窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

3年振り2度目の沖縄開催-第108回YMS

2019年05月21日 | YMS情報


  5月17日、沖縄県産業支援センターにて、2016年2月の第67回以来、3年振りとなる沖縄でのYMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。前回は沖縄和僑会との交流会でしたが、今回は地元から3名の講師をお招きしてのYMS単独開催でした。

1.沖縄の経済・観光の状況および公社の支援概要について
2.沖縄の演劇、芸能活動を通じた地域振興の取り組みについて
3.「サンゴに優しい日焼け止め」誕生の契機と取り組み、今後について




  初めは、公益財団法人・沖縄県産業振興公社、産業振興課主査の上原聡志様より、「沖縄の経済・観光の状況および公社の支援概要について」と題し、行政の立場から現在の沖縄のマクロ経済と沖縄経済を支える観光産業の概況、そこから沖縄産業振興公社の各種支援事業の関わりについてお話しいただきました。上原さんは、かつて公益財団法人・神奈川産業振興センターにいらっしゃったこともあり、神奈川県と関わった経験もお持ちです。

  沖縄県は人口144.5万人、労働力人口71.8万人。完全失業率は3.1%とやや高く(全国平均2.5%)、産業構造としては良く知られているように第3次産業が84.4%とずば抜けて高い(全国平均71.8%)のが特徴です。近年の景気は拡大しており、入域観光客数の増加と共に個人消費も拡大しています。入域観光客数は2018年度、999.9万人で前年度比4.4%増、6年連続過去最高を更新しています。

  当然のことながら、観光客の増加は飲食店や宿泊業に大きな経済効果をもたらし、その他の産業も合わせると県経済への波及効果は2017年度1兆1,699億円にのぼると言われています。今回那覇や恩納村などを歩いて実感としても感じましたが、県内各地でホテルの建設ラッシュが進んでおり、宿泊業では人手不足が深刻化しています。全体の有効求人倍率が1.18倍であることを考えると、業種別の求人は大きく偏っているのかもしれません。またホテル建設の増加により、各地で地価の高騰も起こっています。

  人口が同じくらいで面積が1:7のハワイと比較すると、沖縄はハワイ並みの観光客数を誇っています。一方で観光客の消費額、平均滞在日数は共にハワイが2.7倍、2.4倍であり、面積が狭いということはありますが、まだまだ沖縄の観光産業には余力があると考えられます。

  以上のことから、沖縄における観光産業の課題としては以下のようなものが挙げられます。

1.入域観光客数の平準化
2.滞在日数の延伸
3.県内消費額の増加
4.ハード・ソフト両面の受入れ基盤強化
5.観光人材の育成・確保
6.戦略的誘致展開と市場特性に応じたきめ細やかな対応

  こうした課題を受け、公社では観光施設、飲食施設、交通機関などを対象とした翻訳支援事業、多言語アプリの開発(ベンチャー支援)、情報発信支援、県産品を活かした商品開発支援などを行っています。

  行政の施策は意外と肌で感じることが少ないように思います。このように身近な場面の細部にも深いかかわりがあるのだと知る良い機会でした。



  続いて二人目の講師は、一般社団法人・FLAME9の西平博人様。今度は一転して地域(ミクロ)の立場から「沖縄の演劇、芸能活動を通じた地域振興の取り組み」についてお話いただきました。西平さんの取り組みのユニークなところは、衰退著しい自治会が果たす役割に再び光を当て、アナログ・ネットワークの力を時代に沿う形で活用し、地域を活性化していこうという点です。

  自治会の衰退は沖縄も例外ではなく、那覇市における自治会加入率は17.3%。高齢化が進み、近い将来1ケタ台になるであろうと予測されています。地域扶助組織としての側面を持つ自治会の衰退は、本土に比べて高い沖縄の貧困率に拍車をかけています。先の上原さんのお話しのように、確かに現在の沖縄は観光産業の拡大により経済は好調ですが、西平さんによれば、沖縄は同時に基地の県でもあり、一度有事の不安が高まれば、観光依存の経済は一気に下降する脆弱性も孕んでいると言います。

  そのような不安定な経済基盤においては、地域のネットワークが不可欠であり、そこで目をつけたのが衰退したとはいえまだ那覇市内だけで154団体ある自治会の活用なのだそうです。ただ沖縄の自治会もまた高齢化が進んでおり、ネットワークを活性化するには若者を巻き込まなければなりません。SNSに代表されるように、広く浅い人間関係に慣れている若者世代に対しては、自治会加入のハードルを下げる工夫が必要になります。そこで取り入れたのが、演劇とラジオ番組とのコラボやイベントを通じた発信。

  舞台演劇もされている西平さんですが、意外なことに元々は演劇には全く関心がなかったそうです。たまたまNPOに関連する講座を受講されていた時、講師の方が演劇関係で、そこで身体を動かすことを通じ「いかに自分は自分を知らないか」痛感されたそうです。演劇とは、自分を知り、相手を知り、そしてそれを伝える行為である。それはまさに沖縄にとって必要なものであろうと考えられたとのことでした。西平さんによれば、沖縄は多様な方面にパフォーマーがおり、潜在能力を有していながら、それらを取りまとめ発信するプロデューサーが不足している。パフォーマーが何でも自分でやるので、折角良いものも広がらない。さればこれらをつないで沖縄の力を活かしていきたいと思われたそうです。

  しかし、考えてみれば元々の沖縄は、非常に狭い地域の中に数多くのコンテンツがコミュニティと結びついていたはず。この関係を再び紡ぎ直して活性化していくことこそ、沖縄の足腰を強くすることであり、その媒体となり得るのが衰えたりとはいえ、多数存在する自治会なのではないかということです。

  デジタル社会にあっても、沖縄は台風と水不足という問題を恒常的に抱えています。オンラインのインフラが機能不全に陥った時、力となるのは自治体間のネットワークのようなオフラインのインフラになります。ただ、沖縄は台風に対する意識は高いものの、本土のような防災・防犯の部分が弱い。昔の緊急連絡網のような告知力ばかりでなく、集会所を放課後の児童の待機場所とすることで、働く世代の負担を軽減することもできます。これはひいては貧困対策、防犯対策にもなります。



  そして演劇を通じたマーケティングの可能性。埋もれつつある地域の歴史、ストーリーを演劇によって再考することで、地域の活力につなげる。失われつつある地域芸能をコーディネートし、データバンクを作り、アイデンティティを再興する。演劇の持つ対面、空間、役者が発する生き様といった力を企業や地域の発信力につなげる。

  さらに教育的要素として実際の動画を拝見しましたが、『島守のうた』という昭和20年4月、沖縄戦時の島田叡知事の物語です。米軍による沖縄上陸が不可避と分かっている中、沖縄県知事の辞令を受け、「誰かがどうしても行かなならんとあれば、言われた俺が断るわけにはいかんやないか。俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれとは言えん」と言って受諾し、沖縄に殉じた方です。西平さんは、この劇の企画を通じて沖縄戦の体験者の証言を残すと共に、劇に参加した中高生が当時の人々の心境を追体験することによる、平和教育を行っています。

  「歴史を学ぶと自分たちの位置が分かり、進むべき方向が見える」という西平さんの言葉が強く印象に残りました。



  三番目の講師は、ジーエルイー合同会社の呉屋由希乃様。結論からお伝えしますが、信じたことを行動に移す実行力、諦めない力、理想を追いながらも現実の中の自分の位置を冷静に見極める力。ただただ舌を巻くばかりでした。これだけ感服したのは、第13回YMSの講師としても来ていただいた、社会保険労務士の菊地加奈子さん以来かもしれません。



  呉屋さんは、「サンゴに優しい日焼け止め」を製造販売されています。珊瑚礁は地球の海洋面積の0.2%を占めているにすぎませんが、海洋生物の実に1/4がサンゴに依存して生息しており、CO2吸収量はアマゾンの熱帯雨林よりも多いそうです。そのサンゴがこの30年で半分失われたと言います。

  サンゴは動物であり、植物と共生し光合成によるエネルギーを吸収して生息しています。そのためサンゴは植物を思わせる鮮やかな色をしているわけですが、死滅したサンゴは白い色をしています。我々が死んだら白骨化するのと同じです。「白いキレイな珊瑚礁」なんて思っていたら、それはすでに失われたサンゴだったのですね。

  これほどまで急速にサンゴが失われている要因としては、地球温暖化、開発による汚染など様々あるわけですが、人間が使っている日焼け止めにもサンゴにとって有害な物質が含まれており、何と競泳プール6杯分の海水に1滴の日焼け止めを垂らしただけであっても、サンゴのDNAに悪影響を及ぼすのだそうです。

  沖縄育ちの呉屋さんは元々ダイビングがお好きだったそうですが、仕事でしばらく沖縄を離れ、戻ってきて潜った馴染みの海のあまりの変わりように衝撃を受けたそうです。その時にインストラクターが発した「(日焼け止めは)サンゴが死んじゃうよ」という一言が、海に潜っている時に脳裏に浮かびあがり、居ても立ってもいられなくなったのだそうです。

  そこで日焼け止めについて調べてみると、サンゴに対する配慮など全くされていない。世界中でパラオとハワイは日焼け止めに対する規制があるそうですが、そのハワイでも有害物質規制を逆手に取り、規制外の有害物質を使った日焼け止めが環境配慮を謳って流通している有様。国内で唯一見つけた有害物質を使っていない日焼け止めも、そのことを成分表示以外謳っていないので、日焼け止めの成分に詳しい人でなければ環境に優しいことが分かりません。しかも値段が異常に高い。

  こうしたことが切欠となり、サンゴとは石だと思っている人も少なからずいる現状の中、まずはサンゴについて知ってもらい、かつ手ごろな商品を作らなければならないと思い、クラウドファンディングで資金を募り(これについてもかなりご苦労されたようですが)、「サンゴに優しい日焼け止め」というそのものズバリの商品を開発したのだそうです。考えて作ってしまうところがそもそも凄いことですが…。

  2016年に発売を開始。日本航空系のJTA商事にも扱ってもらうなど順調な滑り出しかと思われましたが、全く売れないという厳しい現実に直面したそうです。遡ること20年近く前、サンゴを救うため独学でサンゴの養殖を学び、経営していた店を売り払ってサンゴを救う活動を始められた金城浩二さんがマスコミでもクローズアップされ、サンゴに対する人々の意識は高まったはずでした。しかし現実は、全くの無関心。

  どうして人々の意識が上がらないのか、また金城さんはどうして折れることなく活動を続けることができるのか?呉屋さんはそうした疑問を直接金城さんにぶつけてみたそうです。金城さんの答えは、「(金城さんが注目されたことによって)似たような人たちが何人も来たが、誰も残っていない。…今日聞いたいい話も人は明日には忘れる。『~のため』では続かない、好きでなければやってられない」というものだったそうです。また、商品が売れない現実を前にこうも言われたそうです。

「今の辛さは自分を好きになるために時間なんだよ」

  市場経済の現実の中で、「サンゴに優しい」はセールス・ポイントにはなりません。それよりサンゴに対する意識を持ってもらうため、呉屋さんはその後も粘り強くメディアへの露出を続けられました。そしてあるラジオ番組のリスナーが「サンゴに優しい日焼け止め」を投稿したところ、実に4万近いツイートがあったそうです。2017年、日本政策投資銀行主催の第6回DBJ女性新ビジネスプランコンペティションで沖縄初のファイナリストとなり、東京都のグローバル企業家アクセラレーションプログラムに参加。2018年には、マレーシアで開催された第9回目世界都市フォーラムに出展。同じテーマを共有するアジア各国の行政機関からは、「環境保護というメッセージを遠回しに伝えられる商品」としてむしろ関心が高かったそうです。アジアとのつながり強化のため、タイでも生産を開始、パラオでの販売も始められました。同年、生物多様性アクション大賞で審査員賞を受賞しています。

  僕自身、衣類のリサイクルを業とするにあたり、理想も現実も共感するところが多々ありました。それ以上に、到底敵いませんが無形の学びを得たお話しでもありました。

  今回の第二回YMS沖縄大会、実現にご尽力いただいた皆様に心より感謝申し上げます。

過去のセミナーレポートはこちら

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
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