではほとんどみたことのない雪が降り、そして積もった。夜のことだった。冬は、木々はみどりの葉を落とし、人びとは黒っぽい服を着て、寒さに耐えながら生きる。全体として、ダークなイメージである。しかし雪は、それを覆いつくしてしまう。白い世界が現れる。
ぼくは、とっても美しいと思い、母に電話したことを覚えている。
ハン・ガンも、「白い・・・」というとき、雪を思い起こすようだ。雪の記述が多い。また雪の記述が多いということは、冬の記述も多い、ということである。
確かに、「白い・・・」は、冬に似つかわしい。夏は、カラフルだ。
「白い・・・」というとき、ぼくが思い起こすのは、雲だ。幼い頃、ずっと雲を見続けたことがある。雲は形をいろいろにかえながら、西から東へと去っていく。
ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』を読んだ。ほとんど、詩だと思った。そしてその詩には、死がくっついている。生まれてまもなく亡くなった「姉」という存在。
人間は生きていくなかで、まったく「白紙」である人生を、みずからの色や形で埋めていく、あるいは描いていく。だが、生まれて間もない「姉」のそれは「白い」ままだ。「白い」ままの「姉」の存在が、ハン・ガンにさまざまな想念を飛翔させる。「白い」ままの「姉」の生には、やはり「白い・・・」しかあり得ない。ひとりの生に、たとえ妹であろうとも、そこにほかの色や形を描くことはできないからだ。
さらに、「姉」の死は、他者の死へと開いていく。死は、他者の死へと連なっていくのだ。
確かに、「生は誰に対しても特段に好意的ではない」(P69)。でも、だからこそ、「しなないで、しなないでおねがい」(P169)とこころのなかで叫ぶのだ。
この本の原題は、「白い・・・」という形容詞だとのこと。Koreaのことばの「白い」には、複数の語があるという。コリアンは、「白い」に大きな意味を持たせているのだろう。