今朝の朝礼で社員の一人が「自分は何のために生きているのか、何のために仕事をしているのか」と言うことを問いかけていました。このテーマは僕にとっても会社にとっても大変重要なことだと思うのですが、自分たちの存在理由を見つけ出すと共にそれをどれだけ自分自身で本気になって「信じられるか」ということがより大切であろうと感じます。
先日ラグビー日本代表ヘッドコーチ、ジョン・カーワン氏の『勝利がすべてを変える』という本を読みましたが、昨年10月、青天の霹靂で代表ヘッドコーチに就任したとき彼が掲げたのがまさにこの"Believe"ということでした。本書によれば2003年のW杯以降混迷を続けた日本代表のヘッドコーチに就任した際、氏が取り組まなければならないと考えたのが①「敗者の文化」を払拭すること、②技術的にどうすれば勝てるかを追求すること、③自分に最も合った戦い方、方針を明らかにすること、の3つでしたが、これらを実践する前提として"Believe"があり、一方でこれらを実践していくことで"Believe"を確かなものにしていく、いずれにしても「信じる」ことが最も重要なのだと思います。
最初の「敗者の文化」について、氏は2007年9月12日のパシフィック・ネイションズ・カップのフィジー戦で日本が15-30で敗れたときのことを例に挙げ、次のように述べています。「前半は、日本が非常に素晴らしいデキで、素早くプレーして15-3とリードした。しかし、ハーフタイムに選手たちは、リードしている現実を上手く認識できなかった。(中略)自分たちの力を信じることができなかったのだ」
これを読んだとき、僕は学生時代の似たような経験を思い出しました。かつて僕は長らく自己評価の低い、それどころか「自分を評価してはいけないんだ」と思い込んでいるような時期が続いていました。そんな時期の真っ只中にあった学生時代の空手の試合で僕は1年生のときにまるで歯の立たなかった相手と再戦し、前半ポイントでリードしていました。ところがどういうわけか自分で「こんな自分が勝っているなんておかしい」という思いに駆られ動きが萎縮してしまったのです。自分が勝とうと思えないのに勝てるはずもありません、結果は当然の如く逆転負けでした。
こうした「敗者の文化」のタチの悪いところは、自分を信じられなかった当然の帰結として現れた「敗北」という現実により、一層自分を信じられなくなってしまう悪循環に陥ってしまうということです。実際、その後3年余り悪循環が続き、それこそ「一生このままなら生きていたってしょうがないんじゃないか」と思っていました。
そんな僕の「敗者の文化」に転機が訪れたのは1999年の年末のことです。その数ヶ月前、当時在籍していた会社に辞表を出し無意識に自分を一歩下がったところから見られるようになっていたのかもしれませんが、ふと自分を受け入れてみようという気になったのです。「よくよく考えたら自分も捨てたものじゃない」そう思えるようになったとたん、あれほど続いていた不幸の連続が一変しました。自分の能力も、自分を取り巻く周囲の環境も何も変わっていない、にもかかわらずあらゆることが良い方に回り始めたのです。要するに幸や不幸は外から降ってくるのではなく自分で作り出していたということです。現在でも決して自分に自信のある方ではありませんが、少なくとも「自分の力でどうにもならないことを嘆いても仕方がない」と切り替えられるようになりました。
過去に失ったものを取り戻すことはできませんし、今ある自分に足りない物が何であっても一足飛びに身に着けることは不可能です。できもしないことで自分を見失うよりは今ある自分を一旦は受け入れた上で、改めて「だから何をすべきか」を考えた方が良いし実際そうするしかないと思います。「過去にとどまることなく現在を認識し、そして未来に向かってポジティブに進むこと-それが、ゲームマネジメントの上でもコーチングにおいても最も大切なことである」とカーワン氏も本書の中で述べています。
ただし注意しなければならないと思うのは過去や現在を認識しない、単純に未来を楽観視するようなポジティブシンキングはむしろ危険であるという点です。日本代表が今すぐオールブラックスになれないのと同様、過去から続き現在あるところの自分の姿を認識しない(無意識に避ける)でただプラス思考と自分に言い聞かせることは、結局他力本願的に自分の運命が変わることを期待しているのであり、結果を伴わない可能性が大きいということのみならず、意識しているいないに関わらず他力本願であるがゆえに結果が伴わなかった場合の失望感が大きくなるからです。
自分で負け続けてきたと思っているし、周囲で起こった結果も敗北ばかりという状況において自分を認識し受け入れるというのは容易ではないかも知れません。しかしもし自分が何とか状況を変えようと努力しているのであれば、どんな小さなことでも良いのでそれを評価すべきだと思います。本書は「勝利だけが敗者の文化を払拭できる」と述べていますが、決して結果だけを求める「勝利至上主義」を説いてはいません。
「そのために...」と本書は続けています。「そのために、選手は結果を追うのではなく、試合の中の瞬間瞬間に集中して、目にの前で起こることに対して真向から立ち向かう必要がある。あとは辛抱強くなることだ。方向さえ間違っていなければ、そして、全員でそこに向かっているのであれば、今日、明日と、目の前に集中してガマン強く練習を続けていれば、必ずいい結果が出る。」
仕事で言えば、営業成績の数字だけを追うのではなく、どうすれば良いかを考え、自分たちに合った(強みを発揮できる)やり方で、我慢強く目の前の仕事に集中して取り組むということの大切さを言っているのではないでしょうか。87年の第一回W杯でNZを世界一に導いたスーパースターから贈られる熱く頷けるメッセージの多い一冊です。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
よろしければクリックおねがいします!
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先日ラグビー日本代表ヘッドコーチ、ジョン・カーワン氏の『勝利がすべてを変える』という本を読みましたが、昨年10月、青天の霹靂で代表ヘッドコーチに就任したとき彼が掲げたのがまさにこの"Believe"ということでした。本書によれば2003年のW杯以降混迷を続けた日本代表のヘッドコーチに就任した際、氏が取り組まなければならないと考えたのが①「敗者の文化」を払拭すること、②技術的にどうすれば勝てるかを追求すること、③自分に最も合った戦い方、方針を明らかにすること、の3つでしたが、これらを実践する前提として"Believe"があり、一方でこれらを実践していくことで"Believe"を確かなものにしていく、いずれにしても「信じる」ことが最も重要なのだと思います。
最初の「敗者の文化」について、氏は2007年9月12日のパシフィック・ネイションズ・カップのフィジー戦で日本が15-30で敗れたときのことを例に挙げ、次のように述べています。「前半は、日本が非常に素晴らしいデキで、素早くプレーして15-3とリードした。しかし、ハーフタイムに選手たちは、リードしている現実を上手く認識できなかった。(中略)自分たちの力を信じることができなかったのだ」
これを読んだとき、僕は学生時代の似たような経験を思い出しました。かつて僕は長らく自己評価の低い、それどころか「自分を評価してはいけないんだ」と思い込んでいるような時期が続いていました。そんな時期の真っ只中にあった学生時代の空手の試合で僕は1年生のときにまるで歯の立たなかった相手と再戦し、前半ポイントでリードしていました。ところがどういうわけか自分で「こんな自分が勝っているなんておかしい」という思いに駆られ動きが萎縮してしまったのです。自分が勝とうと思えないのに勝てるはずもありません、結果は当然の如く逆転負けでした。
こうした「敗者の文化」のタチの悪いところは、自分を信じられなかった当然の帰結として現れた「敗北」という現実により、一層自分を信じられなくなってしまう悪循環に陥ってしまうということです。実際、その後3年余り悪循環が続き、それこそ「一生このままなら生きていたってしょうがないんじゃないか」と思っていました。
そんな僕の「敗者の文化」に転機が訪れたのは1999年の年末のことです。その数ヶ月前、当時在籍していた会社に辞表を出し無意識に自分を一歩下がったところから見られるようになっていたのかもしれませんが、ふと自分を受け入れてみようという気になったのです。「よくよく考えたら自分も捨てたものじゃない」そう思えるようになったとたん、あれほど続いていた不幸の連続が一変しました。自分の能力も、自分を取り巻く周囲の環境も何も変わっていない、にもかかわらずあらゆることが良い方に回り始めたのです。要するに幸や不幸は外から降ってくるのではなく自分で作り出していたということです。現在でも決して自分に自信のある方ではありませんが、少なくとも「自分の力でどうにもならないことを嘆いても仕方がない」と切り替えられるようになりました。
過去に失ったものを取り戻すことはできませんし、今ある自分に足りない物が何であっても一足飛びに身に着けることは不可能です。できもしないことで自分を見失うよりは今ある自分を一旦は受け入れた上で、改めて「だから何をすべきか」を考えた方が良いし実際そうするしかないと思います。「過去にとどまることなく現在を認識し、そして未来に向かってポジティブに進むこと-それが、ゲームマネジメントの上でもコーチングにおいても最も大切なことである」とカーワン氏も本書の中で述べています。
ただし注意しなければならないと思うのは過去や現在を認識しない、単純に未来を楽観視するようなポジティブシンキングはむしろ危険であるという点です。日本代表が今すぐオールブラックスになれないのと同様、過去から続き現在あるところの自分の姿を認識しない(無意識に避ける)でただプラス思考と自分に言い聞かせることは、結局他力本願的に自分の運命が変わることを期待しているのであり、結果を伴わない可能性が大きいということのみならず、意識しているいないに関わらず他力本願であるがゆえに結果が伴わなかった場合の失望感が大きくなるからです。
自分で負け続けてきたと思っているし、周囲で起こった結果も敗北ばかりという状況において自分を認識し受け入れるというのは容易ではないかも知れません。しかしもし自分が何とか状況を変えようと努力しているのであれば、どんな小さなことでも良いのでそれを評価すべきだと思います。本書は「勝利だけが敗者の文化を払拭できる」と述べていますが、決して結果だけを求める「勝利至上主義」を説いてはいません。
「そのために...」と本書は続けています。「そのために、選手は結果を追うのではなく、試合の中の瞬間瞬間に集中して、目にの前で起こることに対して真向から立ち向かう必要がある。あとは辛抱強くなることだ。方向さえ間違っていなければ、そして、全員でそこに向かっているのであれば、今日、明日と、目の前に集中してガマン強く練習を続けていれば、必ずいい結果が出る。」
仕事で言えば、営業成績の数字だけを追うのではなく、どうすれば良いかを考え、自分たちに合った(強みを発揮できる)やり方で、我慢強く目の前の仕事に集中して取り組むということの大切さを言っているのではないでしょうか。87年の第一回W杯でNZを世界一に導いたスーパースターから贈られる熱く頷けるメッセージの多い一冊です。
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繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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