『俵屋の不思議』という本を読みました。京都の老舗旅館「俵屋」を中心に、柱や風呂桶を磨く「洗い屋」、障子屋、畳屋、豆腐屋、湯葉屋、造酒屋、骨董屋などなど、俵屋に関わる職人さんの伝統と仕事へのこだわりが活き活きと描かれています。これら日本の伝統文化を辛うじて繫ぎとめている京都の風土、一方で現代に生きる我々があまりに本物を知らないために偽物が本物になってしまっている現実。
どんなに良い物を追求しても、その良さを理解できる受け手がいなくなれば衰退していかざるを得ません。このことが繊維リサイクルの現状と重なり合って感じられました。
こうした伝統を全て捨て去ってしまった後の日本人には一体何が残るのだろうと考えさせられます。資本主義経済の中に組み込まれた、単なる浪費する単位の集合?既に非日常化している歌舞伎や懐石料理といった断片を拾い集めて「これが日本文化です」と世界に向けて発信したところで、自分たちにその価値を認める下地がなければ不毛なことです。
さらに、ふと先週行ってきた福岡を思い出しました。僕が愛してやまない福岡、10年振りにじっくり歩いた町並みはすっかりその姿を変えていました。しかしただ昔の面影がなくなったということ以上に感じていた寂寞感、あれは一体何だったのだろうと思っていましたが、今こうして考えてみると恐らく福岡の独自性の衰退、東京への同質化のようなものを感じたからではなかったかと思います。
少なくとも10年前は曲がりなりに東京とは違う福岡の独自性みたいなものを感じることができました。しかし今回見た福岡は東京の人がイメージする(あるいはメディアによって作り上げられた)、例えばラーメンやもつ鍋といったものだけが極端にクローズアップされた福岡の姿、その中に福岡自身が埋没しているように感じられました。これは異質というよりむしろ拡大された同質化と言えます。僕が福岡を愛することに変わりはありませんし、10年振りに歩いてみただけで本当のことが分かるわけでもありませんが、直感的にそう感じました。
福岡で感じた寂寞感は世界の中の日本ということについても、リサイクルが直面している現状についても感じられます。我々は我々であることを辛うじて繫ぎとめている艫綱を自らの手で断ち切ろうとしているように見えます。そうならないよいうに少なくとも自分のやっている繊維リサイクルの仕事をもっと掘り下げ、我々が先祖から受け継いできた「将来のためにまだ失ってはならないもの」を発信していきたいと思います。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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どんなに良い物を追求しても、その良さを理解できる受け手がいなくなれば衰退していかざるを得ません。このことが繊維リサイクルの現状と重なり合って感じられました。
こうした伝統を全て捨て去ってしまった後の日本人には一体何が残るのだろうと考えさせられます。資本主義経済の中に組み込まれた、単なる浪費する単位の集合?既に非日常化している歌舞伎や懐石料理といった断片を拾い集めて「これが日本文化です」と世界に向けて発信したところで、自分たちにその価値を認める下地がなければ不毛なことです。
さらに、ふと先週行ってきた福岡を思い出しました。僕が愛してやまない福岡、10年振りにじっくり歩いた町並みはすっかりその姿を変えていました。しかしただ昔の面影がなくなったということ以上に感じていた寂寞感、あれは一体何だったのだろうと思っていましたが、今こうして考えてみると恐らく福岡の独自性の衰退、東京への同質化のようなものを感じたからではなかったかと思います。
少なくとも10年前は曲がりなりに東京とは違う福岡の独自性みたいなものを感じることができました。しかし今回見た福岡は東京の人がイメージする(あるいはメディアによって作り上げられた)、例えばラーメンやもつ鍋といったものだけが極端にクローズアップされた福岡の姿、その中に福岡自身が埋没しているように感じられました。これは異質というよりむしろ拡大された同質化と言えます。僕が福岡を愛することに変わりはありませんし、10年振りに歩いてみただけで本当のことが分かるわけでもありませんが、直感的にそう感じました。
福岡で感じた寂寞感は世界の中の日本ということについても、リサイクルが直面している現状についても感じられます。我々は我々であることを辛うじて繫ぎとめている艫綱を自らの手で断ち切ろうとしているように見えます。そうならないよいうに少なくとも自分のやっている繊維リサイクルの仕事をもっと掘り下げ、我々が先祖から受け継いできた「将来のためにまだ失ってはならないもの」を発信していきたいと思います。
俵屋の不思議村松 友視世界文化社このアイテムの詳細を見る |
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『なぜみんなスターバックスに行きたがるのか?』今回の出張のお供として読んだ本です。当世ありがちなタイトルですが、中身は真面目なマーケティングの本です。ナイキとスターバックスで著者自身が関わったブランディングの手法が物語形式で分かりやすくまとめられており、楽しく読むことができました。以前ご紹介した『新訳経験経済』で述べられている物質経済から経験経済へのプロセスをA.マズローの欲求五段階説に準えて説明しているのが新鮮で印象的でした。
ただ残念なのがこの邦題と装丁です。実はこの本自体はかなり以前から知っていたのですが、この安逸なタイトルと僕自身がスターバックスに行きたがらない人間であったがゆえに今まで読もうと思う動機がなかったのです。この邦題でブランディングの本だと見抜くのは至難の業ですし、そうでなければもっと早く読んでいたのですが。原題は"A New Brand World"、このままで良かったのではないでしょうか?それにこの邦題は本当に「なぜみんなスターバックスに行きたがるのか」を知りたかった人にとっても親切ではないと思います。
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ただ残念なのがこの邦題と装丁です。実はこの本自体はかなり以前から知っていたのですが、この安逸なタイトルと僕自身がスターバックスに行きたがらない人間であったがゆえに今まで読もうと思う動機がなかったのです。この邦題でブランディングの本だと見抜くのは至難の業ですし、そうでなければもっと早く読んでいたのですが。原題は"A New Brand World"、このままで良かったのではないでしょうか?それにこの邦題は本当に「なぜみんなスターバックスに行きたがるのか」を知りたかった人にとっても親切ではないと思います。
なぜみんなスターバックスに行きたがるのか?スコット ベドベリ,Scott Bedbury,土屋 京子講談社このアイテムの詳細を見る |
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僕が福岡に来たと実感するのはラーメンでもイカや鶏でもなく実はここ今泉珈琲店のコーヒーです。天神西通りに住んでいた11年前、近くにあるこのコーヒー店によく行っていました。お店で焙煎するので薫り高い嫌な酸味のないコーヒーが入るのは勿論のことなのですが、水も背振山の湧き水を使っていて口当たりが本当に軟らかいのです。今泉や警固周辺は町並みが一変してしまっていてほとんど昔の面影を残しているものがないくらいなので、10年振りに今泉珈琲店を発見したときはホッとしました。コーヒーも相変わらず美味しく、嬉しくなり思わずお代わりをしてしまいました。
今泉珈琲店
福岡市中央区今泉2-5-24
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11年前、新入社員として福岡に赴任したとき最初に住んだのが福岡の渡辺通五丁目でした。その時近くにあったのが「赤のれん 節ちゃんラーメン」で、しょっちゅう食べていました。一般的な博多風の白濁したとんこつラーメンではない独特のスープです。昼に食べるのがここ、夜飲んだ後のシメに寄るのが薬院の「八ちゃんラーメン」というのが僕のパターンでした。
今は飯田橋にも店が出ていますので一風堂や一蘭と並んで東京でもかなり知られるようになっていますが、福岡に寄ったときはぜひお勧めのラーメン屋さんです。
赤のれん 節ちゃんラーメン
福岡県福岡市中央区渡辺通5-24-26
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今は飯田橋にも店が出ていますので一風堂や一蘭と並んで東京でもかなり知られるようになっていますが、福岡に寄ったときはぜひお勧めのラーメン屋さんです。
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2月2日、1年越しで吉野ヶ里遺跡訪問を実現しました。昨年大牟田で仕事を終えた後吉野ヶ里遺跡に直行したのですが、入口まで辿り着きながら閉園に間に合わず。その反省もあって今年は行程を土曜日の朝に設定したのです。
福岡ドーム6個分という発見されている弥生時代の遺跡としては最大の環濠集落ですが、入ってみると予想以上の大きさでした。復元されている支配者層の居住区(南内郭)、祭祀の中心部(北内郭)、前日に公開されたばかりの王墓(北墳丘墓)、倉庫群と交易の行われた市、庶民の居住区を巡りましたが、これだけでもたっぷり2時間歩きました。
発掘された遺物から日本全国のみならず、奄美地方、朝鮮半島、中国大陸などとも盛んに交易が行われた吉野ヶ里遺跡の繁栄ぶりが伺えます。
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発掘された遺物から日本全国のみならず、奄美地方、朝鮮半島、中国大陸などとも盛んに交易が行われた吉野ヶ里遺跡の繁栄ぶりが伺えます。
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以前ご紹介した神戸三ノ宮のBAR KEITHもそうなのですが、出張したときはなるべく地元のバーを1件訪ねるようにしています。佐賀は初めてということで、福岡のバーOSCARの方からご紹介いただいたのがこのBAR YAMAZAKIです。
地図を出力してから行ったのですが、住所らしいところに着いてもバーらしきものが見当たりません。付近を30分ほどくまなく探してみましたが見つからず。観念して住所付近の美容室で尋ねたところ何と向かいにあったのですが、窓のない建物と小さなお稲荷さんに挟まれたほとんど分からないくらいの隙間が入口でした。これでは分かりません。そしてやっと見つけたもののまだ開店しておらず...。
しかしバーそのものは良いところでした。オーナーバーテンダーの山崎秀幸さんも気さくな方で話が弾みました。最初の一杯は"BRUICHLADDICH CLASSIC"(写真)。ブルイックラディらしい穏やかなピート香に苺が結構合うというのは僕にとって新しい発見、苺で有名な佐賀らしい出会いですね。
BAR YAMAZAKI
http://sagabar.com/baryamazaki/
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地図を出力してから行ったのですが、住所らしいところに着いてもバーらしきものが見当たりません。付近を30分ほどくまなく探してみましたが見つからず。観念して住所付近の美容室で尋ねたところ何と向かいにあったのですが、窓のない建物と小さなお稲荷さんに挟まれたほとんど分からないくらいの隙間が入口でした。これでは分かりません。そしてやっと見つけたもののまだ開店しておらず...。
しかしバーそのものは良いところでした。オーナーバーテンダーの山崎秀幸さんも気さくな方で話が弾みました。最初の一杯は"BRUICHLADDICH CLASSIC"(写真)。ブルイックラディらしい穏やかなピート香に苺が結構合うというのは僕にとって新しい発見、苺で有名な佐賀らしい出会いですね。
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大牟田での仕事を終えこの日は佐賀に宿泊。訪ねる予定のバーが開店するまでの1時間佐賀城に行ってきました。地図を見ないのはいつもの事ですが、あっさり見つかった小倉城と違い佐賀城は探すのに苦労しました。勝手の分からない町で夜だったこと、佐賀城には天守がないこと(1726年の火災で焼失、現在は天守台のみ)、平城のため建物に隠れて見つけにくかったことなどが理由です。
現在の城郭は1611年、鍋島勝茂により改修されたもので現存する建物は鯱の門と続櫓のみです(写真)。鯱の門には1874年に起きた佐賀の乱の弾痕が残っているらしいと聞いていたのですが、暗くてよく見えませんでした。門には鍋島藩が輸入したアームストロング砲が展示されています。実際のアームストロング砲は後の戊辰戦争で使用されています。
鯱の門の手前に天守台がありますが、以外に大きく、かなり高層の天守があったのではないかと一見して想像できますが、実際五層の天守があったそうです。
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現在の城郭は1611年、鍋島勝茂により改修されたもので現存する建物は鯱の門と続櫓のみです(写真)。鯱の門には1874年に起きた佐賀の乱の弾痕が残っているらしいと聞いていたのですが、暗くてよく見えませんでした。門には鍋島藩が輸入したアームストロング砲が展示されています。実際のアームストロング砲は後の戊辰戦争で使用されています。
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