10月26日、子供の頃から行きたいと思いつつ、なかなか行く機会のなかった犬山城へ行ってきました。現存12天守の一つ、その内国宝に指定されている四城(姫路城、松本城、彦根城、犬山城)の中でも最も古いお城です。また、2004年まで日本唯一、個人所有の城として有名でしたが、現在は財団法人犬山城白帝文庫の所有となっています。
木曽川を望む濃尾平野の小高い丘に築かれたことから、唐の詩人李白の詩『早(つと)に白帝城を発す』に準えて、別名を白帝城と呼ばれています。なお、白帝城の命名は、江戸時代の儒学者荻生徂徠だと言われています。
犬山城は1537年(天文6年)、織田信長の叔父である織田信康によって造られました。木曽川を挟んだ美濃と尾張の国境にあたる戦略上の要衝で、1584年の小牧長久手の戦いでは、小牧山を徳川家康に先制された羽柴秀吉が12万余りの大軍で犬山城に入城しました。
現在の犬山城は1618年(元和4年)、尾張藩の付家老、成瀬正成(上写真)によって築かれたものです。1871年(明治4年)の廃藩置県により廃城となり、天守を除くほとんどの建物が取り壊されました。
したがって、天守以外の遺構はほぼ残っていません。上の写真は、黒門跡。礎石が一つ残るのみです。
岩坂門跡。登城道を上った最後に位置していた門。
本丸門跡。現在は観光用に櫓門が建てられていますが、旧門とは関係ありません。ここは本丸入口にあたり、元々は外側に鉄を貼った鉄門でした。
<つづく>
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