「高梨豊 - 光のフィールドノート - 」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館千代田区北の丸公園3-1
「高梨豊 - 光のフィールドノート - 」
1/20-3/8



写真家、高梨豊(1935~)が、高度経済成長期より現代に至るまでの日本を撮り続けます。東京国立近代美術館で開催中の「高梨豊 - 光のフィールドノート - 」を見てきました。

展示では主に時代、テーマ毎に分けられた15シリーズ、約250点の作品が登場します。以下、そのタイトルを挙げてみました。

「somethin’ else」(1950s-1960)/「オツカレサマ」(1964)/「東京人」(1964-1965)/「都市へ」(1960s-1974)/「町」(1975-1977)/「東京人2」(1978-1983)/「新宿/都市のテキスト」(1982-1983)/「初國」(1983-1992)/「都の貌」(1988-1989)/「地名論」(1994-2000)/「NEXT」(1988)/「ノスタルジア」(2002-2004)/「WINDSCAPE」(2001-2003)/「囲市」(2004-2006)/「silver passin」(2008-)



私自身、彼の追った日本を全て体験しているわけではありませんが、言わば前史において印象深いのは、60年代の東京を捉えた「東京人」シリーズです。今をゆうに上回る駅の激しいラッシュを写した「新宿駅」(1965)には、日本中の富を巻き込んで発展しつつあった青年期の東京の熱気を肌で感じることが出来ないでしょうか。また同じく早朝、人に溢れた駅のミルクスタンドにて背広姿の男性が一気に牛乳を飲み干す「東京駅」(1965)などにも、まさに高度成長期を支えた人々の力強さと反面の悲哀が表れています。エキナカに整備された現在の駅とは異なる、欲望も露となった人間のドラマを感じました。



カラー写真も登場する80年代に入ると、私の中でも既視感を覚える日本の姿が登場します。ビルに挟まれた都心の木造建築を捉えた「千代田区淡路町 加島屋酒店」(1977)では、今も神田界隈を歩けば目にしそうな何気ない日常が写し出されていました。また「東京人」より十数年後、再び東京をテーマとした「東京人2」では、60年代より変容した東京の景色が鮮明に記録されています。ここにはかつて見た泥臭さは失われ、代わりにどこか尖った、無機質な街の連なりが目に刺さるように示されていました。ひょっとすると現代の東京は、高梨の述べる「無菌室の均質性」の時代、つまりは80年代の延長上にあるのかもしれません。鋭利な幾何学模様が交差する、寒々しい大都会の景色が誕生していました。



最新作には東京郊外も取り上げられています。今、こうした郊外ほど、見苦しいほど雑然としながら、また一方では整然とし過ぎた、両極端に無個性的な場所はありませんが、高梨は特にその前者に注視して街を写し出していました。ギラギラしたサラ金やチェーン店の看板、だらりと釣り下がる電線、そして溢れたゴミ集積所に群がるカラスと、もはやお馴染み景色が淡々と続いていました。

なおここでは東京の作品ばかりを挙げましたが、沖縄などの各地の光景、または一転しての「next」と呼ばれる著名人のポートレートなども紹介されています。



『昭和の写真』も少なくありませんが、会場には若い方の姿が多く目に映りました。

「囲市/高梨豊」

3月8日まで開催されています。
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