天守閣。三層四階の望楼型天守。小規模ながら、古風な望楼、唐破風や入母屋破風が多用された美しい城です。
地階。野面積みの石垣は低く、地階はほとんどスペースがありません。
一階。「納戸の間」と呼ばれ百五十畳ほどの広さがあります。中央部が四部屋に区画されており周囲は廊下(武者走り)になっています。
中央の仕切られた部屋は、西南部だけ床が7寸高くなっており「上段の間」と呼ばれています。創建当初、城主の居間として使われました。「君子南面す」という通り、南側を向いており、北側に護の武士が隠れる八畳ほどの「武者隠しの間」があります。この部屋だけ猿頬天井(下に行くほど猿頰面の竿縁(さおぶち)を使った天井。普通の竿縁天井より上等。)が張ってあり、床の間、床脇などの痕跡も見つかっています。
天守正面右側(東南側)に張り出した、付櫓。天守閣に侵入しようと門に押し寄せた敵を側面から攻撃できるようになっています。
二階。「武具の間」と呼ばれ、百四十四畳ほどの広さがあります。文字通り武器庫に使用されていた所で、中央が武具の間、そして西・北・東の三方に武具棚があります。周囲は廊下(武者走り)になっています。
階段は階を重ねるごとに次第に急となります。三階は「唐破風の間」と呼ばれ、二十八畳、小間を合わせると四十一畳ほどの広さがあります。外観二重の屋根裏にあたり、南北が唐破風、東西が入母屋破風となっています。「唐破風の間」は築城当時にはなく、1618年(元和4年)から1685年(貞亨2年)にかけて装飾として増築されたものと伝えられています。
最上階の望楼から望む木曽川。川の向こうは美濃(岐阜県)です。見つけられませんでしたが、遠く岐阜城や名古屋城を望むことができるそうです。望楼の廻廊も後に増築されたものだそうです。
濃尾平野側。
<おわり>
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