先日、エイベックス・グループ・ホールディングス代表取締役社長、松浦勝人さんのご講演を拝聴する機会がありました。
松浦社長は横浜市港南区出身、僕とは9歳違いですが、お話の端々に港南台や上大岡など馴染みの場所の描写が出てくるので、僕も当時の町の様子を思い出し、「あの頃、そんなことされていたのか」と何だか不思議な感じに襲われました。
ご講演は大学在学中のアルバイト時代からエイベックス・ディー・ディー株式会社(当時)を設立するまでを淡々とした口調でお話されていました。なお、進行役は東京プリンの伊藤洋介さん、余談ですが、僕は東京プリンの歌を10曲くらい歌えたりします。
音楽、特に海外のダンスミュージックがお好きだった松浦社長は、大学在学中に港南台の貸レコード店「友&愛」(これも懐かしい響きです)でアルバイトをされていました。オーナーには店を任され、今では一般的になっていますが、ご自分が推薦できる曲に手作りのポップをつけたり、会員制でレンタルであるという業態の特性を活かしたサービスで実績を挙げられました。
その後、港南台店のオーナーとご尊父による共同出資で新会社を設立、上大岡駅近くに「友&愛」上大岡店を開業。こちらも独自の工夫で会員を増やし、その一方で好きなダンスミュージックの知識を活かし、輸入盤に独自の解説文をつけて他店に卸すというビジネスを考案されました。折りしも、HMVやTOWER RECORDSが続々日本に進出してきた時代(確かに横浜にHMVができた時は大変な騒ぎだったと記憶しています。それだけに先月の弊店のニュースも時代の流れとはいえ驚きでした)、このビジネスでも成功を収められます。
その後、このビジネスの有望性に目をつけた他の貸レコード店を営んでいた方に半ば強引に誘われる形で、卸売業に特化したエイベックス・ディー・ディー株式会社を設立。海外からの直接輸入を行う一方、イタリアの業者からレーベルの権利を購入し、26歳の時にavex traxを設立されます。当時ディスコ、マハラジャで流れていた、けれども名前が分からないという曲を集めた「マハラジャナイト」がヒット、さらに「ジュリアナ・トーキョー」シリーズが大ヒットを収めます。これが小室哲哉氏との出会いと、その後の誰もがご存知の急成長への遠因となったようです。
多くの成功された方が異口同音におっしゃることですが、松浦社長も「成功には運やまぐれが多分に含まれる。小室哲哉氏との出会いも後になってみれば出会うべくして出会ったと思えるが、結局のところ何かをするから何かが起こる」とおっしゃていました。つまり、人より先に階段を上ればいかにも元から壮大なビジョンを描いていたかのように見えますが、ご本人曰く「目の前にあるやるべきことを徹底してやっていたら、誰もやらないところにいた」ということです。イチロー選手も確か、「今自分にできること、頑張ればできそうなこと、そういうことを積み重ねていかないと遠くの大きな目標は近づいてこない」と述べておられたように思います。
お話を伺って個人的に思ったのは、分析すれば様々な成功要因が挙げられるでしょうが、先日ご紹介させていただいた深田社長も今回の松浦社長もその要因が初めから揃い、使い方も熟知していたわけではなかったであろうと思います。一番大切な人を動かす原動力、今回のお話の中では社長が若い頃からお好きだったダンスミュージック、にどれだけ徹底して向き合い、誰にも負けないレベルまで高めることができていたかどうか、また過去に囚われるでも未来への妄想に耽るでもなく、今この瞬間にどれだけ集中できているかの違いではないでしょうか。
僕も関心のあること、好きなことはたくさんあります。しかし、その内のどれか一つでも誰にも負けないレベルまで徹底的に取り組めているのかと問うた場合、「あれも好き、これも好き」という中途半端なレベルに終わっているといわざるを得ません。しかし、今回のご講演によって本当に自分が好きなことにもっと集中してよいのだという確信をいただけた気がしました。ありがとうございました。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。
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松浦社長は横浜市港南区出身、僕とは9歳違いですが、お話の端々に港南台や上大岡など馴染みの場所の描写が出てくるので、僕も当時の町の様子を思い出し、「あの頃、そんなことされていたのか」と何だか不思議な感じに襲われました。
ご講演は大学在学中のアルバイト時代からエイベックス・ディー・ディー株式会社(当時)を設立するまでを淡々とした口調でお話されていました。なお、進行役は東京プリンの伊藤洋介さん、余談ですが、僕は東京プリンの歌を10曲くらい歌えたりします。
音楽、特に海外のダンスミュージックがお好きだった松浦社長は、大学在学中に港南台の貸レコード店「友&愛」(これも懐かしい響きです)でアルバイトをされていました。オーナーには店を任され、今では一般的になっていますが、ご自分が推薦できる曲に手作りのポップをつけたり、会員制でレンタルであるという業態の特性を活かしたサービスで実績を挙げられました。
その後、港南台店のオーナーとご尊父による共同出資で新会社を設立、上大岡駅近くに「友&愛」上大岡店を開業。こちらも独自の工夫で会員を増やし、その一方で好きなダンスミュージックの知識を活かし、輸入盤に独自の解説文をつけて他店に卸すというビジネスを考案されました。折りしも、HMVやTOWER RECORDSが続々日本に進出してきた時代(確かに横浜にHMVができた時は大変な騒ぎだったと記憶しています。それだけに先月の弊店のニュースも時代の流れとはいえ驚きでした)、このビジネスでも成功を収められます。
その後、このビジネスの有望性に目をつけた他の貸レコード店を営んでいた方に半ば強引に誘われる形で、卸売業に特化したエイベックス・ディー・ディー株式会社を設立。海外からの直接輸入を行う一方、イタリアの業者からレーベルの権利を購入し、26歳の時にavex traxを設立されます。当時ディスコ、マハラジャで流れていた、けれども名前が分からないという曲を集めた「マハラジャナイト」がヒット、さらに「ジュリアナ・トーキョー」シリーズが大ヒットを収めます。これが小室哲哉氏との出会いと、その後の誰もがご存知の急成長への遠因となったようです。
多くの成功された方が異口同音におっしゃることですが、松浦社長も「成功には運やまぐれが多分に含まれる。小室哲哉氏との出会いも後になってみれば出会うべくして出会ったと思えるが、結局のところ何かをするから何かが起こる」とおっしゃていました。つまり、人より先に階段を上ればいかにも元から壮大なビジョンを描いていたかのように見えますが、ご本人曰く「目の前にあるやるべきことを徹底してやっていたら、誰もやらないところにいた」ということです。イチロー選手も確か、「今自分にできること、頑張ればできそうなこと、そういうことを積み重ねていかないと遠くの大きな目標は近づいてこない」と述べておられたように思います。
お話を伺って個人的に思ったのは、分析すれば様々な成功要因が挙げられるでしょうが、先日ご紹介させていただいた深田社長も今回の松浦社長もその要因が初めから揃い、使い方も熟知していたわけではなかったであろうと思います。一番大切な人を動かす原動力、今回のお話の中では社長が若い頃からお好きだったダンスミュージック、にどれだけ徹底して向き合い、誰にも負けないレベルまで高めることができていたかどうか、また過去に囚われるでも未来への妄想に耽るでもなく、今この瞬間にどれだけ集中できているかの違いではないでしょうか。
僕も関心のあること、好きなことはたくさんあります。しかし、その内のどれか一つでも誰にも負けないレベルまで徹底的に取り組めているのかと問うた場合、「あれも好き、これも好き」という中途半端なレベルに終わっているといわざるを得ません。しかし、今回のご講演によって本当に自分が好きなことにもっと集中してよいのだという確信をいただけた気がしました。ありがとうございました。
マハラジャ・ナイト(1) | |
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ジュリアナ・トーキョー(1) | |
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繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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