都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「国宝 雪松図と近世絵画」 三井記念美術館
三井記念美術館(中央区日本橋室町2-1-1 三井本館7階)
「国宝 雪松図と近世絵画」
2007/12/23-2008/1/31(会期終了)
感想を書きそびれていました。三井記念美術館、年末年始恒例の「雪松図」関連の展覧会です。
既に終えている展示なので手短かにいきます。今回、私の目当てはズバリ、珍しい抱一の仏画「観音像」でした。おそらくは友人、谷文晁の画をそのまま写したと思われる作品でしたが、これを見ると、仏門の身でもあったはずの抱一に殆ど仏画が残っていないことが何となしに分かるような気もします。つまり、この観音様は言ってしまえばとても世俗的です。まるで酒宴を終えた後の一貴族が、その酔いを冷ますかでもように水辺(海辺)にどっしりと構えているようにも見えてしまいます。また抱一の関心は、この画に仏の魂を吹き込むことよりも、例えば、うねり狂って何やら生き物のようでもある波の描写や、さらには異常なほどに細かく描かれた数々の装飾品にあったのではないでしょうか。その点では、信仰よりも風流に生きた抱一ならではの作品と言えるのかもしれません。
「雪松図」は今年も圧倒的です。お正月気分を味わえるということで、毎年、等伯の「松林図屏風」(東博平常展)と近い時期に楽しむことにしていますが、松林図が「無」であるなら、こちらは「有」とも言えることが出来るのではないでしょうか。雪原の無限な広がり、または松の生み出す絶妙な遠近感と立体感、それに光り輝くその枝葉などが、少し離れるとほぼ完璧に見えるほど効果的な描写にて表現されています。また松林図が殆ど偶然に、また画家の手の離れたところにてあの稀有な空間が生み出されているとすれば、雪松図はまさに応挙本人によって計算され尽くした空間がそのまま現れているとも言えるでしょう。役者のように大見得を切ってその隆々たる姿を見せる松が、黄金の雪をも伴って、何とも言えぬ荘厳な場を作り出していました。
今年はこの「雪松図」の含め、応挙の作を約10点弱ほど見ることができました。応挙の印籠など他でお目にかかったことはありません。
「雪松図」との関連展示が近世絵画、つまりは江戸絵画であったのもまた嬉しいところでした。ちなみに来年の展示は、「国宝 雪松図と能面」(2008/12/10-2009/1/24)だそうです。
「国宝 雪松図と近世絵画」
2007/12/23-2008/1/31(会期終了)
感想を書きそびれていました。三井記念美術館、年末年始恒例の「雪松図」関連の展覧会です。
既に終えている展示なので手短かにいきます。今回、私の目当てはズバリ、珍しい抱一の仏画「観音像」でした。おそらくは友人、谷文晁の画をそのまま写したと思われる作品でしたが、これを見ると、仏門の身でもあったはずの抱一に殆ど仏画が残っていないことが何となしに分かるような気もします。つまり、この観音様は言ってしまえばとても世俗的です。まるで酒宴を終えた後の一貴族が、その酔いを冷ますかでもように水辺(海辺)にどっしりと構えているようにも見えてしまいます。また抱一の関心は、この画に仏の魂を吹き込むことよりも、例えば、うねり狂って何やら生き物のようでもある波の描写や、さらには異常なほどに細かく描かれた数々の装飾品にあったのではないでしょうか。その点では、信仰よりも風流に生きた抱一ならではの作品と言えるのかもしれません。
「雪松図」は今年も圧倒的です。お正月気分を味わえるということで、毎年、等伯の「松林図屏風」(東博平常展)と近い時期に楽しむことにしていますが、松林図が「無」であるなら、こちらは「有」とも言えることが出来るのではないでしょうか。雪原の無限な広がり、または松の生み出す絶妙な遠近感と立体感、それに光り輝くその枝葉などが、少し離れるとほぼ完璧に見えるほど効果的な描写にて表現されています。また松林図が殆ど偶然に、また画家の手の離れたところにてあの稀有な空間が生み出されているとすれば、雪松図はまさに応挙本人によって計算され尽くした空間がそのまま現れているとも言えるでしょう。役者のように大見得を切ってその隆々たる姿を見せる松が、黄金の雪をも伴って、何とも言えぬ荘厳な場を作り出していました。
今年はこの「雪松図」の含め、応挙の作を約10点弱ほど見ることができました。応挙の印籠など他でお目にかかったことはありません。
「雪松図」との関連展示が近世絵画、つまりは江戸絵画であったのもまた嬉しいところでした。ちなみに来年の展示は、「国宝 雪松図と能面」(2008/12/10-2009/1/24)だそうです。
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