福岡の「味処 なか野」でたまたま名刺交換をさせていただいた、三澤卓洋さんという方から、心に残るお話を伺いました。
三澤さんは昭和23年、大分の農家に7人兄弟の末っ子としてお生まれになりました。子供時代の生活は決して楽とは言えず、次男のお兄さんが親代わりとなり、大家族を支えておられました。
そのような環境ですから、三澤さんは衣類にしろ生活用品にしろ、およそ新品という物を買ってもらったことがありませんでした。そんなことからある時、お兄さんと「何かを買ってくれ」ということで口論になったそうです。
言い争いの果てに、三澤さんは思わず「兄貴は俺のことを廃品ぐらいにしか思っていなのか!」(窪田注:方言が難しいので言葉を直しています)と口答えをしてしまいました。するとお兄さんは、
「廃品は、社会のため、人のために役立ち、その使命を終えたから廃品になれたんだ。お前みたいな何の役にも立っていないような奴はクズだ」と烈火のごとく怒り、三澤さんは大いに殴られたのだそうです。
三澤さんは成人して警察官となられましたが、「警察官は社会や県民のため...」という言葉を聞くたびに、その時のお兄さんの言葉を思い出されるのだそうです。そういえば三澤さん、「なか野」でもお酒の席でしたが「社会のため、県民のため」と繰り返しおっしゃっていました。
以前、このブログの「日本語の中の「ぼろ」」の中でも少し書いたことがありましたが、「ぼろ」・「くず」・「廃品」など、私たちが何気なくそれらの言葉を口にするとき、無意識の内に蔑むようなニュアンスを含んでいます。しかし突き詰めてみると、古い物や先人が築き上げてきた社会の上で今日の繁栄を謳歌している者に、果たして三澤さんのお兄さんがおっしゃったように、世のため人の為に役立ってきた廃品を蔑む資格があるのだろうか、と考えさせられてしまいます。
話は変わりますが、衣類について三澤さんから伺ったもう一つ心に残った話をご紹介したいと思います。
三澤さんは警察をご退職された後、現在は民間企業にお勤めでいらっしゃいますが、着ている作業服に警察時代の思い出を縫い付け、若い頃のエネルギーを喚起していらっしゃるのだそうです。以前、このブログの「繊維リサイクルに関する消費者の意識調査」でお話させていただいたことにも繋がりますが、やはり衣類というものには、その方の思い出や誇り、時には人生そのものがこもり、それによって時間を越え、人の行動まで変容させてしまう力があるのだ、としみじみ感じました。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_m.gif)
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三澤さんは昭和23年、大分の農家に7人兄弟の末っ子としてお生まれになりました。子供時代の生活は決して楽とは言えず、次男のお兄さんが親代わりとなり、大家族を支えておられました。
そのような環境ですから、三澤さんは衣類にしろ生活用品にしろ、およそ新品という物を買ってもらったことがありませんでした。そんなことからある時、お兄さんと「何かを買ってくれ」ということで口論になったそうです。
言い争いの果てに、三澤さんは思わず「兄貴は俺のことを廃品ぐらいにしか思っていなのか!」(窪田注:方言が難しいので言葉を直しています)と口答えをしてしまいました。するとお兄さんは、
「廃品は、社会のため、人のために役立ち、その使命を終えたから廃品になれたんだ。お前みたいな何の役にも立っていないような奴はクズだ」と烈火のごとく怒り、三澤さんは大いに殴られたのだそうです。
三澤さんは成人して警察官となられましたが、「警察官は社会や県民のため...」という言葉を聞くたびに、その時のお兄さんの言葉を思い出されるのだそうです。そういえば三澤さん、「なか野」でもお酒の席でしたが「社会のため、県民のため」と繰り返しおっしゃっていました。
以前、このブログの「日本語の中の「ぼろ」」の中でも少し書いたことがありましたが、「ぼろ」・「くず」・「廃品」など、私たちが何気なくそれらの言葉を口にするとき、無意識の内に蔑むようなニュアンスを含んでいます。しかし突き詰めてみると、古い物や先人が築き上げてきた社会の上で今日の繁栄を謳歌している者に、果たして三澤さんのお兄さんがおっしゃったように、世のため人の為に役立ってきた廃品を蔑む資格があるのだろうか、と考えさせられてしまいます。
話は変わりますが、衣類について三澤さんから伺ったもう一つ心に残った話をご紹介したいと思います。
三澤さんは警察をご退職された後、現在は民間企業にお勤めでいらっしゃいますが、着ている作業服に警察時代の思い出を縫い付け、若い頃のエネルギーを喚起していらっしゃるのだそうです。以前、このブログの「繊維リサイクルに関する消費者の意識調査」でお話させていただいたことにも繋がりますが、やはり衣類というものには、その方の思い出や誇り、時には人生そのものがこもり、それによって時間を越え、人の行動まで変容させてしまう力があるのだ、としみじみ感じました。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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