窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

水城跡

2010年02月04日 | 史跡めぐり


  今回は福岡で正味半日ほどの余裕しかなかったため、近場の遺跡、福岡県太宰府市の水城(みずき)を訪れることにしました。

  水城というのは、664年(天智3年)に外敵からの防御を目的に築かれた土塁のことです。土塁であるのに「水城」と呼ばれているのは、日本書紀に「大堤を築きて水を貯えしむ。名づけて水城といふ」とあるように、外側と内側に濠を備えた土塁であったためで、実際の発掘調査で外濠と内濠に導水する木樋(もくひ)が発見されています。また、墨で「水城」と書かれた土器も発見されており、当時も「水城」と呼ばれていたことが分かっています。



  上の写真は水城の東門付近で発見された「東門木樋跡」です。

  水城が築かれた背景として7世紀後期の東アジア情勢を簡単におさらいしてみます。660年、朝鮮半島では新羅の連合軍によって百済が滅亡します。時の斉明天皇は百済の遺臣、鬼室福信の求めに応じ、百済再興支援に乗り出します。このとき斉明天皇自ら筑紫の朝倉橘広庭宮に赴いたばかりか、中大兄皇子天智天皇)、大海人皇子天武天皇)、額田王中臣鎌足など皇族や朝廷の重臣がこぞって付き従いました。このことからも窺えるように、百済復興支援は単なる援軍のための派兵を超え、恐らく国運を賭けた一大軍事行動であったと考えられます。

  ところが661年、斉明天皇が那津宮家で崩御、後を引き継いだ中大兄皇子は663年、総勢4万7千もの軍勢を朝鮮半島に派兵しますが、唐・新羅の連合軍の前に大敗を喫してしまいます(白村江の戦い)。奈良時代の日本の人口でさえ450万人と言われていますから、この敗戦は大変な損害だったでしょう。

  白村江の大敗の後、唐による侵攻を恐れた中大兄皇子は翌664年、西日本における政治・軍事・外交の拠点である大宰府を防衛するため、大宰府より2kmほど博多側にある丘陵に挟まれた狭隘地に防塁と濠を築きます。これが水城です。



  上は水城や大宰府付近の上空写真です。現在は水城の西側にある丘陵が宅地開発されているため分かりにくいですが、水城が大宰府を守るように博多側の官道を完全に塞いでいることが分かります(クリックすると拡大写真が表示されます)。



  水城は上の図(水城跡の案内板による)のように、断面が凸状の土塁に内濠・外濠をそれぞれ備えていました。土塁は高さ9m、幅77m、長さが1.2kmもあり版築という技法を用いて固められていました。博多側の外濠は深さ4m、幅は60mもありました。



  写真左側が水城を大宰府側からみたもの、右側が博多側からみたものです。



  また、版築というのは中国では古代から現在に至るまで用いられている技法で、土を突き固めながら徐々に壁を高くしていきます。したがって、上の写真のように断面を見ると土が層になっていることが分かります。比較的安上がりで頑丈なのが特徴だそうです。



  さらに、水城を通る二つの官道には東西それぞれ城門がありました。上の写真は東門の礎石です。鎌倉時代の私撰和歌集『夫木和歌抄』(ふぼくわかしょう)に「岩垣の 水城の関に むれむこう うちの心も 知らぬ諸人」という藤原高遠の歌があり、そのことから恐らく石垣を伴った城門であったと考えられています。

  このように、水城は白村江の戦いからわずか1年で築かれたとはとても思えないほど巨大、かつ本格的な防壁でした。これだけでも天智朝が感じていた唐の侵攻に対する危機感がいかに大きいものであったかを窺い知ることができます。  



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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ジャパンラグビートップリーグ2009 プレーオフ決勝戦

2010年02月03日 | スポーツ観戦記


  福岡から羽田に到着し、そのまま秩父宮ラグビー場へ。1月31日はトップリーグのプレーオフ決勝、「東芝vs三洋電機」の試合でした。



  トップリーグチャンピオンを決める試合とあって、場内は「早慶戦」を思わせるような超満員でした。日本のラグビーも常にこれくらいの観衆で埋まる日がいつかくるでしょうか?



  試合は序盤から東芝のペース。三洋電機はいつもの堅いディフェンスこそ健在だったものの、オフェンス、特にFW陣にいつもの迫力がありませんでした。



  スクラムは押され、ブレイクダウンも東芝にめくり上げられ...。東芝の激しさを褒めるべきなのかもしれませんが、インフルエンザなどで主力選手を何人か欠いていたとはいえ三洋らしからぬ防戦一方の展開が続きました。



  前半は東芝が2回のペナルティゴールを決め、6VS0で折り返しました。



  後半に入っても三洋電機は常に自陣でのプレーを強いられました。地域を戻そうにも肝心なところでダイレクトタッチとなるなど、要所要所でミスが出たのは残念でした。



  後半30分過ぎ、ようやく三洋の猛攻を開始。東芝がゴール前に釘付けになる場面が続き、会場を盛り上げましたが、再三に渡るラインアウトからのモールも押し切れず。コラプシングの繰り返しでシンビンを出した場面もあったとはいえ、東芝のディフェンスの集中力は見事でした。



  結局、両チーム共ノートライ。前半のペナルティによる6点を守り切った東芝が二年連続のトップリーグチャンピオンに輝きました。去年も4トライ以上の差を跳ね返してリーグ戦トップ通過、そしてプレーオフも制覇とここ一番の強さを見せた東芝でしたが、今年もリーグ戦3位ながら2位のサントリー、そして全勝の三洋電機を破り、堂々のチャンピオンとなりました。

  対照的に三洋電機は3年前まで言われ続けたここ一番の弱さが出てしまったようです。しかし、三洋電機とサントリーの2強で推移した2009年のトップリーグに東芝が加わったことで、日本選手権がより楽しみになりました。

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味処 なか野 3

2010年02月02日 | 食べ歩きデータベース
  このブログでも2回ほど登場した、福岡は住吉にある「味処 なか野」さん。僕にとっては、福岡を訪れることと「なか野」さんにお邪魔することはほとんど同義といってよいくらいの存在になっている料理屋さんです。

  今回もお邪魔して大変楽しい時間を過ごさせていただきました。

  お店のことは過去2回すでにご紹介済みですので、今回は今までの写真をYou Tubeにまとめてみることにしました。



過去の記事はこちら

2009年1月3日「味処 なか野

2009年3月11日「味処 なか野 2

本当にお勧め、一度行くとはまってしまう、温かいお店です。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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2010年1月アクセスランキング

2010年02月01日 | 人気記事ランキング
  2010年1月にアクセスの多かった記事、ベスト10です。

  1月8日に夕方のニュースで採り上げられた後、大反響の「」さん。お陰さまで、当ブログでも断トツのアクセストップでした。最近出張続きだったため「きのこまん」をまだ食べることができていないでいますが、気になります...。

  10位の原口海産物店さん、実は一昨日お邪魔してきました。いつも親切に有難うございます。

  1月の特徴としては、仕事(リサイクル)の話題が多くランクインしたことが挙げられます。2010年最初の月に大変有難いことです。今年も引き続きよろしくお願いいたします。

1 有限会社 正華 工場直売所「好」
2 「特殊紡績手袋 よみがぁ~る」
3 江戸の古着屋
4 活魚 浜んこら
5 エコノミーとエコロジーの語源
6 NHK「古着は世界をめぐる」を観て
6 2010年新年会を開催しました
6 2009年12月アクセスランキング
9 糸島の牡蠣小屋
10 原口商店の辛子明太子

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