「小杉放庵と大観」 出光美術館

出光美術館千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階)
「小杉放庵と大観 - 響きあう技とこころ」
2/21-3/22



小杉放庵と横山大観の厚い交流を辿ります。出光美術館での「小杉放庵と大観」へ行ってきました。

展示は放庵から始まります。『未醒』と称し、酒好きで豪放でだった若き放庵は当初、パリへ留学するなどして洋画に手を染めますが、当地で池大雅の複製「十便帖」に出会い、その画風を一気に日本、東洋への世界へと転向させました。初期の佳作としては「湖畔」(1914)が挙げられるのではないでしょうか。油彩でありながらも既にナビ派や南画を思わせる点描が木立を象り、透明感のある絵具が水辺の景色を伸びやかに広げています。また転向後の日本画は、墨や金泥までを駆使した軽妙な山水の光景が目立ちました。眉間に皺を寄せ、こちらを睨む「自画像」(1930)にこそ彼の気丈な性格が伺い知れますが、その画風は決して力の入りすぎることのない優し気なものであったようです。

大観との出会いは放庵が文展に参加した時に遡ります。当時、文展の審査員を務めていた大観は、評に食って掛かった放庵に気概を見たのか興味を覚え、そこから両者の奇妙な交流が始まりました。二人の関係は大正2年、放庵の誘いで日本画、洋画を分け隔てなく研究する「絵画自由研究所」の構想にまで至ります。大観をはじめ、観山、紫紅、そして放庵が馬車にて写生旅行した「東海道五十三次絵巻」(1915)は印象に残りました。(展示では大観と放庵の箇所のみ公開。)絵具の『ぼかされた』長閑な山並みが東海道の明るい日差しを浴びています。旅情気分も満点でした。

その『ぼかし』が大観の画風に影響を与えていたとは思いもよりません。この時期の放庵は、弧状の輪郭線を一方を消す『片ぼかし』と言われる技法を多用しますが、それがそのまま大観の得意とする朦朧体へと吸収されていきました。「荒川絵巻」(1915)には、放庵より受け継いだぼかしの駆使された作品ではないでしょうか。山深い長瀞の渓谷が靄を帯びながら幻想的に表されていました。



晩年の放庵は和み系です。ちらし表紙も飾る何とも楽し気な「天のうづめの命」(1951)、そしてこれほど可愛らしい作を他に見たことのない「寒山拾得」(昭和時代)には強く惹かれました。ちなみに前者の命は、当時一世を風靡していたブギの女王がモデルになっているそうです。軽やかなステップはやはり本場仕込みでした。

企画力のある出光美術館をしてみれば当然なのかもしれませんが、二人展のお手本となるような展覧会で感心しました。丁寧なキャプションは図録級に充実しています。

お気に入りの日本画家がまた一人増えました。明後日、22日までの開催です。
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