2月1日、大牟田にある取引先に向かう電車に乗るまで時間があったので小倉城を訪ねました。現在の小倉城は1609年に細川忠興によって改築されたもので、大天守は四層五階の連結式層塔型、昭和34年の再建です。現在の天守は千鳥破風や唐破風などの装飾が見られますが、創建当時は最上階の屋根を除き破風はなかったようです。1609年といえば日本の築城史では後期の方に属すると思うのですが、石垣は比較的古い時期に用いられたいわゆる「野面積み」と呼ばれるものです。また最大の特徴は四階と五階の区別がなく(これは徳川幕府に遠慮して層数を少なくみせるためです。この時期は幕府にあらぬ嫌疑をかけられぬよう天守を小さくしたり、あるいは天守台だけ築いて天守は作らなかったりということがありました)、最上階に雨戸を廻らした結果、五階が四階よりも大きいという点で、「唐造り(南蛮造りともいいます)」と呼ばれています。
天守内部はご他聞に漏れず展示室になっています。小倉は有名な「巌流島の決闘」が行われたところでもあるので宮本武蔵や佐々木小次郎に関する展示もあります。佐々木小次郎の使っていた通称「物干竿」と一般の日本刀の実寸大の展示があり、持ってみると通常の日本刀も結構重いのに約1mあったという物干竿は相当重いものです。小次郎は当時としては相当長身だったようですが、それでも本当に「燕返し」などという技ができたのだろうかと思わせるほどでした。
展示室の中で小笠原忠真が1632年に中国僧即非禅師を招聘して黄檗宗広寿山福聚寺を創建したという記述がありました。煎茶をやっている関係から黄檗宗のお寺に興味があったので訪ねてみようと思いましたが、地元の人に聞いても行き方が分からず今回は断念することにしました。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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天守内部はご他聞に漏れず展示室になっています。小倉は有名な「巌流島の決闘」が行われたところでもあるので宮本武蔵や佐々木小次郎に関する展示もあります。佐々木小次郎の使っていた通称「物干竿」と一般の日本刀の実寸大の展示があり、持ってみると通常の日本刀も結構重いのに約1mあったという物干竿は相当重いものです。小次郎は当時としては相当長身だったようですが、それでも本当に「燕返し」などという技ができたのだろうかと思わせるほどでした。
展示室の中で小笠原忠真が1632年に中国僧即非禅師を招聘して黄檗宗広寿山福聚寺を創建したという記述がありました。煎茶をやっている関係から黄檗宗のお寺に興味があったので訪ねてみようと思いましたが、地元の人に聞いても行き方が分からず今回は断念することにしました。
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