浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『東アジア近現代通史』別巻(その2)

2012-01-17 10:29:33 | 日記
 インタビューの最後は、フィリピン史の池端雪浦氏である。「せつほ」と読む。私はこの人の本を読んだことがない。『日本占領下のフィリピン』(岩波書店)は読まなければならないと思っていたが、未だ果たせていない。したがって、池端氏について名前だけで何も知らなかった、女性であることさえも。

 このインタビューでは、池端氏が政治社会問題と格闘する中で研究課題を探ってきたこと、また「史料」の問題などを学んだ。池端氏の本を今まで読んでこなかったのが不思議である。

 また最近東南アジア史を研究する学生が激減しているとのこと。なぜだろうと思う。

 『日本占領下のフィリピン』だけでなく、『新版世界各国史6 東南アジア史Ⅱ島嶼部』(山川出版社)も読んでみたい。東南アジアの歴史は、鶴見良行氏の本などは読んでいるが、体系的なものは読んでいない。

 勉強、勉強・・・・・である。
 
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岩波講座『東アジア近現代通史』別巻

2012-01-17 09:51:00 | 日記
 昨日に引き続いて、アジア史の研究を先導してきた人々のインタビューの感想を記す。

 宮田氏に続いて、西川潤氏、西川氏は「社会システムという観点からアジアを考えたとき、権力とか国家というのは常に表面的なものでしかないと思うのです。常に歴史の上っ面を流れていて、アジアの人々は実際にはびくともしないで暮らし、さまざまな営みをしているのではないか。アジアのベースにあるものはーコミュニティであったり家族であったりー国家とは違ったところにあるのではないか。アジアというのは、国家を相対化する社会なのではないかと思っております。その意味で、もう一つの歴史を構成することができるはずです。抑圧される側の歴史というものが出始めてる。コミュニティの歴史というのは人々の伝承や記録などの中にあるのですが、書かれた歴史というのは、常に帝国や国家から紡がれた歴史です。そういう意味で、アジアについて私どもは見落としているところが随分ある。今アジアを見直すのであれば、そういうところを見ていかないといけないと考えています」と語る。

 理論的にも、きわめて刺激的な発言である。私たちは欧米の理論を利用して国家や社会などを把握しようとするが、そうではなくアジアの実態から理論を組み立てるということもあり得るのではないかと思った次第である。

 また「平和、人権、開発等の大きな用語が、特定の解釈により塗りつぶされてきた、あるいは占有されてきたこと、それが世の中の現存秩序、既得権秩序を支えてきたこと、しかし、実はこれらのキーワードは複数の意味合いを持ち得ること、それをたどることが、現状にあぐらをかいた世の中、あえて言えば、多様な世界の持つ豊穣性に目をつぶってきた貧しい世の中を変えていく動きにつながること、を認識するようになります」とも語っている。

 考えさせられる指摘である。そして西川氏は、ガンディーの『ヒンズー・スワラジ』、マハティールの『マレー・ジレンマ』、そしてダライ・ラマの諸著作を読むことを薦めている。いずれも私は読んだことがない。読まなければならない。「この本を読め」と薦められる本は、よい本が多い。

 さて西川氏は日本について、こう提言する。

 「現在までのところ、アジア諸国は、欧米、日本に追いつけ追い越せで、欧米と同じ軌跡をたどっているように見えますが、必ず将来に精神的な豊かさの面でも、近代世界の行き詰まりに対する代替策を提示するだけの知的、文化的伝統を備えているし、また、その役割を果たす時期が到来すると考えています。それは日本が「アジアに教える」時期を卒業し、あるいは「アジア市場で儲ける」時期をも過去のものとして、「アジアと共に学ぶ、自分を世界に開いていく」時期なのでしょう。日本人は、キャッチアップの過程で、他人に共感する能力を大幅に失ってきたかのように見えますが、アジアとのつきあいの中で、この力を取り戻すことができるのではないか、言い換えれば、幸福が見えてくるのではないかと思っています。それは同時に、私たちが経済成長のために必要と考えてきた、上からの開発(かいはつ)に頼る惰性を見直し、自らの内側からの開発(かいほつ、新しい時代へのめざめ)の声に耳を傾けて行く時期にほかならない」と。そして日本が注意しなければならないのは、「高成長のアジア」ではなく、「民衆のアジア」だと言う。

 普遍性ある提言である。これはアジアではなく、日本国内でもあてはまると思う。東京一極集中、大企業中心のもうけ主義の日本のあり方を反省し、そうではない社会を構想する際の手がかりにもなる。

 本を読むと言うことは、新しい認識を得るということでもある。


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何のために

2012-01-16 21:29:37 | 日記
 図書館から岩波講座『東アジア近現代通史』別巻を借りて読んでいる。このシリーズは購入しなければならないと思っていたが、一冊3800円もするのでやめた(2巻だけは買った)。

 別巻は「アジア研究の来歴と展望」。アジア研究を行ってきた研究者に対するインタビューを載せている。それがおもしろいのだ。おもしろいと言っては語弊がある、とても参考になるといわなければならない。

 私は日本の歴史を研究する場合、たとえ地域史であっても、アジアの視点と「帝国」批判の視点は欠いてはならないと思っている。したがって、日本史を勉強するときには、アジアのなかの日本という視点をもつべきであって、広い視野から日本を見つめなければならない。

 もちろん今出されているアジア史関係の本を読むだけではなく、今までどのような研究がなされてきたのかを振り返る必要がある。そのさい、どんな研究がなされてきたのか、だけではなく、研究者がどのような問題意識をもって研究活動を行ってきたのかを知ることはとても有益である。

 この本は、そうしたことがよくわかる内容となっている。私の関心からすれば、朝鮮史の姜在彦氏、宮田節子氏、とくに宮田氏の主張に感銘を受けた。宮田氏は、「(最近の朝鮮史研究について)一生懸命真面目にやっていますが、何のためにやっているのか、どう自分の生き方と関わっているのかが分かりません」という。また、「私は歴史は一番下から見ると全体像がみえるという素朴な考えをもっています」とも。

 私も宮田氏と同じ思考である。私の研究テーマは、常に「何のために」を問うなかで設定されるし、歴史研究だけでなく、社会を見つめるときにも「底辺の視座」から見ないとだめだと言ってきた。

 この本には、森崎和江氏、インド史の中村平治氏、モンゴル史の田中克彦氏らのインタビューが載せられている。まだ読書は途中であるけれども、とても魅力あるインタビューが並んでいる。

 日本史を学ぼうという諸君は、すべからく読むべきである。







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消費税導入策にだまされるな!

2012-01-15 21:10:53 | 日記
 1980年代からの国家歳入のうち、税収の変遷を調べてみよう。1990年頃をピークに、法人税や所得税などが減っている。それは高額所得者や法人税などの税率をどんどん下げてきたからで、その補填として消費税(収入に占める消費税の割合は、必ず貧しい人のほうが大きくなる)が利用されてきた。

 さて、国会で新党日本の田中康夫議員が国会で追及したように、企業のほとんどは法人税を支払っていない。

 約3600に上る上場企業の中で、国税の法人税、地方税の法人事業税とも1円も納めていない企業が、驚くなかれ、全体の7割を超えています。今年2月の衆院予算委員会で質問した私に、財務相だった野田佳彦さんも認めざるを得なかった。

 かくも不可解な状況が生まれるのは企業の利益に課税する税制だからです。債務超過に陥っている会社を好業績な大手企業が戦略的に買収し、連結決算に組み入れ赤字決算へと“転落”すると、翌年黒字回復しても自動的に7年間、法人税も法人事業税も全額免除される仕組みなのです。街場の中小企業が赤字転落したら、金融機関の貸し渋り、貸し剥がしに遭うのは必至。増殖し続ける大企業と衰弱する中小企業。行き過ぎた市場主義経済の“天国と地獄”が放置されています。利益でなく支出に対して広く薄く課税する公正=フェアな「外形標準化」を導入せねば、源泉徴収される給与所得者の不満も高まるばかりです


http://www.nippon-dream.com/?p=5594

 おそらく経団連に巣くっている大企業は、法人税を納めていないだろう。そういう大企業の幹部たちが、「危機にある国家財政を何とかしなければならない、消費税をあげろ!」と叫んでいる。

 現実をしっかりと知って判断しよう。だまされてはならない。

 
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西村秀樹『大阪で闘った朝鮮戦争』(岩波書店)

2012-01-15 20:11:50 | 日記
 2004年刊行である。本には「細江町立図書館」という印が押してあるのに、バーコードには「浜松市立流通図書館」とある。浜松市が細江町を「併合」して、奪ったのかしらんと思いながら読んだ。

 流通図書館でふと目についたので借りてきたのであるが、これがなかなかおもしろい。

 話は、著者である西村氏が、1952年に起きた「吹田枚方事件」を調査する過程で出会った事件関係者の人生を活写したものだ。関係者の事件後の人生は、きわめて興味深く、それぞれの人生にある意味で「感動」した。とくに、三帰省吾の生き方には感動した。西村は、裁判での三帰の「転向」を、数々の証言から事件の責任を一切自らが負うつもりのものであったことを解き明かすのだが、それにしてもその後の人生はそれがために家族との生活が「破壊」され、いや自分自身覚悟の「破壊」なのだろうが、死ぬまでフツウの生活には戻らなかった。潔い生き方ではあるが、家族の苦労は並大抵のものではない。

 副題に「吹田枚方事件の青春群像」とあるように、当時の青年たちのありようがよくわかるし、時代相まで描かれている。

 内容的には、第4章「日本が朝鮮戦争に「参戦」した日々」が興味深かった。1950年6月に起きた朝鮮戦争の発端は、北朝鮮側の「統一」政策によるものであることが確定しているが、その戦争に日本が表面的には明ないところで、大いに関わっていた、いや「参戦」していたことはあまり知られていない。

 現在の自衛隊が、この戦争中に米軍の命令で設置された(警察予備隊として)ことはまさに自衛隊の本質を規定しているものであるが、設置されたこと自体、朝鮮戦争に関わっていることになる。

 米軍の元山上陸作戦に海上保安庁の掃海艇が派遣され、戦死者がでていること、これはある意味で有名な事件である。そのほか、日本赤十字により看護師や医薬品が米軍病院に派遣されたこと(赤十字精神を裏切って。赤十字は敵味方なくがその精神であろうが、北朝鮮には送られていない)、船員や一般の日本人が雇用されて朝鮮半島に渡り還ってこない者もいるとのことだ。

 この本では、旧日本軍人の関与が示唆されているが、細菌戦に関して関東軍731部隊の関係者が関与していたということはしばしば指摘されている。またもっと旧日本軍人が関わっていただろうことも十分予測できることだ。

 そして日本の基地を米軍機、艦船が朝鮮攻撃に利用したこと、また武器弾薬が日本国内で生産され、朝鮮人民に対して使用されたこと、米軍や生産された武器弾薬が国鉄によって正確に運搬されたこと・・・まさに朝鮮戦争は、日本無しには遂行できなかったのだ。その意味で、朝鮮戦争に日本は「参戦」していたのだ。

 したがって、日本に住む朝鮮人にとって、朝鮮戦争に加担する日本の状況を、体を張って阻止しようという意志が芽生えるのも当然であろう。吹田事件は、そういう背景から起きた。吹田には、国鉄の操車場があった。

 ふと手に取った本だが、一気に読むことができた。


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加藤陽子氏の論考がすばらしい。

2012-01-15 12:51:11 | 日記
 『毎日新聞』に掲載された加藤陽子・東大教授(近現代日本史)の論考がすばらしい。

時代の風:原発事故の原因=東京大教授・加藤陽子


 ◇欠けていた俯瞰と総合

 新聞が好きだ。毎日、朝日、日経の3紙をざっと読み、大事だと思われる記事を切り抜き、3カ月に1回の割合で読み直す。3カ月前には「点」であった記事が、時間による熟成によって情報として適度になめされ、線となり、面となる経過を味わえる。

 例を一つ挙げておこう。昨年9月29日付「朝日新聞」朝刊で、酒井啓子氏が「あすを探る」という欄に「専門知を結ぶシステムを」と題して寄稿していた。中東研究者として酒井氏は、テロや「アラブの春」をなぜ予想しえなかったのか、と批判されることがよくあったという。

 日本の中東研究は、専門的にみて高いレベルにあるのは間違いない。だが、明快な解説で知られる酒井氏が、弁明に終始するはずはなく、コラムはこう締めくくられる。これまで社会科学は、個々の専門家の知識を俯瞰(ふかん)して総合的判断を示すシステムや場を用意してこなかった。だが「研究者が個々の専門知の多様性を活(い)かしながら、同じ問題意識を共有して、戦争や災害など生活を根幹から壊す事件」に対処しうる「知」を、システムとして持っておく必要があるのではないか、と。

 重要なポイントは、俯瞰と総合という点にある。3カ月ほど前の記事を読み返した私の頭には、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の中間報告が浮かんでいる。昨年12月26日に発表され、末尾には「これまでの原子力災害対策において、全体像を俯瞰する視点が希薄」であったと書かれていた。

 この委員会は、失敗知識データベースを整備公開したことで知られる畑村洋太郎氏を委員長として、昨年5月政府内に設置された。委員会は456人の当事者から聴取し、第三者の立場から今一度、甚大な事故に至るまでの経緯につき客観的な脈絡を立てて実証する手法をとった。その成果が、500ページ超の本文と200ページ超の資料からなる中間報告となった。

 ネット上で公開されている本文全体と資料編(国家の安全にかかわる情報は一部白紙となっている)は、緊迫した瞬間をよく再現し、全体として達意の文章で書かれ、これまでの政府や東電の過度の隠蔽(いんぺい)体質からすれば、情報の開示度は高いといえる。1月末日まで、国民からの意見募集も行っているというので、一読をお勧めする。

 私も読んでみた。委員会は、(1)100年後の評価に堪える(2)国民や世界の人々の持つ疑問に答える(3)起こった事象と背景を正確に記録する(4)当事者がいかに考え、いかに動いたかを知識化する--ことを目指したようだ。そのため、責任追及より原因究明が優先されている。

 責任を追及しないでどうするとの批判もあろうが、事故の具体像と背景が完全に把握できれば、責任はいつでも追及できるはずだ。事実、報告書を読んでいけば、責任の所在は明確にされている。

 いわく、(1)情報収集と意思決定の両面で四分五裂していた政府中枢(2)原子力災害対策マニュアルで、情報入手の中枢とされていた経済産業省緊急時対応センターが全く機能しなかったこと(3)甚大な事故を想定したマニュアルに、地震・津波など外的事象による問題発生について一切載せていなかった東電の教育体制(4)対策を電力事業者の自主保安にまかせず、法令要求事項とすべきであったのにしなかった政府。責任の所在は明らかだ。

 報告書を読んでいて最も衝撃的な部分は、緊急時に、巨大な機器としての炉がいかなる「癖」を持って稼働するのかにつき、運転員の理解が甚だしく不十分であった事実を明らかにした部分である。旅客機の操縦士であれば、心身の健康チェックから始まり、機器としての飛行機につき、実地と仮想両面から訓練を受け、操縦マニュアルも血肉化しているはずだろう。多数の生命を預かる仕事だからだ。運転員は原子炉の向こう側に、被ばくしつつ避難を余儀なくされる人々の姿を想像しつつ運転したことがあったか。

 具体的には、第4章「東京電力福島第一原子力発電所における事故対処」に問題点が析出されている。委員会が重くみたのは、1号機を冷却する非常用復水器(IC)につき、全電源が喪失した場合、自動的に隔離弁が閉じるよう設計されていた簡単な事実に、当直と呼ばれる11人からなる運転員の誰一人として気づかなかった点だ。人類が最終的に制御に成功してはいない力に日々接してきた専門家集団としては、恥ずべき知的退廃ではなかったか。当直のうちICを実際に作動させた経験者もいなかった。

 資料編も見ていただきたい。6章-13「アクシデントマネジメントに関する教育等の方法及び頻度」という東電の内部資料。本資料からは、運転員を対象とした事故時の対応につきいかなる教育研修がなされていたか分かる。頻度は年1回、方法は自習と運転責任者による講義だけなのだ。

 あれほど、法的規制好きな霞が関が何故、自習と講義程度の研修でパスさせたのか。本紙の昨年9月25日付朝刊が明らかにした、東電への天下り50人以上、との事実がその背景だとすれば、あまりの分かりやすさに慄然(りつぜん)となる。



http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20120115ddm002070083000c.html
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浜松市は住みやすいか

2012-01-13 21:18:47 | 日記
 日本海側は毎年冬になると雪に覆われる。毎日毎日雪かきに追われ、雪がない地域にあこがれるという。

 静岡県は雪がほとんど降らない。雪が降らないから、ということで、静岡県に移り住んでくる人々もいるという。

 では、私たちが住む浜松市は住みよいのか。確かに雪が降らないという点を考えれば、住みやすいだろう。

 ところが、いろいろな数字をみると、決して浜松市が住みよいわけではない。

 たとえば、国民健康保険。国民健康保険は、自営業者や企業などを退職した人々が加入する公的な医療保険であるが、その保険料が浜松市はダントツに高いのである。政令指定都市を比較しても第一位、静岡県西部地方でも第一位である。

 最近、この浜松市に関する研究を始めた。その成果をブログに公表している。下記にそのアドレスを記しておくので見て欲しい。

http://hamamatsushiminn.blog.fc2.com/ 

 なお静岡県についても、浜松市と同様である。たとえば、静岡市のグランシップ、この建設費は500億円、サッカースタジアム・エコパの建設費は330億円、そして悪名高き静岡空港は1900億円である。そしてその維持管理費として、毎年10億円以上の赤字を生み出している。

 自分自身が住む地域の状況をしっかりと知っておく必要があると思う。
 
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「過労死の国・日本」

2012-01-09 22:15:42 | 日記
 産経新聞が連載している「過労死の国・日本」第2部のシリーズがよい。「復興」という言葉の陰に、どういう暗黒があるのか。テレビでは美談を放映しつづけているが、そのウラには様々な悲劇がある。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120107/wec12010712000000-n1.htm
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あまりにすっきり!原発利権構造

2012-01-09 21:31:31 | 日記
 下記のブログ、もっともわかりやすいかたちで図示している。原発の利権構造、見ればすぐ分かる。ぜひアクセスしてみよう。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/70cd09644786c6467e472cd104a21680

 原発事故の時、堂々と誤報を伝え続けた官房長官であった枝野、彼のところにも東電から多額のカネが・・・

http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51641219.html
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官僚と産業界

2012-01-09 21:24:34 | 日記

 『東京新聞』の「主役は官僚と産業界」(2012年1月9日)を読み、そうだなと思う。日本の政策は、産業界と官僚が決める。政治家は、官僚と産業界が決定したことをなぞるだけだ。別にここに記された軍事政策だけではない。TPPでも、放射能の除染でも同じだ。彼らはがっちりとスクラムを組み、表面的には「国益」だと思わせる仕草をしながら、自らの利益を確保していく。いつまでたっても庶民は、彼らの利益を提供する働きアリなのだ。

 
正月三が日が終わり、防衛省に防衛産業の社員が押しかけている。背広組の局長室や陸海空幕僚監部の幕僚長室、部長室を回り、新年のあいさつを交わす。


 再就職した背広組幹部や元将官らが水先案内人を務める。先輩が顔を出せば、後輩が門前払いできるはずもない。仕事らしい仕事もないのに現役当時と比べ、七割程度の年収を保障されている彼らの数少ない公式行事のひとつなのだ。


 防衛省が毎年一兆円近い武器調達費を支払っている契約高上位二十社に過去十年で三百人以上の将官ら高級幹部が顧問や嘱託として再就職している。「人とカネ」を通じた防衛省と防衛産業の癒着は明らかだ。調達費に天下り幹部の報酬が含まれてはいないか。


 民主党政権は出身官庁による再就職あっせんを禁止したはずだが、二〇一〇年防衛省だけで五百二十九人が取引先に再就職した。若年退職者はあっせんできるきまりとはいえ、五十歳も半ばになって若年はない。官僚の軍門にくだった政権の指示など、「何処(どこ)吹く風」といわんばかりだ。


 年の瀬に野田内閣は武器輸出三原則を緩め、米国や友好国との武器共同開発・生産に踏み出すことを可能にした。防衛産業からの支持と引き換えに「平和国家」の看板を降ろすというのか。ずる抜けの天下り禁止をみても、この国の主役は官僚であり、産業界であることは明らかだろう。(半田滋)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2012010902000066.html
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文章

2012-01-09 21:00:45 | 日記
 昨日、ある学者から添付ファイルが送られてきた。内容は、東日本大震災について書かれたものである。しかし、文章を読み始めてすぐに、主語と述語が対応せず、一つの文章のなかに雑多な内容が記されるため、結局何を言おうとしているのかわからないことがわかった。ああいつもの悪文だなと思い、読むのをやめた。

 私は、学者という立場のこの人が、ずっと以前からこのような悪文を公表している事実に、驚く。おそらく、私だけではなく、この学者の悪文は他の学者といわれる人たちも読まされていることだろう。ならばなぜこの学者が書く文章が悪文であることを指摘しないのか。なぜ学者同士の自浄作用が働かないのか。

 文の最初は「3月11日のM9・0の東北・関東大地震は、東日本一帯大規模な被害を招いたばかりか・・・」で始まる。助詞の「の」は、ここでは「東日本一帯」とすべきであろう。そしてこの「3月11日のM9・0の東北・関東大地震は」の主語は、「・・招いたばかりか」、「・・・生存権そのものを破壊し続け」、「人々の不安と退避の生活を強いている」と一つの文のなかの三ヶ所の述語部分につながっている。最後の「人々の不安と退避の生活を強いている」は、「人々に不安をもたらし、過酷な避難生活を強いている」とでもしたほうがよいだろう。
 他では主述の呼応がおかしい。たとえば、「本稿は・・・・書き下ろした」とか、「地位が・・・・地域の低迷、衰退状況に追い込まれた」とか、「原発事故が・・大きな損壊であった」とか。

 これ以上指摘するのはやめよう。きりがない。

その文章は、大学の紀要に載せられている。大学の紀要掲載に際して、査読はないのだろうか。それともなれ合いで載せているのか。

 仲村光生『近頃の文章を批判する』(武蔵野書房)という本がある。きちんとした丁寧な批判である。批判された文章は読んでみるとそうおかしなものではない。しかしそれでも中村氏は厳しく批判するのであるが、その批判になるほどと思わされるのだ。

 だが、この学者の文は、そういうものではない。それ以前の文なのだ。読み進めることに困難さを覚えるような文だ。何故読まなければならないのかを自問自答しながらでないと読み進められないものなのである。

 中村氏は、おそらくこの学者の文の批判はしないだろう。批判するに値しないからだ。
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低線量被曝の真相

2012-01-05 11:39:43 | 日記
NHKが放映した「追跡 真相ファイル」。これに低線量被曝の真相が描かれる。私も録画できなかったので、どこかで見られないかと思って探していたが、ここにあった。

 ぜひ見て欲しい。政府や原発推進勢力が隠したがっていることが、ここにはある。

http://www.dailymotion.com/video/xnb9h8_yyyyyy-yyyyyyy-yy-yyyyyy_news#rel-page-1

 私たちは、しっかりと真実を見つめなければならない。
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風邪

2012-01-03 11:54:16 | 日記
 中学時代からの友人が重篤な病で入院中。先月26日お見舞いに病院に、まったく無防備で行った。その日の夜から、風邪を引き、今もすっきりしない状況が続いている。治らないのである。

 この年齢になると、身体の不調が精神にも影響を及ぼすのか、仕事が全くはかどらない。

 またニュースを見ていると、腹立たしいことばかり。

 友人から西山進『マンガで見る原爆と原発』をいただいた。とても良い本だ。細かくはいずれ紹介するが、出版社はクリエイティヴ21。600円+悪税である。

 わかりやすく、またためになる。

 今年の年賀状は、31日に投函した。3・11以降の事態に、まったく新年を祝う気になれない。そういうことを書いた。

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