「ロダン、カリエールと同時代の文化・社会」 国立西洋美術館 4/15

国立西洋美術館講堂
「ロダン、カリエールと同時代の文化、社会」
4/15 15:00~
講師 小倉孝誠(慶応義塾大学教授)

しばらく前のことになりますが、「ロダンとカリエール展」の関連企画として開催された記念講演会を聞いてきました。講師は、慶応義塾大学仏文科の小倉孝誠氏。内容はタイトルの通り、ロダンとカリエールの生きていたフランスを、二人の生き様に絡めながら、社会、制度、思想、文学などの観点から幅広く概観するものです。以下、いつもの通り、会場にて配布されたレジュメに則ってまとめていきたいと思います。


ロダンとカリエールの経歴について

・ロダン(1840-1917)
 パリ・パンテオン地区にて下級役人の子として生まれる。
 14歳から「小校」にてデッサンと彫刻を学ぶ。
  国立美術学校を受験→三度失敗。進学を断念。(彫刻の成績が足りなかった。)
 1871年 ベルギーへ移住。(7年間)貧しい下積み生活。(=彫刻の基礎を学ぶ)
 1880年代から「地獄の門」・「カレーの市民」などの公共記念像の仕事を受注する。
 ↓
 90年代以降、名声が確立。=「近代彫刻の祖」

・カリエール(1849-1906)
 パリ生まれ。少年・青年期をストラスブール(ドイツ国境付近)にて過ごす。
 リトグラフ作家の元でポスター制作の仕事に携わる。
 1869年 国立美術学校へ入学。アカデミー絵画の大家カバネルの元で学ぶ。
 1870年 普仏戦争勃発。従軍し敗北。捕虜生活も。
 その後パリへ戻り、サロン(官展)へ出品。入選経験有り。
 1889年 ロダンらとともに「国民美術協会」を設立。サロンとはやや距離を置く。
 1998年「アカデミー・カリエール」(画塾)の創設。
  教え子の一人にはマティスの名も。

→ともに19世紀半ばから20世紀初頭のフランス(主に第三共和制期)にて活躍。


19世紀フランスの社会、文化について

・期間 1789年フランス革命~1914年第一次大戦終結
 =革命時代、ナポレオン帝政、王政復古、七月王政、第二共和制、第二帝政、第三共和制。
・目まぐるしく政治体制が変化した。(=次第に民主化へ)
・暴動の頻発。不安定な社会。
・産業革命による科学技術の発展=いわゆる近代化。
→ロダン、カリエールの二人に関わりが深いのは、第二帝政と第三共和制期。

(1)政治、経済、社会、制度、教育などについて

 ・第二帝政期(1852-70):ナポレオン三世の統治。ロダン、カリエールの少年・青年時代。(=普仏戦争で崩壊。)
  パリの大改造(セーヌ県知事オスマンによる改革)
   鉄道、都市開発、上下水道の整備、公園、緑地の整備など。
   中世的都市から近代的な大都市へ。
   街の浄化(暴動、犯罪を防ぐ。道路大拡張によるバリケード増築の阻止。)
  ↓
  「光の都」、「文明の都」へ。
   ベンヤミン:「パリは19世紀の首都である。」
   ゾラはこの時期のパリを題材とした都市小説(居酒屋、ナナ。)を書く。
   ボードレールは改造後のパリを否定。
   「都市の形は人の心よりも早く変わってしまう。」と嘆く。

 ・第三共和制期(1870-1940):共和派が権力掌握。ロダン、カリエール、活躍の時代。
  共和制の宣言。初めは政権が安定せず、カトリック勢力や王党派の揺り戻しも。
  政府は共和制の「良さ」を積極的に宣伝していく。
   1879年 ラ・マルセイエーズの制定
   1880年7月14日 パリ祭の設定(革命記念日)
  自由・平等・博愛の精神(=共和主義)を目に見える形で国民に示す。
  ↓
  初等教育の義務化。公教育制度による共和主義思想の教示。
  街のモニュメントとしての共和主義(大彫刻で象徴化する。)
   共和国:女性のイメージ
   神話的なイメージ。フリギア帽と月桂樹。
   =共和国の理想の銅像
   ↓
   街の目立つ場所にいくつも設置されていく。
   =公の発注による銅像制作の活発化。彫刻家たちの生活の糧に。(ロダンも)

(2)19世紀の芸術、文学の流れ

 ・19世紀前半:ロマン主義の時代。
   ドラクロワ、ベルリオーズ、ユゴーらが活躍。

 ・1850-1880:写実主義、自然主義の時代
   ミレー、クールベ、フロベール、ゾラ。
   クールベ「私は羽の付いた天使を描かない。」=目に見えたものだけを描く。

 ・1880-1900:象徴主義の時代
   まさにロダンとカリエールの時代。
   モロー、ルドン、ドビュッシー、ランボー、ヴェルレーヌ、マラルメ。
   思索的、観念的な作品を生む。


ロダン、カリエールと同時代の文学・思想

(1)ロダン、カリエールの共通点

 ・キーワード「精神性」
  生前から作品テーマや雰囲気が似ているという指摘がなされて来た。
  目に見える世界ではなく、目に見えない世界を捉える=「主観的世界」
  →文学における象徴主義との共通性
 
 ・「手仕事」の重要性
  下積み時代の経験(工房で働くロダン、カリエール)
  労働の重要性
 
 ・ジャンヌ・ダルクの主題
  ジャンヌ・ダルクは中世フランスの救国の英雄
  共和制下の当時のフランスにおいて流行した主題
   アナトール・フランス、ルドン、ブールデルらもダルクを主題とした作品を制作
  ↓
  1870年 普仏戦争で敗北したフランス
   独へ対する復讐心=「愛国心」(=共和制の核心)
   その象徴としてのジャンヌ・ダルク(次の戦争に備えてのシンボルに。)
  ↓
  それをロダン、カリエールも取り入れた。
   ロダン:恍惚とした表情のジャンヌ・ダルク
   カリエール:手を組んだ忘我の境地にいるジャンヌ・ダルク
  →ともに神のお告げを聞いた時のダルクの姿を制作したと思われる。
   

 ・肖像、および肖像画の制作(同一モデル)
  「肖像はモデルの単なる似姿ではなく、魂や内なる生命を表現するものでなければならない。」
  1.ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ
   二人にとって親しみのある象徴派絵画の巨匠。
   後に三名でグループ展を開催した。
  2.ギュスターヴ・ジェフロワ、ロジェ・マルクス
   ジェフロワはロダン、カリエールをいち早く評価していた。
  3.アンリ・ロシュフォール
   左翼ジャーナリスト。
  4.ジョルジュ・クレマンソー
   左派政治家。後に首相を二度務めた大物。特にカリエールと関係が深い。
   新聞「夜明け」(左派系新聞。ポスターをカリエールが制作。)
    1898年 ドレフュス事件
     ユダヤ人フランス将校がドイツへ機密情報を売り渡していたとされる事件。
     結果的に冤罪とされたが、フランス国内で有罪か無罪かの議論が巻き起こる。
     「無罪=ドレフュス派 対 有罪=反ドレフュス派(=反ユダヤ主義へ)」
    ↓
   ゾラがドレフュスが無罪だとする抗議文を作成。それを掲載した新聞が「夜明け」
   カリエールもドレフュス派。(ロダンを比べると政治活動に熱心だった。)
  5.ヴェルレーヌ
   同時代の作家。
   代表的な肖像画をカリエールが制作。またヴェルレーヌもカリエールへ詩を献呈。
  6.エドモン・ド・ゴンクール
   美術批評家。日本の浮世絵についても造詣が深い。歌麿や北斎に関する著作。
   カリエールを絶賛(=知性、内面を表現した画家として。)
    ゴンクールの日記にカリエールの記述がいくつか存在。
     例)「黄昏時のベラスケスのようだ。」、「心理的傾向の強い画家だ。」
    カリエールの手がけたゴンクールの肖像画を大切に所有。   
  7.ヴィクトル・ユゴー
   共和主義を象徴する作家。
    第三共和制のシンボル(=帝政批判、亡命。共和制にて帰国。葬儀は国葬。)
   →ユゴーを描くことはまさに共和制を描くことでもある。  
   ロダン、カリエールともに深い敬意を払っていた。
    1902年 「生誕100周年」
     ロダン:胸像の制作(生前のスケッチを元に)
     カリエール:生誕年にちなんだ冊子に挿絵を描く。

(2)ロダンと世紀末の文化

 ・文学からのインスピレーション
  「地獄の門」=ダンテ「神曲」の地獄編からイメージ
   ボードレールを通してダンテを発見(ロダンが最も愛した作家がボードレール)
  ロダンの作品における大胆な女性の官能性(悪魔主義的傾向)
  →ボードレール、世紀末デカダン派作家たちの世界と共通

 ・ロダンの「バルザック像」
  1891年 文芸家協会がロダンへ発注
  ↓
  最初に完成した作品は受け取りを拒否される。
  =ドレフュス事件との関係
   「受け取り承認:ドレフュス派 対 拒否:反ドレフュス派」

(3)カリエールと女性の表象

 ・ロダン、カリエールの描く女性像
  ロダン:官能的で大胆
  カリエール:母子像、穏やか、静か。
   ↓
  カリエールは、母性または家族愛に大きな価値をおいていた。

 ・世紀末における女性像とカリエール
  世紀末の女性像:デカダン、悪女のイメージ(小説でもそのような女性像が頻繁)
   例)モローの「サロメ」=男を惑わし、滅ぼす女性。
   ↓
  カリエールの女性像はむしろ例外的。


さいごに

・ロダンもカリエールも、自然や人間に芸術の対象を求めながら、その内なる生、精神性を捉え、想像力によってそれに形を付与することが、芸術家の使命であるという認識を持っていた。
・「本当に大事なものは目に見えない」→それを視覚化

以上です。長くなりました。

元々この講演会の仮題は「ロダン、カリエールと同時代の文学」であったので、てっきりロダンとカリエールが交流した同時代の作家や、ともに影響された文学などについて突っ込んだ話が聞けるかと期待していたのですが、会場に着いてみるとなんとタイトルが「文学」から「文化・社会」へと変わっていました。もちろんその分、当時の社会システムなどに関する興味深い話もあったわけですが、全体としてやや総花的な話になった感は否めません。もう少し文学、特にロダンとボードレールや、ヴェルレーヌとの関係の話が聞ければとも思いました。

とは言え、やはりこの話で興味深かったのは、ボードレールやユゴーらとロダン、カリエールの関係です。特にボードレールの悪魔的な女性イメージとロダンの官能的な女性像に共通性を見出す指摘はなかなか気がつきません。またカリエールの女性像が、当時のそれと異なっていたという視点も面白いと思いました。(母性愛、家族愛の重視。)そして普仏戦争敗北における抑圧された共和意識の高まりが、例えばジャンヌ・ダルクを生んだことなども、二人の作品に社会性を見い出す観点として重要かと思います。当然ながら、たんに偶然、同一のモデルを制作したわけではないのです。

展覧会では、どちらかと言うと二人の実際の交友関係から、作品に共通点なり相違点を見出す方向をとっていますが、この講演会ではむしろ逆に、二人を取り巻くもっと大きな波(それこそまさにこの激動のフランスの時代ですが。)から二人の作品を見て行くアプローチをとっていました。その点で、この講演会は鑑賞会には幾分欠けた視点を補うとも言えるような、鑑賞者側にとっては大変有難い話題だったのかもしれません。貴重な90分でした。

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