浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『逍遥通信』第九号(1)

2024-06-06 09:10:36 | 

 昨日、札幌から『逍遥通信』第九号が送られてきた。『逍遥通信』は、札幌南高校出身者が中心となって刊行している雑誌で、私は外岡秀俊特集号からのつきあいである。外岡も、同校出身者である。

 早速読みはじめた。なかなか含蓄のある文が並ぶ。作家・久間十義の「僻目でたどる情報将校D・キーン」は、キーンがほんとうに日本人の心性を理解していたのかどうかを追究する中で、火野葦平などとの関係を記す。新たな知の発見である。

 エッセイの「ベートーヴェンは収束しモーツアルトは発散している」(高岡弘)は、数学の記述から始まり、次にベートーベンとモーツアルトの作品に及ぶ。ベートーベンの音楽は収束し、モーツアルトのそれは発散すると指摘する。私はベートーベン、モーツアルト両方とも聴くが、若い頃はベートーベンの曲が好きだった。ベートーベンの音楽は構築物で、確かにピシッと終わる。高岡はベートーベンは作品を「製造」しているという表現を使う。たしかにベートーベンは曲づくりに集中し、一つずつきちんと「製造」している。

 高岡は、モーツアルトは「出産」していると表現する。私は、モーツアルトは天才で、おそらく音楽が彼の脳裡に次々と湧いてきて、それを楽譜に転写しているだけだという感覚を持っている。なるほど「出産」と表現してもよいと思う。「製造」するのではないから、次々と湧きあがる音符を連ねるのだから、ピシッと終わるようなものではない。

 鈴木吾郎の「サイズ」。彫刻家である鈴木は、作品を表現するときに自分にあったサイズというものがあることを指摘し、それをもとに、人生にもそれぞれのサイズがあるという。その通りだと思う。

 近所に森さんという石材店のオーナーがいる。森さんは、もちろん墓石もつくるが、石の彫刻もやる。そして油絵も描き、書もたしなむ。私からみれば、すべてが一流だと思うのだが、彼は有名ではない。たくさん作品を見せてもらったが、彼はなんでもできる。例えば、「般若心経」を次々と書くのだが、その字体はそれぞれ異なり、ものすごい枚数の作品を所蔵している。同じ字体で般若心経を書くにはすごい集中力が必要だと思うが、彼は何も意識せずに書き上げていく。森さんは、次々と心の奥底から湧きあがるものを画布や紙に表し、石に刻む。あたかもモーツアルトのようだ。

 彼は「私は石屋だ」という。生き方のサイズを持っている人だと思う。

 『逍遥通信』、いろいろな思考を導く雑誌である。

 

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今年も猛暑?

2024-06-06 07:50:14 | その他

 昨年の猛暑は耐えがたいものだった。真夏でもほぼ毎日、すこし気温が下がる夕方に畑へと通うのだが、昨年は夕方であっても、10分くらい身体を動かすだけでもクラクラする状態であった。作業が出来ずに、昨夏は除草作業ができなかったことから畑は夏草に覆われ、そのためにかぼちゃ、オクラなどを栽培しているところにたどり着けず収穫を放棄した。

 昨年、隣家からいただいたコシヒカリも粒が小さく、猛暑の影響を受けていた。

 今年も猛暑だという。地球温暖化というか、気候変動は日常の生活を脅かすようになっている。何とかしないとと思う。

 何とかしないと、という要請は、地球全体で考えなければならないが、世界の指導者はそんなことにはかまわず平気なようだ。

 東京でも、カネ儲けのために、神宮外苑の再開発など、三井不動産などが東京の木々を伐採し、高層の建物を建築しようとしている。それに東京都などの行政も全面的に協力している。コンクリートで覆われた大都市は、気温を上昇させる。

 米が不足し、価格が上昇している。昨夏の猛暑のせいでもある。

 たいへんだ、たいへんだ・・・・・と庶民は考えるが、政権政党である自民党・公明党の政治家は、ただただ、税金をおさめなくてもよいカネもうけに邁進するばかりだ。

 庶民は、今こそ考えなければならない。些少な補助金(これだって税金だ!)に欺されることなく、賢明な判断が求められている。

 

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ギャンブル依存症

2024-06-05 22:12:17 | 社会

 今日の『東京新聞』の「考える広場」は「ギャンブルの魔力は?」である。

 私はギャンブルはやらない。ギャンブルは、胴元が儲ける仕組みになっていると思うからである。

 三人の意見が並んでいるが、ひとりは実際にギャンブル依存症になった方のそれである。その方は、パチンコをはじめてやったときに、勝ってしまった。その成功体験がその後の人生を狂わせた。

 私も、従兄に誘われて一度だけやったことがあるが、勝ったか負けたかも覚えていない。あまり面白いものではなかったと言う記憶がある。高校の友人がパチンコ屋に養子に入ったので、彼を訪ねてみたことがあった。その頃のパチンコは釘の状態で玉が出る、出ないをコントロールできるということで、毎晩閉店後にその作業をやること、そしてどれくらい一日現金が入るかを教えてもらった。その結果、ぜったいにやってはいけないものだと認識した。

 さて作家で、精神科医の帚木蓬生氏は、「ギャンブル依存症は日本人の国民病」だという。200万人が依存症になっていて、その中から身を滅ぼす人がたくさんでている。だからギャンブルは刑法で禁止されているのだが、競馬、競艇、競輪、オートレース、宝くじ、スポーツ振興くじが「公的」に認められていて、日本は「ギャンブル依存国家」だと指摘する。

 そしてパチンコ。全国で7千店ある。パチンコ業界には警察官の天下り先だ。

 パチンコと公営ギャンブルの売り上げが20兆円、マカオのカジノの売り上げが3兆円、日本はまさしくギャンブル大国、これにカジノが加わろうとしている。

 日本国民に、さらにギャンブルの渦中に放り込もうという政治家たち。絶望的な日本としかいいようがない。

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墓がなくなった

2024-06-05 12:54:55 | 日記

 今日午前中、寺から完全に墓を撤去した。父の墓は、三段になっていて、もちろん上は字が彫られている。それはそのまま、愛知県の山寺に運ばれる。下二段は、重量があるので割った。ドリルで穴を開け、そこに楔を打ち込む。すると、パシッと割れるのだ。

 御影石で、なかなか綺麗な石だったが、もう墓のあとはあたらしい小石を入れて跡形もなくなった。

 菩提寺には、墓じまいされたところがあり、歯が抜けたようになっている。

 仏の教えは、万人救済のはずであったが、現在の日本仏教は、多くのカネ儲け坊主が「活躍」しているため、万人からカネをとることだけを考えている。そのため愛想を尽かした人びとが寺院、仏教から離れている。こうした姿は、かなり前からみられているが、仏教界はあまり関心がないようだ。

 今からしばらく団塊の世代がこの世から去っていくから、坊さんや葬祭業者、霊園経営者はウハウハだろう。しかしそのあとに来るのは、人口減少の世界。宗教法人の名を借りているのだろうが、民間の霊園経営はいずれ破綻することだろう。

 石屋さんが言っていたが、現在の墓石は中国から輸入されるようで、墓石の字はコンピューターが刻むのだそうだ。

 時代は変わる。宗教意識も変わっていく。寺院は廃れていく。

 

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増加する非正規公務員

2024-06-04 08:39:56 | 政治

 どこの市町村役場でも、非正規の公務員が増えている。「会計年度任用職員」と呼ばれる人びとは、正規の公務員と同等の仕事をしているのに、あるいはそれ以上の仕事をしているのに、低賃金である。低賃金で働かせることが出来る制度として、そういう制度が生みだされたのだ。

 市町村の財政が苦しくなっているといわれて、どこの市町村でも、公的な仕事を民間委託したり、指定管理者にしたりして、要するに民間企業に仕事を丸投げするようになった。同時に正規の公務員を減らしていった。その理由は、人件費への支出を減らすという目的である。

 ただし、市町村の財政が苦しくなっているということを理由にしているが、市町村の財政状況は千差万別なのに、ほぼ同時的にこうした非正規公務員への依存と正規職員の減員が開始されたことは覚えておかなければならない。ということは、これは国が主導した、ということでもある。

 実際、浜松市でも、窓口にいる人びとはほとんど非正規である。つまり役所の仕事はほとんど非正規に担われている。窓口の奥には、正規の公務員がいる。要するに、「中核的」な仕事は正規の公務員にさせ、そのほかのすべての仕事は非正規にやらせるということなのだ。

 では浮いたお金はどこへいくのか。簡単なことだ。産業界に様々な補助金として渡されていく。市民サービスを低下させ、企業サービスは増大させていく、というのが現在の政策で、それは国も地方自治体もかわらない。

 だから、企業や経営者は、自民党議員のパーティー券を買い、寄付するのである。企業に税金をまわしてもらうための一種の賄賂というわけである。自治体の正規公務員は、退職後、そうした企業へと天下っていく。

 日本は利権に覆いつくされていて、すべての政策は企業への利権へとつながる。マイナ保険証も、農業政策も、あらゆる政策が、企業などの利益になるように展開されている。

 こんな日本に誰がした?選挙民がしたのである。

 

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墓の撤去始まる

2024-06-02 20:49:29 | 日記

 今日10時から、墓の撤去に着手した。墓は、1971年に新しく建立したもので、その際、骨壺にあった遺骨は墓石の下に埋められた。その時の業者(御嶽教の行者でもあった)が、遺骨は土に還すものだという意見から、骨壺から出して土の中に埋めた、と母から聞いていた。

 それから50年以上が経過している。土の中の遺骨はおそらくないだろうと思っていたが、掘ってみると、バラバラではあったが、残っていた。土と一緒に掘り出し、木綿の袋におさめた。遺骨は、水で洗い、骨だけを集めることになる。

 もし遺骨が残っていなかったら、墓石の下の土を一部でも掘り出して実家の庭にもってくることを計画していた。

 この墓の撤去に関して、三枚の書類を作成した。ひとつは「改葬許可申請書」である。これには埋葬されている者の本籍、住所、氏名、死亡年月日を記すのだが、もちろん申請者の住所氏名も必要である。そして現在埋葬されている墓地(納骨堂)の管理者の住所、氏名、法人の場合(当然宗教法人が多い)、記名、代表者の押印が必要である。墓地の管理者の記名、押印が必要で、これをしてもらわないと書類が整わないことになり、これを楯にして、記名、押印をしてほしかったら、離檀料を払え、といわれるのである。

 私は墓からの魂抜きの読経の代金として3万円を支払っただけで終わったが、通常この離檀料の支払いをめぐって争いになる。

 そしてその他に、「焼骨の自宅保管について」(これにも、墓地管理者の記名、押印が必要である)、「焼骨の自宅保管証明申請書」が必要になる。

 これらの書類は、遺骨の改葬先が確立した段階で役所に届け出て、埋葬許可証を得るということだった。

 母の遺骨はいまだ自宅にあり、また父の遺骨も、行き先が確定するまで自宅保管することになる。

 いずれにしても、寺院とはこれで縁を切ったことになる。

 「子孫に墓を残さず」である。私がこの世を去ってからも、私の遺骨は墓には入らない。それでよいと思う。

 

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テレビ離れ

2024-06-01 22:35:18 | メディア

 『東京新聞』の「こちら特報部」のコラム、「ネットで何が」の筆者・中川淳一郎さんも、1年4ヶ月前にテレビを捨てたという。その理由に、情報番組などでのコメンテーターの「どうでもいいコメント」が挙げられていた。

 その通りだと思う。実家に行った際、テレビから夕方の情報番組が流れているときがある。見るともなく見ていて、時々にはさまれるコメントをきいて、あまりのひどさに腹を立てて切ってしまう。

 まだ報じられるニュースに関する専門家が話すなら良い。しかしまったく分野も異なり、失礼ながら知的レベルもそんなに高くない方が、平気でつまらないコメントをのたまうのである。

 友人のテレビ局社員にそのことを語ったら、「(あなたが)見るような番組ではない」といわれた。

 中川さんは、どのテレビ局も同じテーマをとりあげ、何度も何度も同じ映像を流す、ということに辟易しているというようなことを書いていた。

 私はずっとテレビを見ない生活をしているから、現在の「ひどさ」は知らないが、いつまでも、いつまでも、テレビはかわらない。そのことが、テレビ離れを招いているのに、なんらかえようとしない。

 それは新聞も同じ。衰退しているからこそ、政治権力にすりよって猫なで声で、「あなたたちのことを批判なんかしないし、熱心に報じるから何とかしてね」などとほざいているのだ。

 かくて、テレビも新聞も、見向きもされなくなるのである。

 

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一人勝ちの東京都

2024-06-01 07:22:27 | 社会

 東京都知事選が話題になっている。

 東京都は、潤沢な財政で、オリンピック、プロジェクション・マッピングなど無駄遣いはする(その無駄遣いのカネは電通、博報堂に流されていく)し、都内在住の0歳から18歳までの子どもを対象に月額5,000(年間最大60,000円)を支給するというバラマキ政策を展開している。そしてそのカネには税が課されないという。

 東京への一極集中は凄まじい勢いである。人も、会社も、カネも東京へ、東京へとあつまっていく。その一方で、地方は疲弊していく。

 しかし自民党・公明党政権はそのような事態をなんとかしようとしない。自民党議員は政策にはいっさい関心はなく、ひたすらカネ集めだけに奔走し、公明党は創価学会の教義である王仏冥合、つまり政治権力とくっつき離れないことだけに意欲をもつ。

 地方で育てられた子どもたちは東京へ移動していく。東京の豊かさは、地方によって支えられている。しかし東京都は地方を支えない。

 日本は、不条理に覆われている。その不条理をなくそうという気持ちをもつ人びとは多くはない。とりわけ自民党、公明党、維新、国民民主党の政治家は持っていない。

 日本は地方から消えていくのである。その速度は増すだけである。地方に支えられている東京都も、いずれは衰退の道を歩む。自民党・公明党などの政治家に日本の行方を任せていけば、そうならざるを得ない。

 仕方ない、としか言えないのだろうか。

 

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