都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「写真家ソール・ライター展」 Bunkamura ザ・ミュージアム
Bunkamura ザ・ミュージアム
「写真家ソール・ライター展」
4/29~6/25
Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「写真家ソール・ライター展」のプレスプレビューに参加してきました。
1950年代にファッションカメラマンの仕事で活躍するも、一度は「隠遁生活」(解説より)に入り、2006年にして再び脚光を浴びた一人の写真家がいました。
それがソール・ライター(1923~2013)。アメリカのピッツバーグ生まれです。2006年にしてソール・ライターは83歳。切っ掛けは1940年から50年代に撮影されたカラー写真集、「Early Color」が出版されたことでした。
ライターの父はユダヤ教の聖職者であるラビです。少年時代のライターも父の跡を継ぐべく神学校で教育を受けます。ただし関心は別の分野にありました。それが美術、とりわけ絵画です。独学で絵画を習得。図書館の美術書なども参照します。いつしか画家に志すようになりました。
「スケッチブック」ほか *参考出品
しかし両親は反対。ここでライターは思い切った行動に出ました。学校を中退し、真夜中に家を出てニューヨークへと向かったのです。1946年のことでした。
右:「無題」 1960年代
以来、ライターは「常に画家でした」。(解説より)ナビ派の画家を敬愛し、浮世絵や書にも触れます。そして絵を制作しました。一部ではクーニングらの抽象主義グループの一員とも見なされたそうです。さらに個展も開催します。しかし絵は殆ど売れませんでした。
右:「Harper’s Bazaar」 1950年代
そこで半ば生活のために請け負ったのが写真の仕事でした。画家のプセット=ダートと交流。彼は写真を用いた作品を制作していました。ライターも写真術を学びます。天性の才能もあったのでしょう。次第にファッション誌の誌面を飾るようになりました。
左:「無題」 1965年頃
ライターの写真を特徴づけるのが「キュビズム的構図」と「のぞき見的手法」(解説より)です。モデルの一瞬の表情を素早く捉えています。また抒情的で繊細です。時に画家としての感性が撮影においても反映されたのかもしれません。
右:「ボンネット」 1950年頃
1950年代には「ELLE」や「Vogue」などのファッション誌の第一線で活躍します。ソール・ライターの名を不動のものにしました。
しかし常に順風満帆であったわけではありません。次第に撮影の依頼は減少し、1981年にはスタジオの閉鎖を余儀なくされます。ライター自身も自由な創造性が束縛されることにフラストレーションを抱えていました。以後、自らのためにだけに制作する「隠遁生活」へと移ります。するとライターの存在自体も忘れられていきました。
右:「赤い傘」 1951年
ライター復権となったのはカラー写真です。彼は1950年代よりカラー写真を撮影していましたが、当時のプリント技術や経費の問題などにより、長らく未現像のまま放置されていました。自宅アパートに眠り続けていたそうです。
右:「ハーレム」 1960年
1994年、イギリスの写真メーカー、イルフォード社が、カラープリントのために助成金を提供したことで一変します。すぐにニューヨークのギャラリーで初披露されました。大変な評判を得ます。1997年には初のカラー写真展も開催。2005年には2度目の展示も行われました。そして翌年、シュタイデル社より写真集、「Early Color」が刊行されます。さらに美術館やアンリ・カルティエ=ブレッソン財団でも展覧会が開かれます。こうしてライターは再び写真界の表舞台に登場しました。
モノクロームとカラー。甲乙付け難いものはありますが、より絵画的であるのは、カラー作品と言えるかもしれません。
ライターの残した写真の9割以上がニューヨークの自宅周辺で撮影されました。すわなち日常が舞台でした。
左:「赤信号」 1952年
彼が住んでいたのはイーストヴィレッジです。当時はボヘミアンらが集う地区でした。建物は低層です。いわゆる摩天楼はありません。よって空も広い。景色は天気とともに変化します。
「モンドリアンの労働者」 1954年
「形の強調」、「カリグラフィーの存在」、「独特な視点や遠近法」、「テーマとしての日常」、「女性の偏在」、そして「日用品や移ろいゆくものに対する愛着」(いずれも解説より)などの特徴は、時にナビ派絵画に共通する要素でもあります。
右上:「フェスティバル」 1954年
「ニューヨークのナビ派」とも称される写真家、ソール・ライター。写真はもとより、絵画のほか、カメラやスケッチブックなどの資料までを網羅します。日本での本格的なソール・ライター受容の第一歩を切り開く展覧会と言えそうです。
2012年にイギリスで制作された映画、「写真家 ソール・ライター」が国内でもDVD化されました。
展覧会の会期中、Bunkamuraル・シネマで、映画の特別上映も予定されています。スケジュールなどはBunkamuraのWEBサイトでご確認下さい。
「掃除夫」 1950年頃
「人の背面は正面より多くのものを私に語ってくれる。」 ソール・ライター
6月25日まで開催されています。
「写真家ソール・ライター展」 Bunkamura ザ・ミュージアム(@Bunkamura_info)
会期:4月29日(土・祝)~6月25日(日)
休館:5月9日(火)、6月6日(火)。
時間:10:00~18:00。
*毎週金・土は21時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1400(1200)円、大学・高校生1000(800)円、中学・小学生700(500)円。
*( )内は20名以上の団体料金。要事前予約。
住所:渋谷区道玄坂2-24-1
交通:JR線渋谷駅ハチ公口より徒歩7分。東急東横線・東京メトロ銀座線・京王井の頭線渋谷駅より徒歩7分。東急田園都市線・東京メトロ半蔵門線・東京メトロ副都心線渋谷駅3a出口より徒歩5分。
注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
「写真家ソール・ライター展」
4/29~6/25
Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「写真家ソール・ライター展」のプレスプレビューに参加してきました。
1950年代にファッションカメラマンの仕事で活躍するも、一度は「隠遁生活」(解説より)に入り、2006年にして再び脚光を浴びた一人の写真家がいました。
それがソール・ライター(1923~2013)。アメリカのピッツバーグ生まれです。2006年にしてソール・ライターは83歳。切っ掛けは1940年から50年代に撮影されたカラー写真集、「Early Color」が出版されたことでした。
ライターの父はユダヤ教の聖職者であるラビです。少年時代のライターも父の跡を継ぐべく神学校で教育を受けます。ただし関心は別の分野にありました。それが美術、とりわけ絵画です。独学で絵画を習得。図書館の美術書なども参照します。いつしか画家に志すようになりました。
「スケッチブック」ほか *参考出品
しかし両親は反対。ここでライターは思い切った行動に出ました。学校を中退し、真夜中に家を出てニューヨークへと向かったのです。1946年のことでした。
右:「無題」 1960年代
以来、ライターは「常に画家でした」。(解説より)ナビ派の画家を敬愛し、浮世絵や書にも触れます。そして絵を制作しました。一部ではクーニングらの抽象主義グループの一員とも見なされたそうです。さらに個展も開催します。しかし絵は殆ど売れませんでした。
右:「Harper’s Bazaar」 1950年代
そこで半ば生活のために請け負ったのが写真の仕事でした。画家のプセット=ダートと交流。彼は写真を用いた作品を制作していました。ライターも写真術を学びます。天性の才能もあったのでしょう。次第にファッション誌の誌面を飾るようになりました。
左:「無題」 1965年頃
ライターの写真を特徴づけるのが「キュビズム的構図」と「のぞき見的手法」(解説より)です。モデルの一瞬の表情を素早く捉えています。また抒情的で繊細です。時に画家としての感性が撮影においても反映されたのかもしれません。
右:「ボンネット」 1950年頃
1950年代には「ELLE」や「Vogue」などのファッション誌の第一線で活躍します。ソール・ライターの名を不動のものにしました。
しかし常に順風満帆であったわけではありません。次第に撮影の依頼は減少し、1981年にはスタジオの閉鎖を余儀なくされます。ライター自身も自由な創造性が束縛されることにフラストレーションを抱えていました。以後、自らのためにだけに制作する「隠遁生活」へと移ります。するとライターの存在自体も忘れられていきました。
右:「赤い傘」 1951年
ライター復権となったのはカラー写真です。彼は1950年代よりカラー写真を撮影していましたが、当時のプリント技術や経費の問題などにより、長らく未現像のまま放置されていました。自宅アパートに眠り続けていたそうです。
右:「ハーレム」 1960年
1994年、イギリスの写真メーカー、イルフォード社が、カラープリントのために助成金を提供したことで一変します。すぐにニューヨークのギャラリーで初披露されました。大変な評判を得ます。1997年には初のカラー写真展も開催。2005年には2度目の展示も行われました。そして翌年、シュタイデル社より写真集、「Early Color」が刊行されます。さらに美術館やアンリ・カルティエ=ブレッソン財団でも展覧会が開かれます。こうしてライターは再び写真界の表舞台に登場しました。
モノクロームとカラー。甲乙付け難いものはありますが、より絵画的であるのは、カラー作品と言えるかもしれません。
ライターの残した写真の9割以上がニューヨークの自宅周辺で撮影されました。すわなち日常が舞台でした。
左:「赤信号」 1952年
彼が住んでいたのはイーストヴィレッジです。当時はボヘミアンらが集う地区でした。建物は低層です。いわゆる摩天楼はありません。よって空も広い。景色は天気とともに変化します。
「モンドリアンの労働者」 1954年
「形の強調」、「カリグラフィーの存在」、「独特な視点や遠近法」、「テーマとしての日常」、「女性の偏在」、そして「日用品や移ろいゆくものに対する愛着」(いずれも解説より)などの特徴は、時にナビ派絵画に共通する要素でもあります。
右上:「フェスティバル」 1954年
「ニューヨークのナビ派」とも称される写真家、ソール・ライター。写真はもとより、絵画のほか、カメラやスケッチブックなどの資料までを網羅します。日本での本格的なソール・ライター受容の第一歩を切り開く展覧会と言えそうです。
2012年にイギリスで制作された映画、「写真家 ソール・ライター」が国内でもDVD化されました。
「ソール・ライター展」の開催を記念した、ル・シネマでの映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』の特別上映は5/20(土)~6/2(金)に決定いたしました!上映時間は決定次第ご案内いたします!https://t.co/XDJ3kBdmO3 #lecinema pic.twitter.com/FX421bZOc7
— Bunkamura公式ツイッター (@Bunkamura_info) 2017年4月30日
展覧会の会期中、Bunkamuraル・シネマで、映画の特別上映も予定されています。スケジュールなどはBunkamuraのWEBサイトでご確認下さい。
「掃除夫」 1950年頃
「人の背面は正面より多くのものを私に語ってくれる。」 ソール・ライター
6月25日まで開催されています。
「写真家ソール・ライター展」 Bunkamura ザ・ミュージアム(@Bunkamura_info)
会期:4月29日(土・祝)~6月25日(日)
休館:5月9日(火)、6月6日(火)。
時間:10:00~18:00。
*毎週金・土は21時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1400(1200)円、大学・高校生1000(800)円、中学・小学生700(500)円。
*( )内は20名以上の団体料金。要事前予約。
住所:渋谷区道玄坂2-24-1
交通:JR線渋谷駅ハチ公口より徒歩7分。東急東横線・東京メトロ銀座線・京王井の頭線渋谷駅より徒歩7分。東急田園都市線・東京メトロ半蔵門線・東京メトロ副都心線渋谷駅3a出口より徒歩5分。
注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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