都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「宇治山哲平展」 東京都庭園美術館 4/2
東京都庭園美術館(港区白金台5-21-9)
「宇治山哲平展 -絵に遊ぶ、絵に憩う- 」
2/4-4/9
二月から東京都庭園美術館で開催されている宇治山哲平の回顧展です。先日ようやく見に行くことが出来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/62/f266bf3dab9c6a0788e8b6aa0438ffc6.jpg)
旧朝香宮邸の東京都庭園美術館は、展示作品を美しく映えさせるような趣きのある建物ですが、今回の宇治山展においても作品をより美しいものに仕立て上げていました。色とりどりの三角や四角形の踊った抽象世界が、どっしりとしたアール・デコ様式の室内へ溶け込んでいく。まとまって見ることで浮かび上がってくる宇治山の魅力が、アール・デコという借景によってさらに高まっています。建物と作品が相互に良い方向へ作用し合った、とても贅沢な展覧会です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/8d/547faa81b227df646f102fa2d7c2a76d.jpg)
宇治山の作品を見ると、まずどうしてもその独特な形象へ目が向いてしまいますが、一番注視すべき点は形ではなく、作品の驚くべき質感にあると思います。画像やパンフレットでは全く分からないのが残念ですが、彼の魅力の半分以上は作品表面の見事な質感に由来しているかもしれません。幾何学的に区切られているデザイン的な画風が、その質感によって工芸的な、まるで古代の壁画のような趣をたたえてくる。そこに宇治山の醍醐味があるようです。
その質感の秘密は、ズバリ、キャンバスに使われた油彩にありました。パッと見ただけでは、油彩が使用されているとは分からないザラザラとしたキャンバスの表面。砂かざらめがまかれたような表面に象られている三角形や丸。それがキャンバスにペタッと張り付いている。ザラメの中身は、水晶など鉱石の粉末を混ぜて生み出された油彩絵具です。それをペインティングナイフで、パンにバターを塗り込むようにしてキャンバスにのせていく。それが画肌に、どこか壁画のような質感を生み出すようです。彼のこの技法には、当時「工芸的過ぎる。」という批判も浴びせられたそうですが、この絵具がなければ宇治山の魅力は半減するとさえ思います。(さらにごく普通に油彩をキャンバスに塗り込んだ部分との対比もまた面白い。)ともかく実物に接してそのざらめの感触を味わって欲しい。そう言いたくなるほどに魅惑的な、また意外性のある質感です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/e5/907da28e26f1e4aaf08ee25282ea733a.jpg)
展示は宇治山の画業史が分かるように構成されていました。絵画における形の変化と、絵具の質感の違い。それが時間的にどう変わっていくのか。最終的にはカラフルで鮮やかなタペストリーのような祝祭的な抽象画へと落ち着きましたが、私としてはその一つ前の段階の、やや構成に余白の多い、形に揺らぎのある作品の方が美しく見えました。また彼が抽象画にたどり着くまでに描いた版画作品や、いわゆる具象画もいくつか展示されています。(宇治山は版画作家としてスタートしたようです。)そちらの素朴な風情もまた必見です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/7c/958b346882ed8ff0983fa497a91b84ab.jpg)
最後の展示室であるウィンターガーデンには、クラシックファンにとっては思いがけない作品が紹介されていました。それはサントリーホールのホワイエに展示されている「響」(1986年)です。ちょうど正面玄関の頭上に、横20メートルあまりに配された大理石の丸や四角。(ちなみにこの大理石は宇治山自身が一点ずつ見定めたものだそうです。)当然ながら大理石なので、キャンバス作品にある独特の質感は楽しめませんが、全体的にやや静的な味わいのある宇治山の作品の中でも、この「響」はどこか音楽的に感じられます。大理石がそれこそ音符となって響き合っている。ポリフォニックなバロックの調べ。バッハのチェンバロ協奏曲が浮かんできました。足早とホール内へ入る前に、暫し上を眺めながら宇治山の作品に見入るのも良いかもしれません。二階部分の手すりから眺めれば上手く一望出来そうです。それにしてもまさかあのように身近な場所(?)に彼の作品があるとは知りませんでした。迂闊です。今度しっかりと確認してきます。
最後に、宇治山の印象的な言葉を紹介します。
「私の絵画は具象的な描写ではないが、自然の全てが画因である。太陽、石、山脈、風、凍土、動植物など、あらゆる自然のリズムや形象を、極めて単純な記号のような原形にまで抽象して生気を蘇らせたいと希っている。」(美について想う 1962)
お庭の桜を見ながら、どっぷりとアール・デコに浸って宇治山の静かなリズムに身を任せる休日。明日までの開催です。
「宇治山哲平展 -絵に遊ぶ、絵に憩う- 」
2/4-4/9
二月から東京都庭園美術館で開催されている宇治山哲平の回顧展です。先日ようやく見に行くことが出来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/62/f266bf3dab9c6a0788e8b6aa0438ffc6.jpg)
旧朝香宮邸の東京都庭園美術館は、展示作品を美しく映えさせるような趣きのある建物ですが、今回の宇治山展においても作品をより美しいものに仕立て上げていました。色とりどりの三角や四角形の踊った抽象世界が、どっしりとしたアール・デコ様式の室内へ溶け込んでいく。まとまって見ることで浮かび上がってくる宇治山の魅力が、アール・デコという借景によってさらに高まっています。建物と作品が相互に良い方向へ作用し合った、とても贅沢な展覧会です。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/8d/547faa81b227df646f102fa2d7c2a76d.jpg)
宇治山の作品を見ると、まずどうしてもその独特な形象へ目が向いてしまいますが、一番注視すべき点は形ではなく、作品の驚くべき質感にあると思います。画像やパンフレットでは全く分からないのが残念ですが、彼の魅力の半分以上は作品表面の見事な質感に由来しているかもしれません。幾何学的に区切られているデザイン的な画風が、その質感によって工芸的な、まるで古代の壁画のような趣をたたえてくる。そこに宇治山の醍醐味があるようです。
その質感の秘密は、ズバリ、キャンバスに使われた油彩にありました。パッと見ただけでは、油彩が使用されているとは分からないザラザラとしたキャンバスの表面。砂かざらめがまかれたような表面に象られている三角形や丸。それがキャンバスにペタッと張り付いている。ザラメの中身は、水晶など鉱石の粉末を混ぜて生み出された油彩絵具です。それをペインティングナイフで、パンにバターを塗り込むようにしてキャンバスにのせていく。それが画肌に、どこか壁画のような質感を生み出すようです。彼のこの技法には、当時「工芸的過ぎる。」という批判も浴びせられたそうですが、この絵具がなければ宇治山の魅力は半減するとさえ思います。(さらにごく普通に油彩をキャンバスに塗り込んだ部分との対比もまた面白い。)ともかく実物に接してそのざらめの感触を味わって欲しい。そう言いたくなるほどに魅惑的な、また意外性のある質感です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/e5/907da28e26f1e4aaf08ee25282ea733a.jpg)
展示は宇治山の画業史が分かるように構成されていました。絵画における形の変化と、絵具の質感の違い。それが時間的にどう変わっていくのか。最終的にはカラフルで鮮やかなタペストリーのような祝祭的な抽象画へと落ち着きましたが、私としてはその一つ前の段階の、やや構成に余白の多い、形に揺らぎのある作品の方が美しく見えました。また彼が抽象画にたどり着くまでに描いた版画作品や、いわゆる具象画もいくつか展示されています。(宇治山は版画作家としてスタートしたようです。)そちらの素朴な風情もまた必見です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/7c/958b346882ed8ff0983fa497a91b84ab.jpg)
最後の展示室であるウィンターガーデンには、クラシックファンにとっては思いがけない作品が紹介されていました。それはサントリーホールのホワイエに展示されている「響」(1986年)です。ちょうど正面玄関の頭上に、横20メートルあまりに配された大理石の丸や四角。(ちなみにこの大理石は宇治山自身が一点ずつ見定めたものだそうです。)当然ながら大理石なので、キャンバス作品にある独特の質感は楽しめませんが、全体的にやや静的な味わいのある宇治山の作品の中でも、この「響」はどこか音楽的に感じられます。大理石がそれこそ音符となって響き合っている。ポリフォニックなバロックの調べ。バッハのチェンバロ協奏曲が浮かんできました。足早とホール内へ入る前に、暫し上を眺めながら宇治山の作品に見入るのも良いかもしれません。二階部分の手すりから眺めれば上手く一望出来そうです。それにしてもまさかあのように身近な場所(?)に彼の作品があるとは知りませんでした。迂闊です。今度しっかりと確認してきます。
最後に、宇治山の印象的な言葉を紹介します。
「私の絵画は具象的な描写ではないが、自然の全てが画因である。太陽、石、山脈、風、凍土、動植物など、あらゆる自然のリズムや形象を、極めて単純な記号のような原形にまで抽象して生気を蘇らせたいと希っている。」(美について想う 1962)
お庭の桜を見ながら、どっぷりとアール・デコに浸って宇治山の静かなリズムに身を任せる休日。明日までの開催です。
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